【TYO-代々木公園】ノイズや常識と呼ばれるものから可能な限りの距離を置くこと。ー 自分で「行く」と決めてさえしまえば、(地球の裏側だろうが)何処にでも行くことができる。
1・「楽しまなければいけない」「盛り上がらなければいけない」という同調圧力が凄い
正直に言えば私は人がたくさん集まる場所が苦手で、フェスなどで売店の人から「いえーい!盛り上がってる?」みたいな感じでビールを持ってこられると、勘弁してくださいという気持ちになる。「自分の内側から盛り上がってくるものがあれば盛り上がるし、自分の内側から盛り上がってくるものが何もなければ盛り上がることは不可能だし、ノリノリに身体を動かしている時だけが楽しんでいるという訳でもないし、静かに佇みながらも強烈なよろこびを噛み締めている時もあります」などと私は感じてしまう。
誤解を恐れずに言えば、大勢の人間が集団で群れている姿を目撃すると「何かを誤魔化している」印象を受ける。これは決して盛り上がっているのではなく、重要なことから目を背けているだけ、気晴らしや憂さ晴らしをしているだけ、単純に暇を潰しているだけ、限定的なコミュニティの中で仲良しごっこをしているだけ、みたいな印象を受ける集団からはできるだけ距離を置きたいと思っている。
2・「何かをしなくちゃいけない」という思いから自由になること
私は「こうあるべき」とされているあらゆるものが苦手で、そうしたければそうすればいいし、そうしたくないのであれば別にする必要はないと思っている。現在の私の課題は「何かをしなくちゃいけない」という思いからどれだけ自由でいられるか、というものになる。「何かをしなくちゃいけない」と感じてしまう背景には「自分には何かが足りていない」という欠乏感が不安心理が働いている。
世の中の流れが「新しいものを付け足すことが幸福」から「余計なものを削ぎ落とすことが幸福」に移転した。これは物凄い大きなパラダイムシフトだと思っていて、(言い換えるならば)前者は「幸せはまだ備わっていない」のに対して、後者は「幸せは既に備わっている」ということになる。
— 坂爪圭吾 3/30-5@FCO-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 8
時代の流れは「削ぎ落とし」に向かっている。新しい何かを求める(自分の外側に正解を求める)ことの先におそらく解決策は何も隠されていないし、自分の内面をどれだけ深く掘れるか(自分の内側に正解があると信じること)が重要になる。言葉にするのは容易だが、簡単にできることではない。
3・ノイズや常識と呼ばれるものから可能な限りの距離を置くこと
自分の内側に答えがあるとすれば、必要なことは「新しい情報を求めること」よりも「新しい情報を可能な限りシャットアウトすること」だと感じている。具体的にはスマホをいじる時間を減らしたり、無駄な人間関係を整理したり、生産性が限りなく0に近い飲み会に参加することを拒否したり、普段は行かない場所に足を運んだり、自然に触れて自分の中の野性な部分を取り戻すこと、などがあげられる。
要するに「ノイズから距離を置くこと」であり、世間的な常識から一旦離れて「(周囲の人間がどう思うかではなく)自分自身の欲求を知ること」が非常に重要であると思っている。普通はこうだよね、みたいな実在しているかどうかもわからない謎のイメージから距離を置いて、自分の欲求を知ること。
4・生きているということは「大丈夫だ」ということ
生きているということは「大丈夫だ」ということの最大の証明であり、(無職だろうがニートだろうが不登校だろうが精神的に不安定だろうが家や金がなかろうが)どのような状況に置かれているとしても、現在も無事に生きているということは「別に大丈夫である」ということなんだと思いました。
— 坂爪圭吾 3/30-5@FCO-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 28
現代社会は何かあれば不安を煽る。不安を煽られると「自分には何かが足りていない」という欠乏感を抱きやすくなり、結果的に自分の外側に正解を求めるように仕向けられてしまう。そうすれば企業側からすればどんどん商品を売ることができるが、消費者側からすれば「永遠に消費をしなければいけない(永遠に不安を煽られてはそれを埋め合わせる行為を重ねなければいけない)」事態に陥る。
自分の深いところから肯定感を得るためには、自分が生きているという当たり前の事実に「超OK!」と思えるかどうかにかかっていると思う。話はそこからであり、生きているということにOKを出せなければ、生きているということが不安に直結するために「死ぬまで不安を埋め合わせる」生き方をする羽目になる。
5・自分で「行く」とさえ決めてしまえば、何処にでも行くことができる
自分で「行く」と決めてさえしまえば、(地球の裏側だろうが)何処にでも行くことができる。自分で決めてしまうことの威力は半端なくて、自由だと思った瞬間にその人は自由になるし、不自由だと思った瞬間にその人は不自由になる。大概は「自分が望むような人生になっている」のだと思う。
— 坂爪圭吾 3/30-5@FCO-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 26
地理的なものでも精神的なものでも、自分で「行く」とさえ決めてしまえば、何処にでも行くことが出来る。ブラジルに行きたいと思えば格安航空券を調べて日程を抑え、ある程度の資金を貯めれば誰にでも簡単に行くことができる。行動を抑制しているのは「どうせ無理だろう」と思ってしまう自分自身のメンタルブロックのみであり、これさえ乗り越えてしまえば誰でも何処にでも行くことができる。
精神的にも同様のことが言えて、自分が「私は自由に生きるのだ」と決めてさえしまえば、その瞬間から自由に生きることができる。しかし、自由になると決めることには恐怖が伴う。自分にはできるだろうかという不安が発生するし、何かを決めるということは「それを達成するためにやるべきこと」が発生する。行動を起こす必要が生まれてしまうために、曖昧な不安の中で何も行動を起こさないでいたほうが居心地が良い。居心地が良い場所にいる限り、自分の世界や可能性を広げることはできない。
6・「そんなんじゃ生きていけないよ」という言葉の真偽
そんなんじゃ生きていけないよって何万回も言われてきたけれど、そんなんで生きてきてしまった(そしてこれからもそんなんで生きていくであろう)自分からすると「誠に申し訳ありませんが、あなたの中ではその通りなんだと思います」としか言えない。
— 坂爪圭吾 3/30-5@FCO-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 26
多分、大丈夫なんだと思う。
7・「ものを持つことは格好悪い」という時代の流れ
代々木公園では石渡さんという現代アーティストとの対談形式で行われた。石渡さんは過去にスペインなどで創作活動をしており、当時からスペイン界隈の人に自分の作品を購買してもらったりしていた。しかし、最近では「ものを持つことは格好悪い気がしてきたんだ」と感じる買い手が増えてきていて、作品が売れなくなってきている(所有の概念が溶け出している)という話を聞かせてくれた。
この感覚が非常によくわかる。おそらく、時代の流れは「ストックからフロー」に向かっている。溜め込むことは古くなり、これからは「どれだけ多くのものを循環させていけるか」が肝になる予感がしている。自分の手元で停滞させることは「ダサい」行為とみなされて、必要なものほど「所有から共有」されていくのだろう。最近では「所有とは幻想である」とさえ感じるようになってきている。
8・断捨離のコツは「何もかもを失ってみること」
断捨離のコツは「あるものを減らす」のではなくて「何もかも失った時に、再び取り戻したいものだけを残す」ことだと思っているのですが、このような考え方をすると「何もかも失っても別に問題はないのではないか」などと思っている意外とパンクな自分に出逢えることがあるのでオススメです。
— 坂爪圭吾 3/30-5@FCO-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 28
物を減らすと身軽さが向上する。生活がコンパクトなものになれば移動の負担も減り、人生の自由度が向上する。断捨離をしたことがある人なら分かると思うが、捨てきれずに後悔したものはあっても、捨てて後悔することは滅多にない。捨てたことさえ忘れてしまって「別にこれがなくても生活はどうにでもなるのだ」ということを実体験を通じて感じることができる。
9・日本に生まれた幸運を噛みしめること
極論、日本で暮らしている限り死ぬことはない。仕事は選ばなければそこらじゅうに転がっているし、生活保護も整備されていて、インターネットの恩恵に被ることができて、海外では通用しない日本語が通じる。困っていたら「助けてください」と言えば必ず誰かが手を差し伸べてくれるし、捨てる神あれば拾う神ありという素晴らしいことわざもある。
明日食うものに困るという状態に置かれることは非常に稀で、結局、人間の可能性を押し潰すのは「不安」や「恐怖心」だということが分かる。環境に殺されるのではなく「自分自身の考え方」によって、自分の神経が磨耗されてしまう場合が大半だ。日本に生まれたことの幸運を噛み締めれば、大半のことはどうにかなる。「何度でもやり直せる」状態に置かれていることさえ思い出せればNO FEARだ。
10・要約
1・「何かをしなくちゃいけない」という思いから自由になること
2・ノイズや常識と呼ばれるものから可能な限りの距離を置くこと
3・日本に生まれたのはサイコロで言えば6が出ているということ
これから東京の野川公園で開催される「野川でつなひきピクニック」に参加して、明日からはローマ経由でヘルシンキに飛ぶ。私には飛行機を作ることができないので、飛行機を作ってくれた人(そしてLCCという最強のシステムを開発した人)には頭があがらない。自分は何もしていないのに、世の中はどんどん便利に素敵に快適になっている。自分で「行く」とさえ決めてしまえば、(地球の裏側だろうが)何処にでも行くことができる。自分で決めることの威力は半端なくて、自由だと決めた瞬間にその人は自由になるし、不自由だと決めた瞬間にその人は不自由になる。
大概は「自分が望むような人生になっている」のだろう。それならば、素晴らしい日々を思い描いていきたいと思う。人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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