いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

「センスのある無駄」をする奴が新しい。

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若干13歳のえりか姫は学校に通う代わりに喫茶店の仕事を手伝い、そこで美味しい珈琲の淹れ方を習得した。現在は「どこでも必要とあらばスーツケースに珈琲道具を詰めて淹れに行きます‼︎イェア‼︎」的なことをはじめていて、今月末のわたり食堂にも遊びに来てくれることになった。私は、こういうことを平気でやってのける若いひとたち(俺もまだ若いけど)のことが大好きだ。えりか姫は神奈川県在住だけれど、私がFacebookで「えりか姫がこんなことをはじめたので誰か連れて来てください!」的な投稿をしたところ、それを見てくれた神奈川県在住のひとが「なんて面白いことをするひとなの!是非、お連れさせてください!」的な流れになり、ああ、こういうのは見ているだけでも楽しいからいいなあと思った。

 

【イベント詳細】わたり食堂【0円食堂】

 

最近は「平気」という言葉が好きだ。それと「無駄」という言葉も好きだ。根本的に、私には無駄こそJOYだと思っている節がある。意味とか考えはじめると、あらゆるスポーツ【生活全般】を真っ向から否定することになる。私は学生時代に野球をしていたけれど、誰よりもバットを早く振ったら健康保険が無料になる訳でもないし、誰よりも遠くまでボールを投げたら内閣総理大臣になることができる訳でもないし、誰よりも華麗なスライディングを決めたら地球上の二酸化炭素が減少して緑が蘇る訳でもない。昇る朝日を眺めることも同じだ。美しい朝日を眺めていると気分が良い。ただ、それだけのことだ。気分が良いというただそれだけのことがいいのだ。意味とかじゃない、意味とか考えはじめると「結局、全部無意味なんじゃないだろうか」というところに着地をする。無意味でもいいのだ。無意味でも平気でいる、それこそがJOY【人生を楽しく生きる秘訣】だと思っている。

 

無駄だと思うこと、それこそがJOY。

昨夜、桜木町でおはなを渡した女性が「いまはちょっと仕事がつらくて、あと5年しか生きられないとしたら絶対にいまの仕事は辞めているのですが、先のことを考えるといろいろと思うことがあってふぎゃー!」的なことを話してくれた。私は、軽はずみに「それでは、あと5年を10回やるなんてどうでしょう??」的な提案をした。とりあえず、いま、あと5年しか生きられないことにする。その後、5年後になってもしもまだ生きていたとしたら非常にラッキー、その時にはまた「あと5年しか生きられないとしたらなにをやろう??」と再度考える。これをあと10回くらい続ける頃には寿命も来るからいつでも死ねると思います、的な回答をした。こんな生き方はどうなのだろうか。ダメなのだろうか。多分ダメなのだと思う。でも、多分、私たち(勝手に私たちと括るけれど「いばや界隈のひとたち」)は、そんな感じの生き方をしているのだと思う。

 

このような生き方を刹那主義と切り捨てることは簡単だけれど、多分、違うんじゃないかなと思う。夢や目標をもって、強靭な意志と共にそれの実現に向けて生きることができるひとは素敵だ。それができるひとは、どんどんどんどん、それを続けていればいいのだと思う。しかし、我々のような「固定的な夢や目標をもつこと」が非常に苦手なタイプの人間は、今日の目標が明日の重荷になる。昨日は確かにそうしたいと思っていた、でも、それは昨日の時点の話であり、今日は変わるかもしれないのだという精神的な余白がなければ、息が詰まって死にそうになってしまう類の人間が、この世の中にはいる。こういう人種にとっては、固定的な夢や目標を持つことよりも、瞬間沸騰的に「これをやりたい!」と思ったことを即座にやるという生き方(これをひとは刹那主義だと罵倒することもあるけれど)が似合うのだ。

 

ポイントは「瞬間瞬間に自分を出し切る」ということで、仮に刹那主義的な生き方に見られたとしても、その行為に自分なりの最大限のこころを込めることができたのならば、その行いは必ず未来に繋がる。誤解されると困るが、私は決して自暴自棄になることを勧めている訳でもなければ、開き直って「俺は正しい!」と自分たちの正当性を主張したい訳でもない。ただ、やりたいことがわからないと嘆いて貴重な時間を無駄にするくらいなら、瞬間瞬間に「これをやりたい!」と思ったその気持ちに殉じること、自分の内側から湧き上がる気持ちを大事に扱うこと、それが、結果的に『自分でもまるで想像することのできなかった、ユーモラスで予測不可能な未来に繋がることがある』と思っている。

 

思考は現実化する。

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前回の記事で「おはなもいいけど大根もいいのね!」的な投稿をいたしましたところ、なんと、神奈川県は大船駅でおはなをお渡しさせていただいたN様から「これ!」と、超絶プリチーな大根を2本プレゼントしていただきました。

 

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赤と青のリボンまで…素晴らしい…早速このひとつを先ほど横浜でお会いした女性の方にプレゼントをいたしました。その方はご自宅で整体師をしていらっしゃる方なのですが、坂爪さんもお疲れだと思いますから整体でも受けてゆっくりしていってくださいと、あろうことか私に整体の施術をしてくれた。結果的に「坂爪圭吾は首と腰の骨がバッキバキ」ということが判明し、この時期、冬から春にかけて閉じていた関節が開くときには身体の不調が全面に出やすいからいま調整できたことは非常にグッドタイミングでしたね!ということを聞いて整体師の方に大感謝をした。多分、相性が良かったのだと思う。物凄い気持ちよくて「相性ってあるんだな」と思った。

 

【過去記事】自分を生きる人間を、神様は困らせたりしない。 - いばや通信

 

これは完全に余談になるけれど、昨夜は横浜の日の出町でラーメン屋さんを営む方から「よかったらラーメンをご馳走させていただきますので遊びに来てください」と連絡をもらった。私はラーメンが大好物なので、ものすごい嬉しかった。実際に遊びにいくと、その方は「さかつめさん、前にスマナサーラ長老と対談をされていらっしゃいましたが、どうでしたか?僕の大好きな長老のエピソードがあるのですが、長老は執着を手放すなどというお話をされていらっしゃいますが、新しいiPhoneとかが出ると物凄い興味をもたれるそうなんですよ!」とのこと。私は、一見すると厳格そうな方のこういう一面を知ると「人間味があっていいなあ!」と思う。本当の話かどうかはわからないけれど、私は、こういうところがある(ある種の矛盾を抱えている)ひとのことが好きだ。

 

バリアフリーのその先へ! 車いすの3.11』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、朝霧裕著作『バリアフリーのその先へ! 車いすの3.11』です。朝霧裕さんとは、先日、埼玉市内までおはなを届けにあがった際に、奇跡的な巡り合わせで食事の席をご一緒させていただきました。後日、わざわざ熱海の家にご自身の本を郵送してくださり(手書きのメッセージも添えて!)、私自身も本を読みましたところ「HOW BEAUTIFUL SHE IS!!!!!【なんて素晴らしい女性なんだ!】」と、改めて出会えたことのうれしさを思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。

 

※※※ こちらの本は、熊本県にわたりました ※※※

 

「もう嫌だ!」

 

これが私の声なのだと思った。心に心が、なだれ込んできた。そして、一度叫ぶことができると、カラカラのコップに水が戻るように、私に、「私」が戻ってきた。

 

なぜ、自分で選んだのではない不運によって苦しんできた当事者が、さらに苦しみ続けなければならないのか。この身体で生まれたために私が受けてきた差別や偏見は、ひとり暮らしを始めてからも、何度もあった。

 

「ラッシュの時間に車いすで来られては困ります」。

 

「音楽ライブに出るために介助が必要だなんて、わがまま。病院か区役所へ行く以外の外出には介助は付けられませんから」。

 

「障害者は家の中か福祉施設でおとなしくしていることが当たり前」という社会通念を打ち壊すため、私は建物の階段よりも遥かに険しい、差別の壁と闘いながら生きてきた。

 

(難病の身体を持って生まれてきたり、何がしかのハンディを負った人間は、幸せになってはいけないのか。「健常者の温情で生かしておいてやっている」と蔑まれ続けなければならないのか。「生きていて申し訳ない」と萎縮して、一生、家で床を見ながら死んでいけばいいのか)。

 

湧き上がる問いに、ノーを突きつけながら。

 

朝霧裕『バリアフリーのその先へ! 車いすの3.11』【岩波書店

 

 【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

「センスのある無駄」をする奴が新しい。

ここ数日間で東京&埼玉&神奈川&静岡を行ったり来たりしている。先日、静岡県でどうしても会いたかったひとがいたので「おはなを届けにあがってもよろしいでしょうか!」的な連絡をしたら、その方は「明日は仕事が17時に終わるので、その後なら大丈夫です!」とのこと。私はよろこび勇んで(この前の土曜日にもらった青春18切符を片手に)静岡県まで鈍行に揺られ、そのひとが住む町に来た。駅まで迎えに来てくれたK様は、その後、私を回転寿司に連れて行ってくれたばかりか、帰り際に「これ!」と言って、お洒落なブリザードフラワーとお年玉(!)を与えてくれた。私は「なんということでしょう!」と叫び出しそうになり、事実、叫んだ。

 

K様曰く「坂爪さんから連絡が来るまではプライベートでもいろいろなことがあって思い悩んでいたのですが、坂爪さんから『お花をあげたい!』って連絡が来た時に、なんだかいろいろなことがどうでもいいことのように思えてきて、悩みとかそういうものがぜーんぶ吹っ飛びました」とのこと。私は、なんて素晴らしい言葉なのだろうかと感動をした。もしかすると、大概のことは「どうでもいいこと」なのかもしれない。わたしの悩みも、あなたの悩みも、実は「どうでもいいことを悩んでいるだけ」なのかもしれないと思った。どうでもいいことを親身になって一緒に悩んでくれるひとの存在に救われることもあれば、どうでもいいことに対して「どうでもいいじゃないか」と言ってくれるひとの存在も、同じように救いになることがある。

 

私は、多分、完全に後者だ。深刻になることよりも「面白がって一緒に遊んでいるうちに、いつの間にか悩みが悩みではなくなっていた」というような状態を好むタイプの人間だ。ひとつひとつのことに眉間にしわを寄せながら対面することよりも、大概のことは「どうでもいいじゃないか」と割り切ること、意味や価値を求めることよりも「どうでもいいこと、それこそがJOY」と開き直って自分なりの遊びを完遂する。生きていれば、そりゃあ、嫌な気持ちになることもある。しかし、嫌な気持ちになることばかりではないのが人生だ。生きていればいいこともある。嫌な気持ちに包まれている時は、その瞬間を忘れてしまっているだけだ。あんまり先のことを考え過ぎて疲弊をしてしまう前に、こんなことをやってなんの意味があるのだろうかと思い悩む前に、「これだ!」と思った瞬間瞬間に自分を出し尽くすこと。ただそれだけのことが、笑って、泣ける、いくつもの素晴らしい瞬間を運ぶ布石になるのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

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