自分自身が有名な存在になるということと、それに伴うメリットとデメリットについて。ー 自分を殺して他人に好かれるよりも、自分を出して他人に嫌われる方がずっといい。
「一緒にいてもいい人」じゃなくて、「一緒にいると元気になれる人」と過ごさないとダメだね。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2014, 12月 21
多くの方々に自分の存在が知れ渡るようになると、私の影響力を「悪い方向に利用しようとする人」も登場する。自分のビジネスに利用しようとする人もいれば、常に私から何かを(与えようとするのではなく)奪うことだけを考えている人もいるし、覇気を失った人や、怪しげな宗教やビジネスや自己啓発団体に手を染めてしまっている多くの人たちとも出会った。
不特定多数から誹謗中傷を受ける機会も増えたし、見たこともない人から「死ね」とか「消えろ」と言われることも増えた。これが「有名になること」のデメリットであり、自分自身に知名度がなければ決して発生することのなかった面倒臭い出来事のあれこれがある。誤解されると困るが、私は「有名になることは素晴らしいことだ」と言いたい訳ではない。個人的な実感として、自分自身の存在を多くの方々に知ってもらうことを通じてどうにかこうにか生き延びることができている今、私にとって「自分自身を発信すること」の重要性と危険性について、改めて考え直していきたいと思っている。
私が家も金もなくても生きることが出来たのは、こうしたWEB媒体を通じて「コミュニケーション能力を磨くことに成功した」からだと睨んでいる。極論、コミュニケーション能力があれば人間は死なない。金がなくても「助けてください!」と言葉にして的確に伝えることが出来れば、必ず誰かが助けてくれる。しかし、自分自身にコミュニケーション能力が欠如していれば、他人に助けを求めても誰も反応してはくれないので、自分のことはすべて自分でやらなければならなくなる。
【参考記事】「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは大嘘で、どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負だ。 - いばや通信
コミュニケーションには「煩わしさ」という最大のデメリットが発生するために、例えばシェアハウスなどに住めば家賃などは折半できるが、代わりに「個人的な空間」を確保することは難しくなる。言い換えれば、コミュニケーションという煩わしい対価を支払うことが出来る人間は金銭的な負担も低く抑えることができる。大抵のことは「金」か「コミュニケーションコスト」を支払えばどうにかなる。
これからは個人の時代だと言われている。今までは「自分を出す」ことよりも「周囲に合わせる」ことの方が大事だという雰囲気に包まれていたが、大企業だろうがいつ倒産するか分からない今、寄らば大樹の陰というマインドも古臭いものになってきた。そんな中で必要になるのは「私はこういう人間です」という風に自分自身の旗を掲げて生きることだと私は思っていて、その中で重要になるのは「自分自身を表現すること」になるだろうと思っている。
コミュニケーションとは「自分の内側にあるものを、自分の外側に出すこと」だと思う。言い換えるならば「自分自身を表現すること」であり、これに成功した人から自分オリジナルの幅広い世界を生き始めることができるのだろう。すべての人が自分を受け入れてくれるとは限らないけれど、すべての人が自分を受け入れてくれないとも限らない。自分を殺して他人に好かれるよりも、自分を出して他人に嫌われる方がずっといい。「これが私です」と自分自身を掲げること。これが大切だと思う。人生は続く。