いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人生のあらゆることは(多分)難しくない。ー 周囲や自分自身の内側から「それは難しいよね」という声が聞こえた時に、突破するのは「難しくない!」と振り切るパワーだ。

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先日、初対面の方に「色紙にサインとメッセージをお願いします!」と言われて戸惑いを隠し切れなかった。これじゃまるで有名人じゃないか、と思ったけれども嬉しさに頬を染めて快諾した。しかし、何を書けばいいのかがまるでわからず、28秒程度考えた後に天使がキラッと降臨して「難しくない!」と書き記した。

私は「難しい」という言葉があまり好きじゃない。何かあると「それは難しいよね」と言いたがる人は無数にいる。しかし、「それは難しいよね」という言葉は人間の思考と行動を抑圧する。自分が何か新しいことに挑戦しようとしている時に、周囲から「それは難しいよね」とか言われると、萎える。自分自身でも「自分は本当に大丈夫だろうか」などと思い悩んでしまったりして、結果、行動が鈍る。

しかし、人生の大半はどうにかなるように出来ていて、考えすぎて動けなくなるくらいなら、実際に自分の体を投げ出して危険の中に身を投じて、たとえ痛い目にあうことがあるとしても(痛い目にあうという体験を通じて)逞しく成長してしまえばいいだけの話だと思っている。周囲や自分自身の内側から「それは難しいよね」という声が聞こえた時に、突破するのは「難しくない!」と振り切るパワーだ。


もしもあなたが、色紙にサインとメッセージを書くようにお願いされたら、どのような言葉を書くだろうか。私は「難しくない!」という言葉を選んだが、この言葉を書き上げる前にボツになった言葉が二つある。ひとつは「ただ生きる」という言葉で、ひとつは「傷つく前に傷つくな」という言葉です。

ー ただ生きる

この言葉を選んだ動機は、最近の私の違和感が起源になる。昔から、私は「坂爪さんは、普段は何をやっている人なのですか?」と頻繁に尋ねられまくる。あまりにも尋ねられまくるものだから、稀に「ただ生きているだけです」と答えてしまうことがある。こういうことを言うと、大抵、言われた相手はぽかんとする。「ただ生きている」だけでは、質問をした相手は決して納得してくれることはないのだ。

これは非常にファニーな現象だと思った。「ただ生きている」だけでは誰も認めてくれることはない。これ、何だか面白いと思いませんか??「会社を経営しています」「執筆活動をしています」「全国を講演で巡っています」という言葉で説明すれば、聞く人も「なるほどですね!」と納得してくれる。しかし「生きているだけです」という言葉で自分を説明すると、大抵の場合はぽかんとされて終了する。

私は「生きているだけで何が悪い」などと思ってしまうのだけれど、そんなことでプンスカしてしまっても仕方がないので、目の前の相手にしっかりと伝わる言葉を使って改めて説明しようとする。しかし、極論「生きているだけで素晴らしいじゃないか」と静謐に思っている自分もいるので、私は「ただ生きる」という言葉を色紙に書いた。しかし、あまりにも説明が長ったらしくなるのでボツにした。

ー 傷つく前に傷つくな

もうひとつは、この言葉です。何か新しいことをやろうとする時に、一番邪魔になるのが「傷つきたくない」と恐れる気持ちだと私は思っている。しかし、実際に傷つくことよりも、傷つくことを恐れて身動きがとれなくなっている時の方が、よっぽどその人自身を傷つけてしまっているのではないだろうかと思っている。傷つくことを恐れている時、すでに、その恐怖心によって傷つけられてしまっている。

だからこそ「傷つく前に傷つくな」という考え方が重要になる。傷つくのは、実際に傷ついてしまってからでも遅くない。そして、人間は意外とタフに作られていて、実際に傷ついたとしても、案外乗り越えてしまえるように出来ている。生きていれば誰だって深く傷ついた経験のひとつやふたつは必ずあるが、それでも、今も平気で生きているのは「乗り越えるパワー」が備わっていたからに他ならない。

しかし、この言葉も説明が長ったらしくなるのでボツにした。そして、私は「難しくない!」という至極単純な言葉を採用した。正直に告白すると、書き終えた後に「ちょっと素敵な言葉じゃないか…」と悦に入ってしまった。私は、魔法の言葉を生み出してしまった嬉しさに頬を染めて舞い上がってしまった。

 まず、「悩む」とは、物事を複雑にしていく行為だ。

 ああでもない、こうでもないと、ひとり悶々とする。わざわざ問題をややこしくし、袋小路に入り込む。ずるずると時間を引き延ばし、結論を先送りする。それが「悩む」という行為だ。ランチのメニュー選びから人生の岐路まで、人は悩もうと思えばいくらでも悩むことができる。そしてつい、そちらに流されてしまう。

 一方の「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。

 複雑に絡み合った糸を解きほぐし、きれいな1本の糸に戻していく。アインシュタイン特殊相対性理論が「E=mc2」というシンプルな関係式に行き着いたように、簡潔な原理原則にまで落とし込んでいく。それが「考える」という行為だ。

堀江貴文「ゼロ」より)


人生のあらゆることは(多分)難しくない。考えすぎて動けなくなるくらいなら、実際に自分の体を投げ出して危険の中に身を投じて、たとえ痛い目にあうことがあるとしても(痛い目にあうという体験を通じて)逞しく成長してしまえばいいだけの話だと思っている。周囲や自分自身の内側から「それは難しいよね」という声が聞こえた時に、突破するのは「難しくない!」と振り切るパワーだ。

極論、生きてさえいればいいのだ。死ななければ大丈夫なのだ。物事を複雑に考えて、自らを袋小路に迷い込ませることもない。真実は常にシンプルで、人生は何度でもやり直せる。失敗したらやり直せばいいだけの話であり、謎の恐怖心に包まれて貴重な時間を無駄にしてしまうこともない。突破していこう。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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