いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【HKG-マカオ】紙とペンを用意して、ひとりになれる時間をつくること。ー 「自分であること」と「自分らしくあること」は別物である。

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香港の重慶マンションにいる。写真はマカオのセナド広場で、まさかの三日連続野宿によりサバイバルスキルが飛躍的に向上した。香港で思うことあれこれを10カ条(?)にしてまとめます。

1・地球が俺の敷布団だ。

初日は香港の公園にダンボールを敷いて眠った。夜でも気温は18度程度あり、若干肌寒さを覚える程度で夜を越せた。想像以上に体力は回復し、野宿は意外とどうにかなることを知った。翌日はマカオへのフェリーターミナルに(授業中に寝るときのスタイルで)眠り、昨夜はまたしても公園で眠った。「どこでも寝られる」ことは強さに変わり、硬い布団で眠った方が身体にも良いと聞いたこともあるし、宿代も節約できるので自由度が向上した気がした。

テントで眠ったことがある人なら分かると思うが、夜空を見上げながら横になると「地球に抱かれている」ような感覚を覚える。自分も一匹の動物であることを思い出せるし、《他に何もいらない》この開放感には中毒性がある。そして、今までの環境がいかに恵まれていたのかを知ることができる。それっぽい場所を見つけて眠ることを「リゾート野宿」と名付けて自分自身を励ましたりした。

最大の宿敵はモスキートであり、睡眠中も痒みで数回目覚めた。眉の界隈を刺されたのには参った。アロマを身体に塗れば虫除けになるらしい。ふと、日本の夏が待ち遠しくなった。

2・「バックパッカー」から念願の「トートバッカー」へ


生活必需品を削りに削った結果、日常的に持ち歩く荷物はこの程度になった。移動が続く生活において、荷物の軽量化は快適さに直結する。

これは完全に余談だが、所有物とその人の体重は比例する気がする。ダイエットを成功させたい時は、脂肪を落とす前に周辺にある不要なものを捨て去った方がいいのかもしれない。

3・さみしさに触れると本質が出る

私は単純なので、寒い時期に温暖な土地を訪ねた瞬間に多幸感に満ち溢れる。今週は沖縄と香港でイレギュラーに野宿をしたが、開かれた大地の上でひとりぽつんと佇んでいると、開放感と同時にいたたまれないさみしさに襲われることがある。孤独感とも違う、疎外感とも違う、人間的な「さみしさ」が内側から湧き出してくる感覚を覚える。

私は、最近まで多くの人達と触れ続ける生活をしていたために、ひとりになれる時間を求めていた。「何もしない」時間を深く味わってみたい欲求に駆られていたのだが、いざ、実際にそのような状態に置かれてみると、やはりさみしさは確実に私の中から湧き出してきて「自分はひとりなのだな」ということを思い知らされていた。胸がひりひりと傷んだ。

夜空の下にひとりでぽつんと佇みながら、ふと、無意識の内に鼻歌を口ずさんでいる自分がいた。その音楽は、私が移動を続ける生活の中で何度も何度も口ずさんでいた、矢野絢子「てろてろ」という曲だった。私はさみしさを覚えた時に、私は歌を歌っていた。私は私が歌う歌によって、自分自身を支えようとしているのだと思った。

4・すべての疲労は気疲れである。

ホテルが決まらないままに海外を放浪していると、横になって体力を回復することも難しく、肉体的にも確実に磨耗してくる。そんな時は姿勢も悪くなりがちで、他人に対しても冷酷になりやすく、自分が今いる場所に憎しみの感情さえも覚えてしまうようになってしまう。

そんな時のおまじないがある。それは「胸を張れ」という言葉であり、たとえ全身に疲れを覚えていたとしても、嘘でもいいから胸を張れば、自分の内側から湧き出してくるエネルギーを感じることが出来る。「必ず最後には辿り着ける」と信じることが、歩き続ける力になる。

本当は、すべての疲労は気疲れなのかもしれない。脳味噌が「無理だ」「疲れた」「休みたい」と思い込んでいるだけで、肉体は想像を超えてパワフルで、だからこそ自分で自分の可能性を閉ざしてしまってはいけないのだと思った。人間を磨耗させるのは「希望の欠如」であり、先にある希望を見失った時に、全身は疲労感で押し潰されてしまう。


5・幸せのハードルを下げる。

「家のない生活」を通じて獲得した最大のメリットのひとつは《幸せのハードルが下がる》ということであり、今までは当たり前だと思っていたあらゆることに、いちいち感動出来る身体になった。

風呂に入れる喜び、布団で横になれる喜び、家にキッチンがある喜び、電源を確保できる喜び、冷蔵庫や洗濯機がある喜び、五体満足である喜びなど、そのいちいちが自分にとっては非常にありがたいものに映り、なんでもない日常に感動できる身体になった。

家があった頃には、そんなものにいちいち感動することは出来なかった。常に「自分には何かが足りていない」という思いに囚われながら、自分の中の欠けている何かを埋めるために、必死で何かを探していた。外側に何かを求めていた。

6・「自分であること」と「自分らしくあること」は別物である。

今はもう、自分には何かが足りないと思うことは皆無に等しくなった。必要なものはすべて備わっていて、あとは自分をオープンなものにしている限り絶対に死なない。理由はわからないが、このような確信に近い思いを抱くようになった。

「自分であること」と「自分らしくあること」は別物であり、過去の私は「自分らしさ」を探していたように思う。しかし、今ではもう、自分らしさみたいなものへの関心は極端に薄れてしまった。ただ、自分は自分であればいい、自分は自分以上でもなければ自分以下でもなく、何かを嘆いた所で現実が変わる訳ではないのだから、あとは自分自身の絶対的なレベルを上げていくばかりだ、という風に基本的には感じている。他人との比較ではなく、自分自身の絶対性になる。

「自分であること」と「自分らしくあること」は別物である。特別になろうとするのではなく、自分は既に特別な存在であるのだと知るということ、他の何者でもない自分自身になりたいと思っているひとりの人間、それが《私》になる。

7・普遍的な三つのよろこび

沖縄や香港やマカオで時間を過ごしながらも、結局一番印象に残るのは「人と話したこと」や「綺麗な景色を見たこと」程度のものであり、人間が感じる普遍的なよろこびに大差はないのだと思うようになっている。

・身体を動かす
・ものをつくる
・自然に触れる

これが普遍的なよろこびに触れる三つの方法であり、これを思い出すために私は移動生活を続けているのかもしれない。

8・喜びを他の誰かと分かりあう

そしてもうひとつ、普遍的な喜びを他の誰かと分かりあうということ。小沢健二の痛快ウキウキ通り「喜びを他の誰かと分かりあう! / それだけがこの世の中を熱くする!」が脳内で流れている。

9・自由とは限界突破である。


海外に足を運ぶことも、アウェイで戦うひとつの有効な方法だと思う。世界的な文化に触れることで、自分は《日本的な情緒を持った》日本人なのだということを実感する。

10・紙とペンを用意して、ひとりになれる時間をつくること。

これからは『誰もいない』環境が最高の宝物になるような気がする。お金がある人はホテルを手配して、PCや携帯類は一切持たず、紙とペンだけを用意してひとりになれる時間をつくるのは、想像を超えて贅沢な時間になると思う。

自分の外側に答えを求めるのではなく、自分の内側に答えはあるのだと信じること。そのためにも、周囲のノイズから自由になれる場所を見つけて、自分が何を望んでいるのかをしっかりと捉えること。きっと、求めているものはそれほど多くはないことに気がつくのだろう。

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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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