いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きる意味より死なない工夫だ。

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世界一周9万5000キロを自転車で走った方が「最初の一週間は筋肉痛とかで死ぬけれど、それでも走り続ければ人間の肉体はアップデートされる」的なことを言っていた。70キロ超過の荷物を荷台に乗せて、1日平均(走るときは)100キロ程度は走ったという。これを聞いて「人間ってすごい!自転車素人の自分でも、1日かければ結構行けちゃうかも!」と感銘を受けて、折り畳み自転車で80キロくらい駆け抜けてみたら、なう、筋肉痛がものすごい(けど気持ちいい)。

 

最近思うことあれこれをまとめます。

 

1・鬱病患者にはビリーズブートキャンプを。

真の意味で腹が減っているからメシを食べているときは稀で、暇だからとか、食事の時間帯だからとか、さみしいからとか、空腹以外の理由でメシを食べていることは多い。これではいかんということで「滝汗を流さない限り飯は食わない」というルールを己に課した。基本的にはビリーズブートキャンプをやる日々を過ごしている。過去に重度の鬱病ビリーズブートキャンプで吹き飛ばした経験があるのですが、もしも、鬱病でお悩みの方がいたら「騙されたと思って、毎日ビリーズブートキャンプを続けてほしい」と思う。私の場合、二週間くらいで鬱病は消えた(気がする)。

 

ibaya.hatenablog.com

 

2・腹筋運動をすると便通がよくなる。

現代は素晴らしい時代だ。(これは違法なのかもしれないけれど)ビリーズブートキャンプの動画はネット上で無料で閲覧できるようになっていて、やる気さえあれば何処でもエクササイズを行うことができる。ごちゃまぜの家でも、遊びにきた方々を道連れにして男女問わず(わいわい話しながら)苛烈なトレーニングを重ねている。運動はきついが、終了後の爽快感や達成感、苛烈な運動の後のキムチ鍋は最高だった。運動の後の食事は、通常の八倍くらい美味い。腹筋運動を続けていると、蠕動活動(?)が促進をされるからなのだろうか、便通がよくなる。冬は精神的に閉じこもりがちになるからこそ、ごちゃまぜの家では毎日鍋を囲みたいなと思った(鍋の前にはビリーズブートキャンプ!)。

 

3・運動によって得られる効能が違う。

ランニングはシャープな思考を、自転車ロングライドは自由を、ビリーズブートキャンプは爽快感を与えてくれる。なんて言えばいいのだろうか、同じ運動でもその後の効能(?)は結構違って、ランニングのあとは思考が整理をされてアイデアが閃いたりするのに対して、自転車や筋トレは脳みそをからっぽにする効果が(自分の場合は)高い。人間のカラダって面白いなあと思う。さみしいとき、わたしは「誰かに抱きしめられたい」みたいな気持ちになることがあるけれど、激しい運動をすると「自分で自分を抱きしめている【温もりを自家発電している】」的な気持ちになる。まるで欲望が整理(鎮魂?)されているみたいだ。

 

4・人生は自分の力で変えていくことができる。

ビリーズブートキャンプをやっていると「人生は自分の力で変えていくことができる」ことを実感する。寒い時期とかは特に「気候がこんなんだからやる気でないよね」みたいな怠慢な気持ちになりがちだけれど、運動をすると「うおらー!」という感じで、閉塞気味な空気感を盛り返すことができる。これは個人的にものすごい大発見で、何も『身を委ねる』とか『流れに任せる』だけが人生ではないのだと。受け入れるとか許すとか自分を愛するとか、言葉は綺麗だけれど、多分、それだけじゃない。気に入らない何かがあるのならば、自分の手で変えていくことができる、自分の手で変えようとしてもいいのだということを、ビリー隊長から学んだ(ビリー隊長、ありがとうございます!)。

 

5・発信より発熱。

稀に、出会うひとから「どうすれば坂爪さんのように『発信』が上手になりますか?」とか「ブログを書くときに気をつけていることはありますか?」とか「どうすればフェイスブックのいいね数は増えるのですか?」とか、こう、テクニック的なものを問われることがある。私は、謎に『発信』という言葉が大嫌いなので、そういうときは「発信をしているつもりはありません。強いて言えば、発信ではなく『発熱』をしています」と答える。発信という言葉には、なにかこう「世間的に価値があるとされている情報を世に出し、それが認められることで己の承認欲求を満たそうとする【外付けの存在価値を与える】」的な匂いを感じる。

 

6・愛はないけど熱はある。

稀に、出会うひとから「坂爪さんのブログには愛を感じるから好きです」なんて言ってもらえることがある。そんなふうに受け取っていただけることはとても嬉しい。しかし、昨夜のツイキャス音声配信でも話したように、私は、過去に「あなたはひとを愛せない人間だ」と言われて彼女に振られた経験があります。いまでは「ひととちょっと違うだけで、決して愛がない訳でない!」と思うことで精神の安定を保つことができているけれど、自分に愛があるのかどうかは未だに謎です。が、最近は『愛はない(かもしれない)けど熱はある』ということを己に感じる。

 

Recoded Radio ビリーズブートハウス - いばや #411626550 - TwitCasting

 

7・俺には『体温』が残されている。

家のない生活をしていた頃、金も仕事も家も社会的な信用も、俺にはなにもないじゃないかとへこみにへこみまくっていた夜に、ふと、ああ、それでも『こんな俺には体温はまだ残されている』と思ったことがある。なにもなくても体温はある。身体中には血が巡り、この瞬間も臓器は『生きるため』に活動をしている。うまく言葉にできないけれど、この時に『生命は生きようとしている【生命は生きたがっている】』ということを感じた。普段、日常的な生活の中で『カラダ』を意識することは少ない。言葉だけじゃない、頭意識だけじゃない、もっとこう『カラダを通じたよろこび【カラダを通じた生きている実感】』を感じてみたいのだと、わたしは、そういうことを思った。

 

8・心がある内に、命がある内に、身体を流れる熱量がある内に。

 

ツイキャス音声配信の中で「履歴書を書く【ハローワークに通う】くらいなら出家をする」みたいな話をした。履歴書を書くのが苦手なひとは、多分、自分だけじゃないと思う。社会不適合者なのかもしれない。表面的な会話をしていると死にたくなるし、愛想笑いをすると死にたくなる。思ってもいないことを口にしていると死にたくなるし、やりたくもないことをやっていると死にたくなる。裸のままで生きれたらと思う。できることならばウソのない日々を、(肝心なところだけは)ごまかす必要のない日々を送りたいと思う。こころのないやりとりを重ねていると、いつのまにかこころは冷え切ってしまう。温度感のあるやりとりを、お互いの「生きている熱」を感じる交わりを重ねて行きたいと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

9・生きててもいいよ。

 

前は「どうすればフェイスブックのいいね数は増えますか?」とか聞かれた時など、いちいち苛立ってしまう自分がいた。が、いまでは「ああ、もしかしたらこのひとはつらいのかもしれない。いま、感じている苦しみや寂しさをフェイスブックのいいねを増やすこと【金を稼ぐこと】【有名になること】【ひとから認められること】で埋めたいだけなのかもしれない」と感じるようになった。なんだろう、これはよくない考え方かもしれないけれど「みんなさみしいんだな」的なことを思う。誰かに「生きててもいいよ」って言ってもらうために、存在意義や存在価値を追い求めたくなる気持ちはわかる。でも、そんなことはないんじゃないのかなと思う。他者からの承認があるから生きてていいということになると、他者からの承認がない限り「生きているだけではダメ」ということになる。それではあまりにも辛すぎるのではないだろうかと、なにかがあるから生きててもいいというのではなく、なにもなくても生きててもいいと思えることが大事なのではないだろうかと。

 

わたり文庫『老師と少年』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、南直哉著作『老師と少年』です。こちらの本は、現在、ごちゃまぜの家の管理人をしてくれているあきとさん絶賛の一冊になります。非常に読みやすい良書で、小生、久しぶりに読み返して「生きる意味より死なない工夫だ」というワードに胸がときめきました。あと、個人的に隠者の登場にテンションがあがりました。なんだろう、話の趣旨とは全然違うのだろうけれど、勝手にすごい元気になった。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、鹿児島県にわたりました ※※※

 

生きる意味より死なない工夫だ。 - 南直哉『老師と少年』【新潮文庫

 

生きる意味より死なない工夫だ。

生きたくなったり死にたくなったり忙しない日々だ。これから先、一切の予定がないので「死ぬまで暇です」という状態に置かれている。私はなにをすればいいのだろうか。本日はお昼に東京の神田駅でお寿司をご馳走していただくという幸せすぎるお誘いを受けたので、これから電車で神田駅に向かう。午後は池袋でお茶をする予定があるけれど、明日からは何も予定がない。スケジュール的にガラガラなので、もしも「坂爪圭吾とのタイマントークを希望する」的な方がいらっしゃいましたらば、お気軽にご連絡ください。交通手段さえどうにかなれば、よろこびとともに参上いたします(本当は南米やアフリカ大陸に行ってみたい。どうにかすれば行けるのだろうか)。

 

ごちゃまぜの家で生活をしていると、様々な人々と出会う。最近は、カフェインの錠剤を致死量飲んで自殺未遂をはかったけれど途中で吐き出してしまい数日前まで入院をしていた方や、事業の失敗で自己破産をしたひと、35年の住宅ローンを支払うことが難しくなって八方塞がりになった方や、血縁者が全員いなくなってしまってしまった方など、なんと言えばいいのだろうか「ほんとうにいろいろな方々」と出会う日々のど真ん中にいる。こんな書き方をすると、みんな深刻そうなひとをイメージするかもしれないけれど、表面的にはみなさん「非常にいい感じのひと」に見える。一見すると普通に生きているようなひとでも、人知れず、誰にも言えない問題を抱えているものなのかもしれない。

 

様々な話を聞きながら「物事に重いも軽いもないな。ただ、そうなだけなんだな。それを重くしているのは自分自身なんだな。重いと思えば重くなるし、軽いと思えば軽くなる。どのような状態に置かれたとしても、きっと、その中で自由を感じることもできるし、まるで一切の自由を失ったように感じることもできる。このご時世、飢えで死ぬことは絶対にないとは思うけれど、飢えへの恐怖心で死んでしまうことはあるのだろうな」と思った。生きとし生けるものの心の中を蝕む『恐怖心』と呼ばれているものが、少しでも軽くなればいいと思う。自分が生きているということが、誰かにとって「人生は意外とどうにかなるのかもしれない」なんて思えちゃう【こころが軽くなる】ようなものになればいいなななんて、そんなことを思いながら神田駅に向かいます。

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BaSlbigjbhV/

人間は弱いが、生命は強い。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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