いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人生は、生き方ではなく「遊び方」の勝負である。

f:id:ibaya:20171104164040j:image

 

体調が激烈に悪化をして歩くのがやっと、昨日は喉がバキバキになってしゃべることもできなくなった。これは死ぬのかもしれないなあと思っていたら、ごちゃまぜの家に遊びにきたひとが「遺言を残すとしたら何をいいますか?」なんて不謹慎なことを尋ねてきたので、一瞬ピカッとしたあとに「恐れていることをやるんだよ」という言葉が脳天をかすめた。毎日ひとつ(できることならば瞬間瞬間)、自分が恐れていることをやるということ。それは好きな人に好きだと言うとか、抱きしめたい時に抱きしめたいと言うとか、そういうレベルで良いのだと思う。これは(それだけで人生は勝手に流動的でエキサイティングなものになっちゃう程度には)最高の教訓だなと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

明日5日(日)はごちゃまぜの家の見学ツアーがある。今後、ごちゃまぜの家の離れの部分が賃貸物件として貸し出される。この物件に住む最大の特徴は、多分、坂爪圭吾という人間が比較的近いところにいる(同時に、坂爪圭吾的な存在に興味を持ってくださる方々と広範囲で知り合うことができる)ことだと思う。これは、見る人にとってはメリットになると思うけど、見る人にとってはデメリットになると思う。残りの部屋数は三室。菊名駅から徒歩10分。死ぬほど閑静な住宅街のど真ん中にあり、広めの庭もあるから家庭菜園も超絶可能。ごちゃまぜの家はシェアスペースとして常時利用可能で、自由に使える車もあります。興味のある方は(明日は無理でもいつでも内覧可能なので)お気軽に遊びにいらしてください。

 

ごちゃまぜの家&シェアハウス案内ツアー

 

学校なんて行かなくてもどうにでもなる。 

いま、高校二年生の女の子A様がごちゃまぜの家にいる。話を聞くと「学校では受験受験みたいなモードになっていて、大学に行かない人間はひとにあらず的な雰囲気もあるくらいで、わたしはそれにいい感じに洗脳されつつあると言うか周囲から刷り込みまくられているのだけれど、でも、冷静に考えると大学なんてまったく行きたいと思っていない自分がいるというかそもそもで勉強が全然好きじゃないということに最近気がついてしまったのですがどうすればいいでしょうか??」みたいな話をした。

 

A様は「(高校は)みんな同じ時間に来て、みんな同じようなことを考えている。そのことがなんだかものすごい狭くて、時折頭かおかしくなりそうになる」と話してくれた。私は「素晴らしい感受性だなあ!」と思ったので、あなたの感受性は最高に素晴らしいと思うからどうかその感受性だけは死守していただきたいとお祈りしていますと伝えた。「学校なんていかなくてもどうにでもなるよ」などと軽々しく言ってしまう私は、もしかしたら彼女に悪い影響を与えているのかもしれない。でも、実際どうにでもなるのだと思う。テレビやネットでは「どうにもならないかもしれない」不安や恐怖を煽る情報が大量にあふれているけれど、リアル社会に踏み出せば「意外とどうにかなっているばかりか、想像以上に楽しそうに生きている人種」は結構な数、いる。

 

その後、私たちは「どれだけ耳当たりの良い言葉でも、直感的に『なんだか嘘っぽいな』と感じる言葉は聞き流す」とか「やりたいことをやるのも大事だとは思うけど、やりたくないことをやらないことも同じくらい大事だと思う。笑いたくないのに笑っておくとか、沈黙が怖いから何かを話しちゃうみたいなこととか、そういうのは要らないと思う」とか「そういうのができるひとをいわゆる『社会性(社交性)のあるひと』とか言うのかもしれないけど、でも、無理をしすぎて潰れるひとたちを結構見て来た。笑いたいときだけ笑うひとの方が、俺の場合は信用できる。愛想笑いばっかりのひとよりも、笑いたいときだけ笑うひとの方が『いい笑顔をするひとだなあ』と感じることは多い」みたいな話をした。

 

やっててよかった「ごちゃまぜの家」

日常的に年齢の離れたひとと話せる機会があることは非常にうれしい。どんどん遊びに来て欲しいと思うし、一緒に過ごしているだけで勉強になる。小さなこども連れのお母さんが来てくれることも最高にうれしい(それにしても、なぜ、赤ちゃんと行動を共にしているのはお母さんだけなのだろうか。父親と赤ちゃんという構図を見る機会は少ない)。日本社会では、なかなか小さなこどもたちと一緒に遊べる機会は少ないけれど、ごちゃまぜの家の活動(?)をはじめてから「小さなこどもと戯れる機会」は結構増えた。これがうれしい。子育ての練習をしている気分にもなるし、ベイビーズたちから学ぶことも多い。稀に、大人たちに囲まれると「こいつらの精神は濁り過ぎていてやばい!」と感じることもあるけれど、目線を大人からこどもに移すだけで、呼吸が楽になる(ことがある)。

 

体調不良が続いているが、精神だけは死んでいないつもりだ。こどもを見ていると「こいつらは元気がありまくってていいな。おれにもちょっとわけてくれよ」と思う。どうしてこんなに元気があるのかを観察しまくった結果、ひとつだけわかった。こどもたちには「圧倒的に無駄が多い」ということ。いちいち飛んだり跳ねたりしなくてもいいところで、あいつらは飛ぶ。あいつらは跳ねる。あいつらは騒ぐ。カラダを動かしまくることで「おのずから発電しまくっている」状態に置いている気がする。私は安易な人間なので「そうか!こどものように無駄にカラダを動かしまくっていれば、常にターボ全開でおらおらおらっと生きていけるのかもしれない!」と思うようになった。

 

カラダを動かさないとアタマがおかしくなる。こどもたちが元気なのは、多分、カラダを動かしまくっているからだと思う。言い方を変えれば「無駄にあふれている」からなのだろう。やつらはいちいち意味など考えない。価値も考えない。考えていることは「面白いかどうか」くらいのもので、面白ければとどまるし、面白くなければ次に行く。それ【面白ければとどまるし、面白くなければ次に行く】が人間として自然なのかもしれないと思う。これは多分、おとなもこどもも同じだ。やれと言われるとやりたくなくなり、やるなと言われるとやりたくなる。やりたいことだけやりたいと思っているが、しかし、やりたいと思っていることでさえ「やれと言われるとやりたくなくなります!」と感じる心の動きは、誰の中にでもあるのではないだろうか。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『モモ』

f:id:ibaya:20171104181131j:image

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ミヒャエル・エンデ著作『モモ』です。小生、現在32歳になるのですが生まれてはじめてこの本を読みました。そして「これはすげえ本だ!」と猛烈に感動をいたしました。このタイミングで読めてよかったなあと思える最高の一冊です。なんかもう、小難しい本を読むよりも子供向けの小説とか絵本ばっかり読んでいた方が、精神衛生上もすこぶるよろしいのではないだろうかと思うことの多い昨今です。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

たとえば、こう考えている人がいたとします。おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間のなかのケチなひとりで、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。

 

こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

 

ミヒャエル・エンデ『モモ』【岩波少年文庫

 

人生は、生き方ではなく「遊び方」の勝負である。

冒頭の写真は、高校生のA様が「私もなにかやらなきゃって思ってたときに、坂爪さんのブログを見たら『おはなをくばる』ってのをやってて、よし、わたしもそれをやろうとは思ったのですがおはなを買うお金がなかったので折り紙でおはなを作ってそれを配ることにしました!」と、ごちゃまぜの家で折ってくれた花束になります。写真だとなかなかうまく伝えることができないのですが、非常に完成度が高くて(そしてA様の人柄が伝わってくる素晴らしい温度感で)最高だなあと感じています。我々、なう、非常に牧歌的な時間を過ごしております。

 

 

A様が「大学に行くか行かないかいまでも全然迷うのですが、どうしたらいいですかね〜」的なことを話す。その場にいた私(とロゼカンパニーの徹さん)は「大学に行かないならいますぐにでも一緒に遊べるし、大学に行くならしばらくしてから一緒に遊べるようになるわけだね」的なことを言った(このニュアンスが伝わるだろうか…)。このようなことを話しながら、ああ、自分は「どう生きるか」よりも「どう遊ぶか」を考えていた方が日々に充足感を覚えるタイプの人間なのだな、なにが正しいかなんてわからないけれど「なにが楽しいか」だったら少しくらいわかる。それならば、正しさよりも楽しさだ的な波乗りで、生き方ではなく「遊び方」に重点を置いた生き方を心がけた方が(とりわけ体調を崩したりメメントモリが行き過ぎたときは)有効なのだろうなあと思った。

 

 

人生は、生き方ではなく「遊び方」の勝負である。わたしの場合、そんな感じで世界を捉えていた方が、のびのびと健やかに日々を楽しむことができる。大学に行かなければひとにあらず、正社員でなければひとにあらず、そういう価値観でひとを値踏みする部族もこの世の中にはいるのかもしれない。きっと、それはそれでありなのだと思う。そういう部族から見ると、我々のような生き方は「そんなんじゃ生きていけないよ」的なツッコミどころ満載の生き方になるのだろう。それに対して我々が言えることは「そんなんじゃ生きていけないとは言われますが、しかしながら、そんなんで生きてきてしまったのは事実なのです。もちろんこれからどうなるのかはわからないけれど、それはあなたもわたしも同じこと。それならば、できるだけ自分がハッピーになれる道を選びたいではありませんか」みたいなことを思っている。

 

 

 

f:id:ibaya:20171104164040j:plain

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

f:id:ibaya:20171016103916p:plain

LINE ID ibaya