いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【ROM-バチカン】失敗のない人生こそ失敗である。- 日本の生物学者曰く「生きるとは古いものを捨てて、新しいものを取り入れることだ」

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ヘルシンキ経由でローマに着いてバチカン界隈を巡った。ヘルシンキからローマ便に乗り換える予定が、飛行機の大幅な遅れで乗り換えが不可能になり、前日の夜は急遽ヘルシンキのホテルに一泊した。どうなるものかと思ったが、フィンランド航空が(自分では到底宿泊できないレベルの)ホテルを手配してくれた為に、比較的優雅な時間を過ごせた。翌朝の便で無事にローマに到着した。

先月末に「坂爪さんを誘拐してもいいですか?」という連絡をもらい、現在はその女性と一緒にイタリアを巡っている。すべての旅費は彼女が負担してくれることになった。人生は何が起こるかわからず、現在の私はバチカン市国で広大な青空を眺めている。南欧で思うことあれこれを10ヶ条(?)にしてまとめます。

1・あらゆる意味において「世界には様々な人がいる」ということを実感できる。

私を誘拐してくれた女性について説明することは難しい。年齢は25歳で福岡在住で私と会うのは今回が三回目(はじめて会ったのは今年の一月)になる、ということ意外に彼女を説明することはできない。ただ、彼女のおかげでこうしてヨーロッパの大地に足を踏むことができていることには非常に感謝している。彼女が話してくれたエピソードが凄かった。

「前にまとまったお金が入った時に『自分が一番やらなそうなことをやろう』と思って、実験的に株式投資をやってみたんです。詳しい人に話を聞くと『投資の基本は分散だ』って言われたのですが、いろいろと面倒臭くなったのでひとつの企業に全部まとめてお金を入れちゃえと思ってまったく知らない会社に全力投球したら、驚いたことに坂爪さんを誘拐すると決めてから(既に旅費を全額払ったあとから)株価が急上昇して、結果的に旅費はすべて取り返すことができました」

それを聞いた私は「ほんとうにすごいですね」としか言えなかった。そして、2015年の坂爪圭吾は『歩くパワースポットのようなものになりますよ』とスピリチュアル界隈の人に言われたことを思い出した。ローマにもバチカン市国にも(日本にいたら瞬時に浮いてしまうような)様々な人が行き交っている。しかし、彼らもこの地においては完全に溶け込んでいた。様々な人がいることを通じて「自分みたいな人間も存在していていいんだな」的な肯定感を獲得できる。

2・「一緒にいてもいい人」とではなく「一緒にいると元気になれる人」と同じ時間を過ごすこと。



これだけ彼女のお世話になっておきながら、初日は口論が絶えなかった。結論から言うと「気を遣うのも、気を遣われるのも大嫌い」という点において一致した我々は、翌日からはお互いが可能な限りセルフィッシュに振る舞うことでストレスは霧散した。余計な気配りが人間を磨耗するのであって、自由に好き勝手に振る舞い続けても別に成立する(何も問題は起こらない)ことを痛感した。

3・「坂爪さんはあれですか、ピーターパンシンドロームみたいなやつですか?」と尋ねられた。

こちらの女性から「坂爪さんは想像していたよりも圧倒的にこどもみたいですね、もしかしてあれですか、ピーターパンシンドロームみたいなやつですか?」と尋ねられた。彼女がその質問をした時、私はホテルの朝食バイキングで固めのパンに大量のイチゴジャムを塗りつけながら、赤色のジュースと炭酸水を手元に控えつつ、同時に大量のシリアルに大量のヨーグルトをかけながら「最高に幸せだぜ!」みたいなことを叫んでいた。

その時は冗談で「(シンドロームとかではなく)俺自身がピーターパンだ」みたいなことを言って適当にごまかしたが、言葉にした瞬間に「ほんとうにその通りかもしれない」という気持ちになった。私は今年で30歳になるが、心の何処かでは「大人にならないと決めた」自分の存在(どうしようもないこどもの部分)を感じている。

4・日本の生物学者曰く「生きるとは古いものを捨てて、新しいものを取り入れることだ」


驚いたことにこのツイートが猛烈な勢いで拡散されている。人生の基本は新陳代謝である。断捨離についての情報が広まる背景には、現代人全体が「(情報デブ・物質デブ的なものによる)便秘」になっているのかもしれないと思った。

5・「出す」とスッキリする。

3月29日(日)東京で開催された「野川でつなひき」というイベント(川を挟んで綱引きを行い、負けたチームが川に落ちるという内容)を通じて、久しぶりに「全力を出す」ことのよろこびに触れたことを思い出していた。

大人になると「全力を出す」「大声で叫ぶ」「本気で走る」みたいな機会は圧倒的に減少する。こどもが元気なのは常に全力だからなんじゃないだろうか、と私は思う。本気を出す、全力を出す、自分を出す、大声を出す、ストレスを吐き出す、深く息を出す、何でもいいからとにかく出す、文字通り「出す」という行為には人間の新陳代謝を促進する何かがあるのだと思う。

6・停滞感や閉塞感を覚えた時には「新しい何かを入れる」よりも先に「古い何かを出す」こと。


海外に暮らしている人達はよくも悪くも「ほんとうに適当だな」と思うことが多い。逆に言えば、日本に足りないのは精神的な余裕なんじゃないのだろうかと頻繁に感じる。あらゆるモノやサービスは世界的にも最高レベルのものが備わっているが、唯一「精神的な余裕」だけが欠落している。

何かに不安や恐怖心を覚えた時、どうしても私たちは何かを備えようとする。備えるというのは「入れる」行為であるが、入れる前に「出す」必要がある。何かを備え過ぎた結果、身の回りを固め過ぎて身動きがとれなくなってしまっては本末転倒であり、捨てることで生まれる自由もある。

7・実は「準備」なんてしなくても良いし、完璧な準備なんてものも存在しない。

海外に行くことに必要な準備はほとんどない。バニラやピーチやジェットスターなどの格安航空会社を幾つか調べて、予算に見合った航空券を獲得すれば明日にでも行ける。ガイドブックを事前に読む必要は皆無で、持ち忘れたものは幾らでも現地で調達できる。渋谷に買い物に出かける感じで、数日分の着替えだけ荷物に入れたら何処へでも行ける。

私たちは、いつの間にか「何かをするには事前の入念な準備が必要だ」みたいな常識に毒されてしまっている部分が多大にある。しかし、完璧な準備なんてものが存在しないし、自分の不完全さを埋め合わせる力(要するにイレギュラー力)を養うために移動をするのであって、マニュアルをどれだけ暗記しても実際に路上に出なければ車の運転を覚えることは出来ない。

準備をしている間に年齢を重ねて体力を喪失するのは愚の骨頂であり、実は「準備」なんてものは必要ないのかもしれない。考えてから(正解を知ってから)何かをやるのではなく、全身でぶつかりながら考えた方が成長スピードは増す。そして「意外とどうにかなるのだな」のだと五感を通じて実感できる。

8・自分を見つめ直せる時間や、自分ひとりになれる空間を確保すること。

ローマには大小様々な聖堂が各地にあり、観光地を除けば非常に静かな空間の中でひとり自分を見つめ直す機会を得られる。静謐な空気が漂う中で自分ひとりになれる時間を確保することは、精神衛生的にも非常に素晴らしく、たとえ僅かな時間だとしても最高なクオリティを叩き出せる貴重な時間を獲得できる。

バチカンなどの建造物に触れると、当時の人間が「心の底から神と美と芸術を愛していた」ことが伝わってくる。これらへの強い情熱がなければ到底成し遂げることはできなかったであろう規模の創造物に触れると、敬虔な気持ちになる。敬虔な気持ちになることを通じて、大袈裟な表現になるけれど「自分という存在も神の手による創造物のひとつである」ということを思い出すことができる。

9・同行している女性が「失敗のない人生こそ失敗である」のだと、突然私に語りかけてきた。

何を思ったのか、目の前でブログを更新している私に向かって「失敗のない人生こそ失敗なんだと思ったんです」と彼女が唐突に語りかけてきた。私は同時にふたつのことをすることができないので「お、おう」と答えることしかできなかったが、良い言葉だなと思った。

結局、人間を鍛えるのは「成功した思い出」よりも「失敗した思い出」であり、見舞われたハプニングが大きい旅先ほど忘れらない印象が残るものだ。人生が旅と同じようなものだとすれば、(無難な道を選ぶよりも)どんどん痛い目にあった方が単純に面白いし、結果的に人間的にもタフになれたら最高である。

10・自分を過小評価してはいけない。

普段はやらないことに挑戦したり、勇気を振り絞って新しいアクションを起こしたりすると、思っていた以上に「やればできるじゃん、自分!」みたいに感じることが頻繁にある。自分の可能性が広がっていくような瞬間に感じる喜びは何物にも代え難く、自分を見くびっていたことを反省する。

自分で自分を過小評価してはいけないし、自分で自分を低く見積もってしまってもいけないし、自分で自分に天井を設けてしまってもいけない。

移動することの醍醐味は「やればできるじゃん、自分!」と感じる領域を広げていけることにある。世界には自分の知らない美しい景色が無数に転がっていて、この瞬間も私たちに発見されるのを待っている。美しい景色に出会うために、美しい景色を自分たちの手で創り出して行くために、新しい場所に足を運ぼう。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com