いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

ストックはないけれど、フローはある。

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前回のブログ記事で「所持金の都合でアンコールワットの入場料が払えない」という内容の投稿をしたら、投稿を見てくれたカンボジア在住の女性Nさんから「シェムリアップまで来て、アンコールワットが見られないのはあんまりです!料金などはご負担いたしますので、よろしければ私がご案内いたします」と連絡をいただいた。


朝焼けに映えるアンコールワットは、綺麗だった。アンコールワットを見れたことはもちろんだけれど、それ以上に、ひとの優しさに触れることができたという事実が嬉しかった。Nさんは、優しくて、綺麗で、可愛いかった。シェムリアップに来てから、感動的な出来事が頻繁に起きている。過去に「奇跡は余白に舞い込む」という内容の投稿をしたけれど、また、当時と同じ感覚を抱いている。


シェムリアップの奇跡。

たまたま予約をしたホテルのオーナーSさんが「坂爪さんって、あの、坂爪さんですよね?」と、声をかけてくれた。私のことを知ってくれていたSさんは「オートバイでお連れできるので、いきたい場所があったら何処でも言ってくださいね!」と、神様のような優しさを示してくれた。街中を案内してもらうばかりではなく、結果的にプールにまで連れて行っていただき、クリームブリュレやフルーツまでご馳走になった。

また、自転車の観光ガイドをやっている25歳の日本人男性・Mさんから「ご飯をご馳走するのでお会いしましょう!」と、鍋料理をご馳走していただいた。Mさんの繋がり(?)で、シェムリアップ在住の日本人アイドル「さかなちゃん」とも出会った。驚いたことに、さかなちゃんもいばや通信を読んでくれていたらしく、出会えたことをよろこんでくれた。喜んでもらえると、照れてしまうけれど、こちらまで嬉しくなる。

また、シェムリアップで雑貨屋を営む日本人女性・Aさんから「ご飯をご馳走するのでお会いしましょう!」と、非常に豪華なクメール料理をご馳走していただいた。動的なだけではない、静的な時間も共に楽しめる素晴らしい時間になった。していただいた内容はとにかく、こうして、実際に出会えたことが何よりも嬉しい。そして、今朝、朝の4時半集合で、アンコールワットをご案内していただいた。

自分をオープンにするということ。

私は、自分のスケジュールと連絡先をWEB上(ブログ記事末尾)に公開している。そのため、足を運んだ先々で暮らす方々から「会いましょう」という連絡をもらう機会が、多分、一般的なひとよりは頻繁にある(ある方だと思う)。自分をオープンにすることは、時に、浴びる必要のない批判や罵倒を浴びてしまう結果になることもあるけれど、それをしていなければ絶対に起きない奇跡に出会えることもある。

五日間、何の予定もいれずに訪れたシェムリアップでの滞在は、まさに「奇跡は余白に舞い込む」を実感した滞在になった。私は、ひとと話をすることが好きだ。そして、当たり前のことだけれど、ひとも、自然だ。そのひとの中にある「自然」を垣間見たときの嬉しさは、花や、雲や、鳥や、猫や、空や、小さなこどもや、夕日を見ている時に感じる「ただ、そうであること」の嬉しさに似ている。

そして、明日からインドのマハーバリプラムを経由して、バンガロールに向かう。バンガロールでは、現地在住の日本人の方から連絡をいただき、お茶をしたり、宿を提供していただくことになっている。
なぜ、何もない私が、貯蓄や所持金という意味ではほとんどのストックを持たない私が、これだけの恩恵を受けることが許されているのだろうか。自分のことのはずなのに、稀に、自分のことがわからなくなることがある。

ストックはないけれど、フローはある。

感覚的な話になるけれど、いまの私には「ストック【貯蓄】はないけれど、フロー【流動】はある」ように感じている。言い換えるならば、ストックによっては生きることができない(自分の力だけでは到底生きていくことができない)私も、フローによって生かされている(様々なひとの力によって生かされている)という感覚を、強く覚えている。

これは決して自慢をしたい訳ではなくて、自分でも、自分に起きている現象が何なのかということはまるでわかっていない。ただ、感覚として「ストックはないけれど、フローはある」ということを感じていて、この流れは、自分の純度が落ちた瞬間から、自分が調子に乗った瞬間から、自分が何かしらを溜め込もうとした瞬間から、途絶えてしまうものだと感じている。

様々なひとの力を得た時に、一番強く思うことは「しっかりと生きよう」ということだ。この「しっかり」が、どういう意味なのかは自分でもわからないけれど、誰かにご飯をご馳走してもらえたからといって「ラッキー!儲け儲け!うひゃひゃひゃひゃ!」という気持ちには、とてもじゃないけれど、なることはできない。

心配を投影するか、信頼を投影するか。

ここ数日間の出来事を振り返りながら、およそ1年前に、ロンドンから届いたメールの内容を思い出していた。詳細は、過去記事【「他人に迷惑をかけてはいけない」という嘘】にまとめてあるのですが、ここに記載されている三つの要点のことを、思い出していた。

・実は、皆が何かを誰かに与えたいと思っている。
・他人から施しを受けるのは惨めなことではなく、寧ろ崇高な経験になる。
・すべてを受け取ることを自分に許しなさい。

心配を投影するか、信頼を投影するか。自分を開けば世界も開き、自分を閉じれば世界も閉じる。きっと、この世の中は、自分が投げたものがそのまま返ってくるようにできているのだと思う。相手を傷つける言葉を使えば、自分のこころも同じように傷つけている。相手を疑えば、自分も疑われ、相手を信じれば、自分も信じられる。月並みな言葉になるけれど、事実、その通りなのだと思う。


カンボジアのこどもたち。


Sさんのご案内で、一般人も立ち入り可能な学校に足を運んだ。カンボジアの平均年齢は24歳前後と非常に若く、小さなこどもたちが大量にいる。私は、こどもが大好きだ。こどもたちに囲まれているだけで、不思議なくらい、嬉しくなる。楽しくなる。元気をもらえる。見ているこちらまで、気持ちが若返る。世界中、どこの国のこどもたちも、愚かで、チャーミングで、最高だ。

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整列していたはずのこどもたちの中にも

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率先して、愚かな真似をする男子がいる

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瞬時に全体が乱れて、

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こういうことや、

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こういうことや、

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こういうことになる。

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カンボジアのこどもはほんとうに可愛くて、

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女子は、大人だ。

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お菓子を前にこどもは無力で、

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最終的には、全体で暴れる。

レールはないけれど、大地はある。

私は単純な人間だから、ひとから元気をもらうこともあれば、ひとから失望をもらうこともある。同じように、ひとから失望をもらうこともあれば、ひとから希望をもらうこともある。自分の中にしっかりとした軸を養うことができればいいのだろうけれど、まだ、まだ、まだ、簡単にぶれ続けてしまう日々のど真ん中を生きている。


みんなが当たり前にできることを、できることならば、自分も当たり前にできる人間になりたいと思っていた。それなのに、いつ、どこで、どのようにレールを踏み外したのかはわからないけれど、結果的に、自分でも何も分かっていない生き方をする31歳になってしまっている。完璧とはほど遠い生き方だけれど、それでも、自分の人生を「悪くない」と思えるようになったのは、つい最近の話だ。


シェムリアップの数日間を振り返っていた時、日本から、LINEを通じて一通の連絡が届いた。そこには「有難う、生きていてくれて、存在してくれて有難う」という言葉が綴られていた。心の中にじんわりと広がる、あたたかな膨らみを感じた。しっかりと生きようと思う時、その「しっかり」が何を指すのか、少しだけわかったような気がした。自分以外の誰かではなく、自分以外の何かではなく、自分自身をしっかりと生きよう。そう思った。



夜分に恐れ入ります。
坂爪さんのTwitterをいつからだったでしょうか、毎日拝見しております。

今、一番にお伝えしたいことは、とにかく
「有難う、生きていてくれて、存在してくれて有難う」という言葉です。

坂爪さんは誰かに感謝されようと発信してらっしゃるわけではないと思いますが、数々の言葉に、写真に、救われたり、背中をおされたり、寄り添ってもらったりして、感謝の気持ちを抱いている方は多くいらっしゃるように感じます。 

ここ暫くの間、理不尽なことや言い様のない哀しみを感じたりした時に、夜空を見上げながら坂爪さんの言葉や存在を思い、それだけで心を支えて頂きました。

と同時に、事情は違ってもいま私と同じように、坂爪さんの存在に涙している人もいるだろうと思いました。

こんなことを言うのはおこがましいですが、ブログを拝見しておりますと
“私と感覚や考え方が同じだなぁ”と思うことがあります。

そして、ブログの内容が今の自分に丁度タイムリーなものであることもしばしばで、確か以前にも他にも同じように仰る方が居られることをブログで拝見したような気がします。
坂爪さんを中心に繋がっているような、不思議な糸を感じます。 

坂爪さんのブログで、特に私にとって大切なものは、瞬間日記というアプリに保存しております!!

今まで感謝の気持ちをお伝えしようと思いながら、なかなかメッセージを送れずにおりましたが、勢いで書いてしまい、纏まりのない文章で申し訳ございません。

でも、何が起こるかわからない人生。
あと数時間後に100%生きているとも言えません。
だからこそ、こうしてお伝えできて良かったです。



動物や植物、あらゆる自然に包まれながら、心身ともに健康で過ごすことができるように祈っております。



深夜のガストにて… 
                                  

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人生は続く。

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