いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

まずは自分を救え。

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70万時間テレビとは、本家「24時間テレビ〜愛は地球を救う〜」に対抗をしない形で、いばや界隈の面々が停滞しがちな生命を発露する系の企画になる。根本に流れるテーマは「(愛は地球を救うとか言っている場合ではない!)まずは自分を救え」というものになる。この企画は、基本的に「まずは自分を救え」と言いたかっただけの内容になるので、この時点で既にゴールをしている【大きめの手応えを感じている】感はある。が、今年のテーマは「人類みな SCRAMBLE」ということになったので、俄然気合がはいっている。わたしは思う。固定されるからつまらない。限定されるからつまらない。コミュニティ【枠組み】なんてものを描こうとするからつまらない。もっとごちゃごちゃになればいいのだと思う。秩序を重んじるあまりに精神的な自由が奪われるくらいなら、多少破茶滅茶になっても構わないから、もっとめちゃめちゃに撹拌をしてしまえばいいのだと思う(ことがある)。

 

【EVENT詳細】70万時間テレビ 2017 〜まずは自分を救え〜

 

新陳代謝【古い自分を一回殺す】

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実は、この記事を書き上げて「よし、投稿!」という段階で全部消えた。20秒程度意気消沈をしたのちに、なう、音速で(要所だけかいつまみながら)書き直している。先日、長野県東御市に足を運んだ。10月に開催される天空の芸術祭の打ち合わせ(?)だ。我々いばやは「ごちゃまぜのアトリエ(仮)」的な作品を展示する予定になっているものの、人生はなにが起こるかわからないからもしかしたら全部おじゃんになる可能性もある。長野の夏はものすごく涼しく、蚊も少ないために最高だ。小諸のプルーンは絶品で、自然も美しく、道の駅などに売られている野菜も破格の値段(蕎麦屋ではナスが無料で配布されていた)で、ここで暮らしたいとさえ思った。

 

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森が綺麗で「宿っている…」と思った。地域おこしの一環として芸術祭が利用されることがある。いばや的な観点からものを言うと「(地域おこしとか言っている場合ではない!)まずは自分をおこせ」ということになる。私の中には「地域を元気に!」とか「日本を元気に!」という思いがほとんどない。そんなことよりも、端的に自分を楽しませ続けることさえできていれば、結果的に「自分がいる周辺のひとびとや地域全体は勝手に盛り上がる」と思っている。千葉県を盛り上げるためにディズニーランドにいくひとはいない(と思う)。ディズニーランドがたまたま千葉県にあったから足を運ぶだけで、けとして千葉県も潤う。そういうことなのだと思う(先日の怪我から鈍い痛みが続いていて、集中力が持続をしない。言葉をしっかりとまとめることができなくてごめんなさい!)。

 

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私とMAYUCHAPAWONICAの地元は新潟県で、過去に、東京えちごまつりという企画を一緒に開催していた。新潟をおもちゃにみんなで遊べたらいいなと思ってはじめたものの、参加者や関係者が増えまくった結果「なんだか真面目にやらなくちゃいけないアトモスフィア」が醸成されて、これはやばい方向に向かっているなあと思った。関係者のみなさまに「俺はあんまり新潟を盛り上げたいとか思っていなくて、ただ、自分が面白いと思うことをやりたいと思っている」的なことを伝えたら、見事に伝わらなくて「そんなことは無理だよ」とか「自分は公務員だから、そういう趣旨なら一緒にやることはできない」ということになって最終的にみんないなくなった、が、MAYUCHAPAWONICAさんだけは「いいじゃん、やろう!」という風に賛同をしてくれて、自分たちがやばいと思うことをやろうと思って『(やばいを逆から読んだだけの)いばや』という活動(?)をはじめることになった。開始当初はお前らはバカだとかクソだとか散々言われたけれど、なう、それでも元気に生きている。時代が追いついてきてくれたからなのか、いまでは理解してくれるひとも増えているけれど「自分たちが自分たちに最初に飽きる自分たちでいたいね」ということで、新陳代謝を繰り返している。

 

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多分、いばやの強み(というか醍醐味)は「死にに行くこと」にあるのだと思う。普通、町おこしでもなんでも「自分たちが滅びないために、どうすれば生き残ることができるか」的な思考をする。しかし、我々は『延命措置に未来はない』ということを思う。生き延びようとするよりも、死にに行く(自分を一回殺して、新しく生まれ変わる)方向に次世代の萌芽の可能性を見る。というか、端的にそっちの方が『面白い』と感じる。普通、生きている限り「死にたくない」と思う。が、一回死ぬことで未練タラタラだった何かが吹っ飛んで、結果として「清々しさ」を覚えることは多い。誰かを救うためとか、何かを元気にするための活動にはあまり興味を持つことはない。そんなことよりも「どうすればこの状態を遊べるか【笑えるか】」ということに、多分、私達の関心はあるのだと思う。

 

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ヤマトタケル感を意識した髪型。

 

わたり文庫『木を植えた男』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、ジャン・ジオノ著作『木を植えた男』です。こちらの本は、愛するムラキテルミさんから数年前に譲り受けた最高の一冊になります。静けさを持つ、極上の一作になります。内容とは関係ないけれど、著者のジオノさんは十歳頃の時に父親から「これでできるだけ遠くまで旅をしてきなさい」と5フラン(当時としては大金)を渡された。このお金を使って、ジオノ青年は遠くまで旅をして結果最高の体験をすることになるのだけれど、このような子育ての方針は素晴らしいなと思いました。自分もこどもを持つ日がきたら、こういう形で(愛と共に)野に放ちたいと思う。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。 

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

かれ(ジャン・ジオノ)は晩年、あるインタビューに応えて、語っている。小説家の条件とは、「第一に歴史(イストワール)を語る人間であること、第二に創られた物語(イストワール)を語る人間であること、第三に創られた物語を語るときに崇高な人間であること」と。つまり、かれにとって、事実を敷き写しにすることは、真の作家の仕事ではなかった。

 

しかし、さらにかれはこうも語っている。「わたしはすべてを創作するように心がけた。しかし、実在した何らかのものを語ることによってである。なぜなら、無から創造するなど神さまにしかできないことなのだから」と。かれは現実のすぐ隣りに身を置き、時を隔てて見つめなおしたものを描いたのである。

 

ジャン・ジオノ『木を植えた男』【あすなろ書房】訳者あとがきより引用

 

まずは自分を救え。 

いま、SCRAMBLE HOUSE TOKYO【ごちゃまぜの家】で「交通事故で全治一週間のわたしを見舞いにきてくだ祭(さい)」という企画を敢行している。先ほど、これからカレーを20人前つくりにいきますという連絡が届いた。現在、菊名の家には大量の食材と岡山県から届いた(最高にうまい)大量の桃などの果物が転がっている。とてもじゃないけれど、自分ひとりでは食べきることはできない。この場所は足を運ぶのに普段は使わない勇気を必要とする場所だとは思うけれど、飛び込んでみたら飛び込んでみたで意外とどうにかなるのが坂爪圭吾という人間だと思う。時間のある方は、お気軽に遊びにいらしてください(連絡先はブログ末尾に記載をしてあります)。

 

【過去記事】変わらないために、変わり続けよう。 - いばや通信

 

 

療養中なのに、まるで療養できていない。ある程度の人の出入りがあり、いま、隣の部屋ではたこ焼きパーティーが行われている。が、いろいろな目に遭えることはうれしいことだなあと思う。SCRAMBLE HOUSE TOKYO【ごちゃまぜの家】は70万時間テレビの事務局も兼ねる。今後は動画配信なども(遊びにきてくれたひとを道連れにしながら)やりたいと思う。SCRAMBLE HOUSE TOKYOにはルールがある。それは「無理をしない」ということだ。この場所は、何をしてもいいし、何もしなくてもいい場所になる。話したければ話せばいいし、話したくなければ話さなければいいし、何かを食べたければ何かを食べればいいし、横になりたければ(当たり前のことだけれど家主の許可を取ることなんて必要ないから)横になればいい。これまでの32年間生きてきて、自分をご機嫌に保つことの重要性を痛感している。わたしの役割は「自分をご機嫌に保つこと」であり、誰かをもてなすために自分のご機嫌を押し潰すようなことはしない。あなたが自由であるように、わたしも自由であるのだ(こうして一々言葉にしていないとすぐに忘れてしまう)と思っている。

 

 

何をしてもいいし、何もしなくてもいい。ただ、我慢だけはするなよと思う。そして「欲しいものは獲りに行け」とも思う。誰かに何かをしてもらうことを待たないこと。許可がなければ動けない人間にはならないこと。最初からすべては許されているのだということ。やめてほしいのならばやめてほしいのだとしっかり伝えることができる関係性であること。そのなかで「自分が(やらなきゃ!ではなく)やりたいとも思ったことをまっすぐに敢行できる場所」として、これから作り出す空間が機能をすればいいと思う。今日も人の出入りは多い。隣の部屋では謎に盛り上がっている声が聞こえる。わたしは隣室の個室にこもる。みんなで盛り上がりたい人はみんなで盛り上がるだろうし、坂爪と話したいと思っているひとは(ちょっと勇気がいるかもしれないけれど)個室の扉をノックしてくれることだろう。誰かに何かをしてもらうことを待たないこと。欲しいものは自分で獲りにいくこと。誰かのためとか言っていないで、自分のために生きること。まずは自分を救うこと。自分が自分を救う時、その副産物として、勝手に周囲の人も照らす光を帯びるようになるのだと思う。

 

 

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残暑お見舞い申し上げます。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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