いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【TPE-バリ島】本当の豊かさを教えてやる。

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台北を経由してインドネシアバリ島にはいった。ウブド地区(大量の猿が生息している)の山奥で開催された瞑想会に招待していただき、軽いゾーン体験をしてきた。軽いゾーン体験をしてきたというのは実は嘘で、瞑想バージンである私は「呼吸とは!」とか「姿勢とは!」とか「邪念を振り払うとは!」といった感じで、瞑想中も常に心が乱れていた。


定番を抜け出し、価値観を変える情報に出逢え。

瞑想会のホストのお導きにより、様々な啓示を受けた。啓示を受けたというのは実は嘘で、啓示を受けたような気がする。その内のひとつが「定番を抜け出し、価値観を変える情報に出逢え」というお告げである。人間は、多分、習慣の奴隷だ。常日頃考えているような物事というものは、多くの場合、どうしたって長年親しんできたパターンにはまってしまう。思考の癖のようなものがあり、似たようなことを考えて、似たようなことに悩み、似たような形の解決策を出したりする。

そんな中、私が瞑想中に獲得した啓示のひとつが「定番を抜け出し、価値観を変える情報に出逢え」というものだった。そして、私はドキッとした。ここ数年、私は「家がなくても金がなくても仕事がなくても人生はどうにかなる」的なことばかりを発言していた。それはそれで素晴らしいことなのだけれど、若干、ワンパターンに過ぎる。定番を抜け出せ。ゾクゾクする言葉だ。

それでは、どうすれば定番を抜け出すことができるのだろうか。

死にかけるたびに強くなる。

瞑想をしながら、謎に、ドラゴンボール孫悟空カリン塔でミスターポポと格闘している場面が頭から離れなかった。私は、超サイヤ人の「死にかけるたびに強くなる」という構造をリスペクトしている。瞑想の後半は、謎に、不死鳥の象形文字が脳裏に浮かんでいたりした。孫悟空と不死鳥に共通している事柄は何だろうか。これは、乱暴にまとめると「死ね」ということになる。

これでは乱暴に過ぎるので、もうちょっと具体的に説明すると「安心して死ね」ということになる。更に説明すると「死にかけるたびに強くなる。これから何度も死にかけて、そして、何度でも強くなるのだ。だから、安心して死ね」ということになる。「死」という言葉は強いが、これをやったら自分がダメになるかもしれないということに、勇気を出して飛び込んでみろということなのかもしれない。

調子に乗ったら即死する。

家のない生活を二年ほど続けて、幾つかの信条を獲得した。そのうちのひとつが「自分をオープンにしている限り人間は死なない」ということであり、もうひとつが「調子に乗ったら即死する」ということだ。日本のモスクワでお馴染みの新潟県で、三人兄弟の末っ子として生まれた私は、すぐに調子に乗る。非常に甘やかされて育ったために、先日話した心理学者もどきには「永遠の赤ん坊」と言われた。

瞑想をしながら「愛と感謝を忘れるな」と言われた。ネガティブな表現を避けて、周囲の人間に対して自分ができる最大限のことを行うように努めること。自分が生まれ持ったパワーを最大限に生かすには、冷静に物事を判断しながら、自分のインスピレーションを信じることだ。優しさを忘れたらアウトだ。傲慢になったら殺されるぞ。表情筋のトレーニングを怠るな。調子に乗ったら即死する。自分は生かされているのだということを忘れるな。

義務教育は終わった。

寒い場所にいると気分が沈む。暖かい場所にいると気分が上がる。自分の感情なんて単純なもので、気温が30度近くにもなるバリ島にいると「夏、再び!(いろいろなことがどうでもいい)」という気持ちになる。海で泳ぐ。海で眠る。海でスイカジュースを飲む。多幸感に満ち溢れる。格安航空券の普及により、誰もが気軽に海外に足を運べるようになった。自分が暮らす場所も、自分が過ごす季節も、いまでは自分でチョイスを出来る時代になっている。

義務教育は終わったのだ。

いまの自分は遊び呆けているだけに見えるかもしれないけれど、若い時期特有の無様なモラトリアム状態に映るかもしれないけれど、これは断じて人生の夏休みなんていうものではない。多分、人生そのものが夏休みなのだと思う。人間には二種類いる。夏を勝手に終わらせる人間と、夏を勝手に終わらせない人間の二種類だ。夏を勝手に終わらせてはいけないのだと思う。

猿に襲われて負傷した。

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小猿を眺めていたら、親猿に襲われた。

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野生である。

本当の豊かさを教えてやる。


バリ島で時間を過ごしていると「本当の豊かさとは何だろうか」という気持ちになる。特別なことは何もしないで、日光を浴びてプールサイドで読書をしたり横になっているだけでも幸せを感じる。鳥の鳴き声と、水が流れる音だけが聞こえる。多分、ひとそれぞれに、豊かさを感じる瞬間はいろいろあるのだろうと思う。皆の豊かさを知りたいと思った。そして、私はどのような時に『真の豊かさ』を感じてきたのだろうかということを考えていた。

冬にこたつで鍋を囲む時。沈む夕日を眺める時。海辺で焚き火を囲む時。星空の下にテントを張って眠る時。仲間と音楽を合わせる時。登る朝日を眺める時。面白い本に遭遇した時。ソフトテニス経験者の女子と卓球をする時。森の中を散歩する時。湧き水で淹れた珈琲を飲む時。自分の感情を的確に表現できた時。真冬の滝行の後に入る温泉。過酷な一本下駄登山の後にファンタグレープで乾杯をする時。新しい何かに挑戦する時。誰かと心を通わせることができた瞬間。世界にまるで二人しかいないような、そんな気持ちになれた時。

前回の投稿でも書いたように、今月からは熱海にひとつの拠点を持つことになるかもしれない。そこでは「本当の豊かさとは何か」というものを追求してみたい。同じように、自分には知らない豊かさを知る人々から「本当の豊かさ」の何たるかを教えてもらいたい。そして、多くの人々とその豊かさを共有したい。現在の自分が知っていることなど、多分、全体の1%にも及ばないのだろう。心を開こう。定番を抜け出し、価値観を変える情報に出逢うこと。私は、豊かさを全身でくらいたい。そして、近い将来「本当の豊かさを教えてやる」みたいなことをお互いに言い合えたら最高だ。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com