いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

永遠にそのままで行け。

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自分という肉体はひとつだけれど、自分という人格は複数個あるように思う。最近の自分は完全なるおじいちゃんで、縁側に座り日光浴をしていると「これだけでもう充分じゃないか」などと思ったりする。最近まで、1800キロの距離を自転車で移動していたのがウソみたいだ。こどものように落ち着きなくそこらじゅうを駆け回るのが自分ならば、余生を生きるおじいちゃんのような自分もまた、同じように自分なのだと思う。

 

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死ぬこと以外に予定なし。

ごちゃまぜの家に遊びに来てくれたT様に、ランチをご馳走していただく。菊名駅前の老舗の洋食屋さん『サンロード(従業員の方々が完膚なきまでに最高!)』にはいり、T様はオムライスを、私はナポリタンの大盛りを注文する。T様は言う。坂爪さんの文章が個人的にツボで、読んでいるとわたしはなんだかすごい笑っちゃうんです。これはすごいいい意味で言っているのですが、ああ、このひとはバカだなあって思うとうれしくなっちゃうんです。

 

バカだなあと言われたとき、お前に言われたくねえよと露骨にイラっとすることもあれば「あなたに笑ってもらえてわたしはうれしい!」とよろこびに溢れることもある。T様にバカだと言われてよろこびを覚えたわたしは「う、うれしい!」となり、ナポリタンに大量のタバスコをかける。「めちゃめちゃタバスコをかけますね」と突っ込むT様に「生きている実感が欲しくて…」と答える。タンスの角に足の小指をぶつけたときに「痛い!痛い!」って思うと痛みが強化されちゃうけれど、「生きてる!ああ、生きてるぅ!」って思うと痛みが歓喜に転化することってありますよね、的なことを話す。

 

T様が「これから先の予定とかあるのですか?」と問う。私は「死ぬまでひまです。これから先に待っていることは、死ぬことくらいしかありません」と答える。T様は「潔くていいですね!」と笑う。笑ってもらえると嬉しくなる。半分くらいはギャグで言ったつもりだったけれど、冷静に考えてみると「死ぬこと意外に予定なし」というのは意外に本質的だと思った。夢も目標も死ぬまでに成し遂げたいことも(ストックとしては)特にない。私は非常にからっぽである。なにかをやりたいと思うことはあるけれど、毎回、最終的には「やってもやらなくてもどちらでもいい」というポイントに着地をする。

 

人生は夢。

T様がごちゃまぜの家を気に入ってくれた。T様は茶道を嗜んでいる。茶道は禅とも通じるものがあり、過去、T様は禅寺で「無」という掛け軸を見て震えたことがあるのだと話してくれた。私も禅が好きで、老子的な考え方(無用の用)も好きなものだからよろこぶ。しばらくの間ごちゃまぜの家で歓談をして、T様を駅に送る。菊名駅までの道すがら、T様は言う。ごちゃまぜの家で過ごした時間は、うまく言えないのですが、なんだか夢のような感じでした。この街並みの風景も、映画のセットみたいなものなんじゃないのかなって感じます。

 

人生は夢だ。お互いにそのように感じることがあるという話をしながら、駅までを歩いた。別れ際、T様は言う。坂爪さんは、洋服も和服も似合うとは思うのですが、一番似合うのは裸だと思います。槍をもって海に突撃する、みたいな。わたしは「それはうれしいお言葉です」と返事をする。私は、動物を見るたびに「こいつらは全員全裸で偉いな」と頻繁に思う。海に突撃しないでも、裸で蓮華座を組んだり、裸で立っているだけでも、それなりのインパクトはあるのだと思う。素っ裸の似合う男になりたいと思う。

 

ここ最近、ひとつの思いをずっと胸に抱き続けることができなくなっている。自分にはなにもないし、俺はからっぽだなと感じることが頻繁にある。T様から「ごちゃまぜの家を全国各地にもつくりたいとか言っていましたよね」と言われたとき、ごくごく自然な感じで「昔はそんなことも思っていましたねえ…」などと遠い目をしてしまった。過去は過去であり、現在は現在である。人間の気持ちは変わる。先のことはわからない。気持ちは変わることの方が自然であり、変わらない気持ちを抱き続ける【固定する/される】ことには無理があるのではないかとさえ、最近では感じるようになっている。

 

わたり文庫『女は毎月生まれかわる』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、高岡英夫・三砂ちづる著作『女は毎月生まれかわる』です。こちらの本は、福岡在住の女性N様から「ごちゃまぜの家には女性の方もたくさんいらっしゃると思うので、この本を是非」とご献本いただいた一冊になります。正直に言うと、私は男性なので女性の生理現象的なものにうとい。ただ、このストレスと死ぬまで共にしなければならないと思っていたものが「実は意外とどうにかなる」道があるのだとしたら、これほど素晴らしいことはないなあと思う。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、広島県にわたりました ※※※

 

皆さんは「月経血コントロール」と聞いたとき、どう思われたでしょうか?「何それ?」「信じられない?」とびっくりされましたか。「まさか」「できるわけない」と首を横にふったでしょうか。それとも「授業中や仕事中に血がモレないかと心配だったので、ぜひやってみたい」と興味をもっていただけましたか。

 

[中略]

 

この「月経血コントロール」は、実はそんなにびっくりするような、あるいは、画期的なものではないのです。いま、95歳以上くらいの日本女性の多くが、自然に行なっていたことです。簡単にひと言でいうなら「月経中は下半身を自分で締めて、月経血をため、一定の時間をおいて腹圧をかけてトイレなどで出す」ということです。下着をつけずに着物を着て、姿勢を正して正座し、しゃがむ姿勢の多かった日本の伝統的な生活の中では、自然にできていたからだの所作なので、あえて言語にされていなかったものです。ことさら言葉にする必要もなく、きちんと伝えられていたのでしょう。 

 

高岡英夫・三砂ちづる『女は毎月生まれかわる』【ビジネス社】

  

永遠にそのままで行け。

この世の中で『善い』とされていることの、果たして何処までが「本当に善い」ことで、果たして何処からが「実は全然善くない」ことなのだろうか。考えてみてもよくわからないことを、それでもなお、性懲りもなく考え続けている自分がいる。どのように生きるのが『善い』ことなのか。正解を求めてみても答えはない。本を読んでもわからない。ひとと話したところで謎は深まる。ただ、ひとつだけ常に感じていることがある。それは「命は生きたがっている」ということで、小さなこどもを見るたびにそのことを思う。

 

私は小さなこどもが好きだ。人間の根源はここにあるように思う。誰だって小さな頃は、無条件に命を爆発させて(無駄に弾んだり、無駄に雄叫びをあげながら)天真爛漫に世界を駆け回っていたのだと思う。世の中で善いとされているから弾むのではなく、世の中で善いとされているから大声をあげて走り回る訳でもない。あくまでも無条件・無目的な行為であり、ただ、そうしたいからそうしている(そうしないではいられない)透明なエネルギーの純粋な爆発。生きようとしているエネルギーを全身にまとい、瞬間瞬間に開ききる命。そのようなものに触れたとき、ああ、最高だなあとわたしは思う。

 

私はまだ、生きることの意味や目的はわからない。ただ、自分が口にする言葉や、自分がやっているものに触れたひとのこころが「よっしゃ、生きてやるぜ」という方向に振れたのであれば、それだけで大成功だなあと思う。誰もが当たり前にできることが自分には無理で、いろいろなことを【今世は無理だなと】諦めた結果が現在の自分である。こんな自分でも生きることができている現状に強い感謝を抱きながら、もしも、社会やみんなが押し付けてくる「こうあるべき」的なものに苦しめられているひとがいたとしたら、そんなことはないぜって言えるほどの逞しさを、自分の存在に宿らせていけたらと思う。

 

 

  

https://www.instagram.com/p/Bcy8O-QDGGU/

このままでいい。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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