いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

弱さは「希望」だ。

f:id:ibaya:20161011180231j:plain

藤沢から熱海までおよそ55キロを(電車賃がないからという理由で)お借りしたロードバイクで移動をした。途中、小田原から熱海にかけての山道が地獄のような厳しさで、何度か「このまま死んでしまえたら楽になるのにね」的なタナトスの甘い誘惑に敗れかけたものの、同時に「何度も何度も何度も何度も懲りることなくこの道を自転車で走り続ければ、いつの日か、自転車を降りることなくこの道を駆け抜けられる肉体を獲得できるかもしれない」という希望を獲得した。


ボロボロの状態で熱海に到着をしたものの、ボロボロの状態で飛び込んだ温泉のよろこびは格別だった。自分の肉体を酷使する瞬間の中には、多分、原始的な喜びがある。いままでも電車やバスや飛行機で移動をすることは多かったけれど、どれだけ長距離を移動したとしても、自分の体力を使わない移動だったために「疲れたー!(でも、全然疲れてねー!)」という矛盾する感覚を抱いていた。自分の肉体を酷使するからこそ、到着した時のよろこび、到着した時の手応えは、より一層のものになる。

クロスバイクの神様の降臨。

過去記事を見てくれた男性から、奇跡的なメールが届いた。

坂爪様

はじめまして。
◯◯と申します。栃木県足利市に住む
24歳男性です。

ブログ、いつも興味深く読んでおります。ありがとうございます。

前置きが不器用で恐縮ですが、
わたくし自転車がとても好きで、
本日ブログの投稿を見て、カレラの
ロードバイクという記述にひとり
喜びを感じました。

最近あまり乗っていないブリヂストン
クロスバイクがあるのですが、
もし坂爪さんがご希望なら無料で
お譲りします。サイズM、スチールフレーム、泥除け、荷台等付属です。

都内もしくは川崎あたりまでなら
お持ちできます。

ご興味ありましたら連絡ください。

遅くに失礼しました。

◯◯◯◯

iPhoneから送信


私は「なんということだろう!!!!!」と興奮をした。クロスバイクを譲ってもらえるということももちろん半端なくありがたいことだけれど、何より、このような素晴らしい器を持った男性が同じ時代を生きているのだということに感動をした。ロードバイク初心者である私でも、たった1日、藤沢から熱海にかけて自転車をかっ飛ばしただけで「自転車はこんなに面白いものなのか!」と興奮をしていたものだから、このような形で声をかけてくださる方の存在は、本当にありがたいことだと感動をした。

貰い物だらけの日々の中で。

思えば、貰い物だらけの日々の中を過ごしている。熱海の家も、食器も調理器具も冷蔵庫も洗濯機も、ソファも扇風機もコタツも布団もヨガマットも本も本棚も、電飾もバイクも自転車も日常的に使い倒している鞄も靴もiPhoneiPadWiFi環境も、すべて、こころある皆様が購買してくれたもの(あるいは、使わなくなったものを譲ってくれたもの)で構成されている。これは決して自慢をしたい訳ではないのだけれど、私は「なんて恵まれた人間なのだろう!」と思う。

何度も書いていて恐縮だけれど、私は、お金を稼ぐことが非常に苦手な人間である(「売る・買う」より「あげる・もらう」の関係性を愛している)ために、これらの品々を自分ひとりの力で購買することは、おそらく、一生をかけても出来なかったことだと思う。熱海に遊びに来てくれた方々も「どうすればそんなにものを貰えるのですか??」と尋ねてくださるけれど、私にも、何が原因でこんなにものを貰えるのかはわからない。ただ、確実に言えることは「坂爪圭吾は、生きているのではなく『生かされている』のだ」ということです。

だからといって、必ずしも365日24時間常によろこびに溢れた日々を過ごすことができている訳では決してなく、自分の生き方に自信を失くしてしまうことや、何もやりたいと思えることのない自分を責めてみたり、ちょっと先のことを考え過ぎては弱気になってしまう(自爆をする)こともある。そんな時、私は「できるだけ身体を動かす」ようにしている。それがすべてを解決してくれる訳ではないけれど、僅かでも自分のこころが感じている負担のようなものを、軽減することができるように感じている。

賛美歌「慈しみ深き」に慰められる。

生きる気力をなくした時、私は、以下の三つのことを意識するようにしている。それは「好きな歌を歌うこと」「好きな道を歩くこと」「好きな人を思うこと」の三つになるのだけれど、歌に関しては、これを歌おうと思って意識的に口ずさみ始めることよりも、いつの間にか自然と歌い始めていることが多い。何を歌い出すのかはその時々の心境によって大きく変わる(自分でも「なぜ、この曲を歌っているのだろう」と思うことが多い)が、最近は、謎に賛美歌の『いつくしみ深き』を口ずさむことが多い。


つくしみふかき ともなるイエスは
つみ とが うれいを とりはりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを

誰でも一度は聞いたことがあるであろう、この曲の歌詞の後半部分を訳すると「心の中にある嘆きの気持ちを、隠すことなく神様に伝えることによって、背負っている重荷をおろすことができる」というものになる。この言葉を、このメロディーに乗せて口にするだけで、不思議と体が軽くなる感覚を覚える。ちなみに、大切なことは「頭で思い浮かべるだけではなく、実際に声に出して歌うこと」だと思っている。

つくしみふかき ともなるイエスは
われらのよわきを しりて あわれむ
なやみ かなしみに しずめるときも
いのりに こたえて なぐさめたまわん

この曲の二番の歌詞「われらのよわきを しりてあわれぬ」という箇所にもグッと来る。この歌詞を口ずさむと「誰にでも弱い部分ってあるよね。しかも、それを外に出せないから余計に辛くなっちゃうことってあるよね。泣けたらどれだけ楽になるのだろうかとか思いながら、行くあてもなく夜の街をひとりでぶらつく時ってあるよね」的な気持ちになる。

つくしみふかき ともなるイエスは
かわらぬ あいもて みちびきたもう
よの とも われらを すてさるときも
いのりに こたえて いたわりたまわん

この曲の三番の歌詞「よの とも われれを すてさるときも」という箇所にもグッと来る。自分のまわりから誰もいなくなったとしても、神様だけは見捨てることなく深い慈愛を与えてくれるという意味になるのだろうけれど、グッと来る。私は、頻繁にさみしさに包まれることがあるのだけれど、さみしい時、それは「(ひとに優しくされたいと思うだけではなく)ひとに優しくしたいと思うとき」なのではないだろうか、ということを思う。


私は、一応無宗教ということになるのだろうけれど、キリスト教徒にとっての『イエス』的なものを、自然に対して抱くことがある。元気な自分を肯定することは易しいけれど、元気のない時の自分を肯定することは難しい。だからこそ「何かをしなくちゃいけない!」という思いに苛まれてしまうこともあるけれど、そういう時こそ、自然の「ありのままでそこにある」その姿に、深いやすらぎを覚えることがある。そして「自分も自然の一部なら、自然を愛するように自分を愛していきたい」という思いに立ち戻る。

『お灸のすすめ(+せんねん灸オフ)』

f:id:ibaya:20161011184154j:plain

今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、池田書店『お灸のすすめ』です。こちらの本+お灸(実物70点入り)は、熱海に遊びに来てくれた方が「これはいいですよ!」とご持参くださった、本とお灸のセットになります。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

古くから親しまれてきた自然療法、「お灸」。実は、高温多湿な環境や、水分をたっぷり含む食文化を持つ、私たち日本人には相性ばつぐん。小さな刺激で体をじっくりあたため、いたわることのできるお灸を、ぜひ、体感してみてください。ー 『お灸のすすめ』【池田書店


弱さは「希望」だ。

あがったりさがったりを繰り返しながら、日々は続いている。自分にとって嫌なことがあると、その嫌なことばかりにフォーカスをしてしまって「あああ、この人生はクソだ!!」などと思ってしまうこともあるけれど、多分、チャップリンも言う通り『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』ということなのだと思う。大事なことは、自分の人生を、自分自身を肯定していこうとする姿勢【ロングショットで眺める余裕】なのだと思う。


稀に、このような生き方しかすることのできない自分を「ダメだなあ」と思うこともある。もっと『しっかり』生きないととか、もっと『ちゃんと』しないととか、そういうことを考えてしまうこともある。こういう場合、私は、自分を「得体の知れない普通と比較をする」ことによって酷く傷つけているのだと思う。しかし、自分がこのような生き方しかすることができなかったからこそ、出逢えたよろこびや感動があることも確かであり、そういうことを思い出す時に「これはある種の因果だな」という気持ちになる。

前回の投稿を見てくださった方から、一通のメールが届いた。うまく言葉にすることができないけれど、私は「自分の弱さに支えられている」のだということを思った。自分が弱い存在だからこそ、弱さの余白に希望は舞い込み、多くの助力を得ることができる。自分が弱い存在だからこそ、自分が自分を励ますために必要とした言葉の数々が、同じような弱さを抱えるひとにとっての(酷く傲慢な言い方になるけれど)ある種の光になることができる。「それならば」と、私は思う。自分の弱さを忌み嫌うだけで終わらせるのではなく、ひととひととを結び付け得る尊いものとして、大切に扱っていきたいと思った。


こんにちは。はじめまして(*^^*)
◯◯◯◯と申します。
わたり文庫の『いつも忘れないで』読んでみたいと思い、応募します♪♪


いつもメールを読ませて頂いてます!
ここ2週間程気持が塞ぎ込んで、家に引きこもっていました。(現在妊娠4ヶ月の専業主婦です)
やりたいことも見つからず、楽しいと思えることもわからないような気持ちだったのですが、
そんな時に坂爪さんのブログを読んで、

この子のためじゃなく、
私のためにこの子(お腹の子)と生きたい!

と言う言葉が浮かんで、すごい勢いで泣きました。
私のために動く
本当はずっとそうしたくて、
そうしていいんだと坂爪さんの言葉に背中を押された気がしました!
どこかで子供のために我慢しなきゃ…って思ってたんです。それが常識なんだと。
もちろん体調を優先して無理なくですけど、
妊婦でも、出来ることがある!
そう思えました(*^^*)
今やりたいことは、会いたい人に会いに行くことです。
そして食べたいものを食べることです♪

坂爪さんのブログで元気を、気づきをもらいました!
ありがとうございます(*^^*)

メールが長くなって申し訳ありません!
応援しています!!

◯◯◯◯

f:id:ibaya:20161011180215j:plain

人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com