ロックンロールが大好きです。
1・言葉は音楽【詩】になる。
コミュニケーションは「何を言うか」ではなく「どのような気持ちで言うか」の方が、多分、何億倍も大切だと思う。心のない言葉はどれだけ正論でも空疎に響くし、無様でも、心のある言葉には真実の響きが宿る。言葉はただの容れ物で、感情と合致した瞬間に『言葉は音楽になる』のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月21日
2・言葉を粗雑に扱うひとは、自分を粗雑に扱うひとだ。
私は常に心の乗った言葉を発しているだろうか。
— 村元聡美@足もみ師4/22-30名古屋 (@satomi_muramoto) 2016年4月21日
言葉を「盾」や「鎧」に使い、心を守ろうとしたことがある。でもその後には私の心が泣き、肚が怒り苦しんだ。
言葉に本当の心を乗せることは怖いけれど、その怖さを超えても、素直でいたい。 https://t.co/A5lXdsyFFn
3・被害者意識ほど醜いものはない。
他人の生き方にああだこうだと口を出す前に、徹底的に自分を真面目に生きれば、大概の問題はなくなると思う。自分の中身はカラッポなまま、ひとのことや世間のことばかりを気にして『あいつはこうだ(自分はこうだ)』と比較しなければ幸せになれないだなんて、これほど不幸なことはないよ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月22日
4・はじまりの終わり【終わりのはじまり】
すべて「今」の積み重ねなのだから、いつも「これからどうするか」を選択できる。選んでみて違うと思ったら選び直せばいいし、やっぱりもう一度と戻ることも選択肢。選ぶ基準も、選んでいるのも、全部、自分なんだと思うと、人間て力強いと思う。 https://t.co/Be4UbPhtwH
— cao (@caorimy) 2016年4月19日
5・DO【何をやるか】よりBE【どのようにあるか】
答えはきっと奥の方
— 蕗 (@fuki_butterbur) 2016年4月19日
心のずっと奥の方
焦っていて周りの人に白い目で見られないようにちゃんとしようとして、引き受けて、出来なくて自己嫌悪して引きこもった。
ちゃんとしようじゃなくて
心の奥からのことをしよう
そう言われた気がした https://t.co/kapPZxXExY
6・中途半端な未練を断ち切ること。
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月22日
7・自分の人生を取り戻すこと。
お…
— 夏子。 (@natsukononatsu5) 2016年4月22日
すごいリアルタイムに刺さる…
被害者でいる限り本当になんも変わんない。 https://t.co/Zp9vtRYtW7
8・自分の好きなように生きればいいのだ。
本当は何をしてもいいし、本当は何もしなくてもいいし、本当は何処に行ってもいいし、本当は何処にも行かなくてもいいのだと思う。しなければいけないことなんて本当は何ひとつなくて、ただ、自分で自分を縛っていただけなのだろう。疲れた時は眠ることだ。希望の光は、朝日と共に昇って来る。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月19日
9・タンポポの綿毛のようなフットワーク。
軽い気持ちで遠くに行こう。 pic.twitter.com/IPTJsZb0us
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月19日
10・ロックンロールが大好きです。
人に嫌われるかもしれないとか、誰かに馬鹿にされるかもしれないとか、安定した生活を送れないかもしれないとか、自分の気持ちを理解してもらえないとか、自分には力がないとか、自分には金がないとか、自分には自信も技術も勇気も足りないとか、もう、そんなことはどうでもいいじゃないか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月23日
満足した豚に、狼の孤独は歌えない。 - いばや通信 https://t.co/WkNwKAlH6X
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月19日
坂爪圭吾さんこんにちは××の⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎です。昨日××に戻りました。その後もブログ興味深く読ませていただいています。物や人に呼ばれて、地球上を移動されている坂爪さんが動いた後が地図上に赤い線で、記録されある地点は濃密でぐちゃぐちゃとなっていて、ある地点は直線的で、という図が浮かんできて、それは私をものすごく楽しくさせます。私は坂爪さんと過ごさせていただいて、坂爪さんがつぶやきのように時折発せられる言葉のいくつかが、深く残っています。坂爪さん自身への問いであり、私や世界への投げかけのような。その中のひとつに「僕は人生もロックンロールってあるとおもうんですよね」という言葉があります。私もロックンロールは大好きで、私のする仕事はすべてロックでありたいな、と常々思っているのですが、坂爪さんをみていて思ったのは、ロックンロールとは常にぎりぎりであること、ぎりぎりの縁、端、にいること、リーディングエッジに自らを立たせるということ。目的があってそうするわけでなく、本人すらも先を予想していない。その結果、生み出されるものは常に最先端であり、前代未聞。私は坂爪さんと夜車に向かう時ふたりで並んで歩いていた時に坂爪さんからというか左側から圧倒的なyes を感じたんですよね。ものすごくすがすがしかった。すがすがしさを味あわせていただいてありがとうございました。私も⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎と友達の家を転々としていて××の家は同居人が守ってくれているので坂爪さんがブログに書かれていた、家は女性(または女性生のある男性)に任せて、というのが本当にそうだな〜、って感じています。自分が何をしているのか、したいとおもっているのかが坂爪さんと過ごして少しわかりました。私もエッジに自らを立たせて前代未聞をやっていきたいとおもいます。そして縁(ふち)は縁(えん)という言葉でもあるという不思議。そんなことを今思っています。とても貴重な時間でした。ありがとうございました。心から。⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎