いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

ロックンロールが大好きです。

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新潟県から福島&栃木&東京を経由して初島に向かい、いま、成田空港の第2ターミナルで軽くボロボロになっている。福島県会津の山奥でバイクのタイヤがパンクをして、JAFのレッカー車で60キロの道程を運ばれた後に高額な料金の請求が届いて死んだ。今夜は成田空港に泊まり、明日の朝には福岡空港に到着した後に、大分県にある車を下道で熱海まで運ぶミッションが控えている。初島の空は綺麗だった。人生は、予測不可能な出来事の連続である。しかし、ボロボロになるのは嫌いではない。私は、多分、逆転ホームランを打ちたいのだ。

最近思うことあれこれをまとめます。

1・言葉は音楽【詩】になる。


私は「ひとと話をしたい」と思っているけれど、ひとと話していても「ひとと話している気がしない」ように感じることが頻繁にある。そういう時、私は、ひとりでいる時よりもよっぽど悪質な孤独を覚えることになる。コミュニケーションの基本は「何を言うか」ではなく「どのような気持ちで言うか」だと思う。言葉はただの容れ物で、自分の感情と合致した瞬間に『言葉は音楽【詩】になる』のだと思う。

2・言葉を粗雑に扱うひとは、自分を粗雑に扱うひとだ。


私は、言葉を大切に扱うひとが好きだ。言葉を大切に扱おうとしている、そのひと自身の真摯な態度が好きだ。言葉を粗雑に扱うひとは、自分を粗雑に扱うひとだ。自分を粗雑に扱うひとは、他人を粗雑に扱うひとだ。他人を粗雑に扱うひとは、世界を粗雑に扱うひとだ。そして、世界は自分が投げたものが返ってくるようにできているのだと思う。世界を変えたいと願うのならば、言葉の扱い方を変えることだ。

3・被害者意識ほど醜いものはない。


被害者意識ほど醜いものはない。あいつが悪いとか、職場が悪いとか、家庭環境が悪いとか、いまの世の中が悪いとか、常に何かのせいにしようとしているひとに足りないものは「自分の中にある悪い部分を直視する強さ」だと思う。誰かを悪いと言えるほど、自分はいいと思っているのだろうか。聖書の中に出てくる、罪をおかしたことのないひとだけが、罪人に対して石を投げることができるという逸話を思い出す。他人の生き方にああだこうだと口を出す前に、徹底的に自分を真面目に生きれば、大概の問題はなくなると思う。

4・はじまりの終わり【終わりのはじまり】


あるひとから「別れたいひとがいるのだけれど、このひとと別れてしまったら自分がダメになってしまうんじゃないかと思うとこわくて別れることができないんです」という話を聞いた。これがダメになったらおしまいだ、という恐怖が自分の決意に二の足を踏ませることになるのだろう。しかし、これでおしまいだなんてことは、この世にひとつもないのだと思う。終わりもはじまりも同じことで、何かを終わらせることができない限り、何かをはじめることも永遠にできないのだと思う。

5・DO【何をやるか】よりBE【どのようにあるか】


やりたいことがわからないなんていう悩みほど、この世の中にくだらないものはないと思う。「何をやるか」なんていうことよりも「どのようにあるか」の方が、私には、よほど大切なことであると思っている。自分のあり方が定まれば、どのような自分でありたいのかということが定まれば、いま、この瞬間から、いつかなんていう言葉と一緒に何かを先送りすることなく、自分自身のど真ん中を生きることができる。

6・中途半端な未練を断ち切ること。


中途半端な未練を断ち切ること。

7・自分の人生を取り戻すこと。


誰のせいにしなくても、自分には力があるのだということを、自分には誰の力を借りなくても本当は自分だけの力でいくらでも道を打開していくことができるのだということを、「自分には力があるのだということ」を、認めることを恐れないこと。被害者意識を捨てることは、多分、自分以外の誰かに預けてしまっていた自分の人生を、再び自分の手元に取り戻すことだ。

8・自分の好きなように生きればいいのだ。


誰の顔色も伺わなくていいから、誰の意見も気にすることはないから、自分がやりたいと思ったことを、ただ、自分のやりたいように思う存分にやればいいのだ。うまくいくとか、うまくいかないとかは関係なく、失敗してもいいから、馬鹿にされてもいいから、どんなにダメでも実際にやってしまうというまさにそのことの中に、自分であるということの手応えがあるのだ。

9・タンポポの綿毛のようなフットワーク。


真剣になることと深刻になることは別物で、ひとりだけの時間に何かを深く考え込んでしまうと、勝手に深刻になってしまうことがある。深刻になると身体も思考も重くなり、人生全体に暗雲が立ち込めてしまう。合言葉は「タンポポの綿毛のようなフットワーク」で、多分、人生で最も大切なもののひとつは『軽やかさ』だ。軽薄な意味での『軽さ』ではなく、軽快という意味での『軽やかさ』だと思う。

10・ロックンロールが大好きです。


ブルーハーツの『1000のバイオリン』という曲の中に「誰かに金を貸してた気がする」という私の大好きな歌詞がある。その歌詞の後には「そんなことはもうどうでもいいのだ」という言葉が続くのだけれど、私は、この言葉の中にロックンロールのすべてが詰まっていると言っても過言ではないと思っている。私にとって、ロックンロールとは、人生のあらゆることに対して『そんなことはもう、どうでもいいじゃないか』と言ってくれるものだった。

金がないとか、夢がないとか、自信がないとか、勇気がないとか、仕事ができないとか、勉強ができないとか、友達が少ないとか、恋人がいないとか、もう、そんなことはどうでもいいじゃないか、と、優しく吹き飛ばしてくれるものがロックンロールだった。いまも昔も、多分、私はこの『どうでもいいじゃないか』という精神に強く支えられていて、ともすると小さなことで簡単に悩みがちな自分のケツを叩いて来ることができたのだと思う。

先日、宿を提供していただいた女性から一通のメールが届いた。ロックンロールとは音楽のジャンルではなく、自分を貫く個人の生き様みたいなものだと思っている。私は、逆転ホームランを打ちたいのだ。どれだけ大差をつけられたとしても、どれだけボコボコにされていたとしても、それでも、常に逆転ホームランを狙う姿勢だけは絶対に失うことのない弱者のあり方に、私は、強い共感を覚える人間なのだ。そして、逆転ホームランは、負けている者にしか打つことはできない。いつの日か「逆転ホームランを打てる日が来るかもしれない」という思いが、連日の野営でボロボロの自分を支えている。


坂爪圭吾さん

こんにちは
××の⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎です。
昨日××に戻りました。
その後もブログ興味深く読ませていただいています。

物や人に呼ばれて、地球上を移動されている坂爪さんが動いた後が
地図上に赤い線で、記録され
ある地点は濃密でぐちゃぐちゃとなっていて、
ある地点は直線的で、という図が
浮かんできて、それは私をものすごく楽しくさせます。

私は坂爪さんと過ごさせていただいて、坂爪さんがつぶやきのように
時折発せられる言葉のいくつかが、深く残っています。

坂爪さん自身への問いであり、私や世界への投げかけのような。

その中のひとつに
「僕は人生もロックンロールってあるとおもうんですよね」
という言葉があります。

私もロックンロールは大好きで、私のする仕事はすべて
ロックでありたいな、と常々思っているのですが、

坂爪さんをみていて思ったのは、
ロックンロールとは

常にぎりぎりであること、

ぎりぎりの縁、端、にいること、

リーディングエッジに

自らを立たせるということ。

目的があってそうするわけでなく、
本人すらも先を予想していない。

その結果、生み出されるものは
常に最先端であり、前代未聞。

私は坂爪さんと夜車に向かう時
ふたりで並んで歩いていた時に

坂爪さんからというか左側から
圧倒的なyes を感じたんですよね。

ものすごくすがすがしかった。

すがすがしさを味あわせていただいて
ありがとうございました。

私も⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎と友達の家を転々としていて
××の家は同居人が守ってくれているので
坂爪さんがブログに書かれていた、家は女性(または女性生のある男性)に任せて、というのが本当にそうだな〜、って感じています。

自分が何をしているのか、したいとおもっているのかが
坂爪さんと過ごして少しわかりました。

私もエッジに自らを立たせて
前代未聞をやっていきたいとおもいます。

そして縁(ふち)は縁(えん)という言葉でもあるという
不思議。
そんなことを今思っています。

とても貴重な時間でした。

ありがとうございました。
心から。
⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎

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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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