いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

【KIJ-洞窟のオフィス】現状を打破する道は唯ひとつ、勇気を出して、自分が恐れていることをやることだ。

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佐渡から新潟市内に戻り、仲間内で「屋内で大量の電力を消費しながら遊ぶのはダサい!これからは『屋内』から『屋外』の時代だ!」ということになり、結果的に「洞窟で暮らすのはアツイ」ということになって、洞窟で暮らしていた。洞窟で思うことあれこれをまとめます。

1・テントで眠ると常識が拡張する。


私が敬愛している新潟のアウトドアブランド・スノーピークの山井社長は(非常に良い意味で)頭が狂っていて、「テントで眠ると人生が変わるよ」と仰っている。人生が変わるとは、言い換えれば「自分の中の常識が拡張する」ことを意味する。世界は何も変わらなくても、世界を見る目が大きく変わる。

過去に香港で野宿をした(高級ホテルの脇にあるスペースにダンボールを敷いて眠ったので『リゾート野宿』と名付けた)時にも感じたが、海外でも野宿は可能であるという事実は「最悪の場合はホテルがなくてもなんとかなる」という勇気を与えてくれた。

こうでなければいけないと思わされていることの大半は幻想であり、新しい世界に触れると「人生はどうにかなるばかりか、自分が思っている以上に楽しい(楽しくしていくことができる)」ことを実感できる。

2・天真爛漫な女性の姿には、男性をリラックスさせる力がある。


自然の中で食べる料理は数倍増しで美味い…Bluetoothのステレオを用意したり、使い捨て傘の内側にアルミホイルを敷いてソーラークッカーを自作したり、小型のギターや小さなボールをひとつでも持ち込めば、最高の遊び場が完成する。画像のパスタは映像作家の友達・T氏が手作りしてくれた。私は引き続き「究極のホットサンド作り」に精を出している。食パンにバナナとアボカドとチーズを挟み、蜂蜜やクレイジーソルトをかけて焼けば主食にもデザートにもなることが判明した。

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舞踏家・H氏は「野菜スープ」をつくっていた。他にもH氏は「野外でナンを焼いてみたかったのー☆彡」と言いながら、無心でパンを捏ねていた。天真爛漫な女性の姿には、男性をリラックスさせる力がある。パンを捏ねている無心の時間は『ゾーンに入れる』らしく、非常に良い顔をしていた。

3・自分が素晴らしいと思う習慣を日常にインストールする。


過去に東京の代々木八幡で暮らしていた時、早朝の散歩で八幡を訪れた。誰もいない境内を歩き、自然を眺め、参拝を済ませたら「最高な一日のスタートが切れた」という清々しさを感じた。しかし、当時の私は《自分が素晴らしいと思うものを日常にインストールする》という発想を持つことができなったために、早朝の参拝を『稀に味わう非日常的な楽しみ』程度のものとして認識するミステイクを犯した。

結果、代々木八幡に足を運ぶことは二度となかった。

自分が素晴らしいと思うものを非日常のままにしておく必要は微塵もなく、自分が夕陽を最高に愛しているのであれば、(一年に一回とか一ヶ月に一回とかではなく)別に毎日のように眺めに行ってもいいのだということを思った。人工的な娯楽には必ず飽きが来るが、自然には飽きることがない。

4・普遍的な喜びを味わうには「身体を動かす」「ものをつくる」「自然に触れる」


私は過去に躁鬱病統合失調症椎間板ヘルニアのトリプルパンチで、およそ半年間の寝たきりの生活を送っていた。あの頃は地獄だったが、奇跡的な復活のきっかけは『ビリーズブートキャンプ』の存在だった。

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・身体を動かす
・ものをつくる
・自然に触れる

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この三つの中には普遍的な喜びがある。自分の調子が悪いなと感じるときは、大抵、このどれかが足りていない。重要なのは「頭で考えること」ではなく「身体で感じること」であり、日光を浴びる、焚き火を囲む、料理をつくる、自然に触れることなどを通じて、自分の身体をチューニングしていく。


5・「おれの人生は間違ってなかったという名前の味の珈琲」が染みる。


この時期はまだ早朝の寒さが身に染みるが、その代わりに飲む珈琲の美味さが格別になる。大袈裟だけれど、昇る朝日を眺めながら飲む珈琲には「おれの人生は間違ってなかった(このようなクソみたいな生き方をしているけれども、それでも確実に感じている喜びがある)」みたいな気持ちになる。

6・普通の生活の中にもシンプルな喜びはたくさんある。


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ノイズの少ない場所に行こう。

7・自分を認めてくれない周囲が憎いのか、周囲に溶け込めない自分が憎いのか。


奇跡的に中学校時代の同級生と遭遇し、幾らか話をした。私には悪い癖があって「どうせ誰も自分のことなんて見てくれないのだから、自分だって無視をしてやる」みたいな精神状態で10代を過ごした。自分を認めてくれない周囲が憎いのか、周囲に溶け込めない自分が憎いのか、おそらくその両方なのだろう。結果的に「誰も友達がいない灰色の学生時代を過ごした」みたいな感じで記憶に残っている。

久し振りに話した友人曰く「お前のブログを読んでいるよ。おれもこの前、ひとりでクアラルンプールに行ったんだ。一人旅はいいよね、寂しくなるけど、学べることもたくさんある。青森にひとりで行った時も、物凄い寂しくなっちゃって『嫁に会いたい…』って思ったけど、でも、良かった。けいごは、俺らみたいな人間は嫌いなのかなとか思って最初は声をかけられなかったけど、久し振りに話せて良かったよ。言葉だけを読んでいるとコワい奴になっちまったのかなとか思っていたけど、変わっていなくて嬉しかった。今度、一緒に海外とかにも出掛けようぜ。お前はブログで『友達がいない』とか書いているけど、部活も一緒だったし、おれは友達だと思っているよ」

8・愛されるから愛するのではなく、自分から愛していこうとすること。


私は自分が恥ずかしくなった。自分で勝手に「俺はひとりだ」と拗ねていただけのように思えて、嫌われる前に自分から他人を嫌おうとする器の小ささに辟易とした。そして、同時に強烈な嬉しさを覚えた。自分の考えを持つことは素晴らしいことだけれど、それに拘泥し、対立するものを排除し、他者を寄せ付けない雰囲気を醸し出しながら、頑なな姿勢で生きるだけでは「愛」が足りない。

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嫌われる勇気とは「嫌われる前に自分から嫌う」ことではなく、嫌われることも覚悟で自分の筋を貫くことなのだろう。自分を理解してくれないものを嫌う姿勢のことではなく、周囲からは嫌われたとしても、それでも(厳しいばあいもあるけれど)自分から愛していこうとする姿勢のことなのだろう。

9・本物の感動は人間を「別人」にする。


どれだけ美しい景色を見ても、どれだけ素晴らしい出会いに恵まれたとしても、その感動はその瞬間だけのものであり、今日の感動には絶対にならない。何かに強く心が動かされたのであれば、その瞬間から『別人』になり、今日の生き方(自分自身の生き方)に繋げていくことが大切になる。

10・「明日死ぬかもしれない」ということ。


最後の瞬間には「成功したか失敗したか」みたいなことはどうでもよくなり、究極的には「(成功も失敗もすべてを含めて)何をしたか」「(よろこびだけではなく悲しみや苦しみも含めて)どれだけの感情を味わうことができたか」が、自分の人生の充足度を決めるパラメータになるのだろう。

「明日死ぬかもしれない」というのはいい、みんなが平等で、あるのはこの瞬間だけ(この瞬間を大切にしよう)という気持ちになる。生きているのはいまだけだということ、他人から誤解されることや自分が傷つくことを恐れてしまうこともあるが、やがて、傷つくことすらもできなくなる日が必ず来る。

人生の醍醐味は成功することだけではなく、喜びを味わうことだけでもなく、対極も含めた全体性にあるのだろう。成功だけを求めるのではなく、喜びだけを求めるのでもなく、包括的な「生きる」ということに命を賭けていたい。そして、死ぬ時は「カラフルな人生だった」と思いながら、天国に行きたいものだ。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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