いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分がやりたいことよりもやりたくないことの方が優先される人生は圧倒的に異常で、『やりたいことをやる』勇気と同じくらい『やりたくないことはやらない』勇気も圧倒的に重要だ。

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福岡県の津屋崎で開催されたトークセッションに呼ばれて登壇(?)した。「家がなくても(金がなくても)死なない」「社会不適合者でも問題ない。逆に、自殺者が三万人いる社会に適応してもロクなことはない」「他人に迷惑をかけてはいけないというのは大嘘で、どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負だ」「自分がやりたいことよりもやりたくないことの方が優先される人生は圧倒的に異常で、『やりたいことをやる』勇気と同じくらい『やりたくないことはやらない』勇気も圧倒的に重要だ」「最大のセフティネットは安定した仕事につくよりも銀行に大量の金を預けることでもなく、自分に何かあった時に助けてくれる人がどれだけいるかだ」「極論、人とのつながりがあれば死なない」などの私の発言に反応してくれた方々が、会場まではるばる集まってくれた。兵庫県在住の方も来てくれた。

フリートークがメインの内容だったので、思い思いの話を集まった全員で交わしていた。ある人が言った。「実は私も過去にホームレス生活をしていた頃があって、その時は福岡空港の脇で寝泊まりしていました。最低限の生活を送っていると感受性が敏感になっているのが自分でもわかって、たとえば朝露の美しさにものすごい心が揺さぶられたりする。虫たちにもそれぞれ縄張りがあることも知ったりして、ああ、あの蜘蛛は今日も元気だなとか思ったりしていた」等と話してくれた。

「その時、ホームレス生活をしながらも『俺は社長になる』という野望だけは常に胸の中にあった。ふとしたきっかけで、ホームレス生活を続けて三ヶ月後には(どういう経緯なのかは聞いていないが)会社の経営を任されるようになって、実際に社長になってしまった」とも話してくれた。

別の男性は「私は数年前に勤めていた会社の経営が傾いて、前々から辞めたかったから妻に『やめてもいいか?』と尋ねたら『別にいいよ』と言ってくれたので会社を辞めて自営業をはじめた。最初は貯金が目減りする恐怖におののいたりもしたけれど、今ではどうにか軌道に乗った。給料はサラリーマン時代の半分程度でしかないが、それでも幸福度は圧倒的に今の方が高い。私の周りにも鬱病になっている人はたくさんいるが、きっと『これだけなければ生きていけない』と思い込まされている何かがあって、実は生活コストなんて下げようと思えばいくらでも下げられる(生きるために必要なものはそれほど多くない)ということに気がついてから私の幸福度も圧倒的に向上した」とも話してくれた。柔和な雰囲気の男性だった。

別の女性は「私は数か月前に会社を辞めて今は仕事もほとんどしていない。今では貯金も残り4万円で正直怖いのだけれど、生活のために嫌な仕事を続けることに耐えられなくて会社を辞めたのだから、とにかく今は自分がやりたいと思うことだけを(たとえ金にならなかろうが)やるようにしている。すると、不思議なもので趣味ではじめたキャンドル作品をお金を出して買ってくれる人が現れたり、友達がくれたスクラッチクジが当選したり、この会場までも自宅から結構距離があるから『交通費どうしようかな』とか思っていたら友達の男性が車で私を運んでくれた。うまく言葉に出来ないのだけれど『良い流れ』みたいなものが自分の周りに発生しているのを感じていて、毎日が楽しいです」とも話してくれた。彼女の瞳はキラキラと輝いていた。

別の男性は「私は鬱病になって会社を辞めた経験がある。多分、人間の喜怒哀楽って全部つながっていて、嫌なことを自分を殺して我慢して続けていると、いつの間にか感じる心全体がまるごと失われてしまって(嫌なことを嫌だと感じない代わりに)楽しいことでさえ楽しいと思えなくなってしまっていた。自分の心を殺して生きていると、喜怒哀楽の感情全体が失われてしまう」と話してくれた。

別の女性は「私も皆さんの話を聞いていて思い出したことがある。過去にオーストラリアで一年半程度キャンプ生活のようなことをしていた時期があって、あの頃は本当に周りには何もない自然ど真ん中の中で暮らしていたのだけれど、何もないけど心が感じる幸福度はものすごいもので、まるで何年間もそこで暮らしていたような濃密な時間を過ごすことが出来た。あの頃の濃密度に比べると、日本に戻ってきてからの生活は毎日が世話しなくて気がついたら時間だけが流れてしまっていることが多い。だけど、私は海の目の前に住んでいるから、帰宅するたびに眺める夕日を見ては『今日も一日頑張ったな』と自分を褒めてあげたくなるような、そんな気持ちになることが出来ます」と話してくれた。

別の男性は「私は人に頼ったり周囲に迷惑をかけてしまうのがとても苦手だ。だから『どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負だ!』と叫ぶ坂爪さんは鮮烈で実際にどんな人なのか見て見たくなって今回このイベントに参加した。参加してみて思ったのは、要するに『自分の見栄やプライド』が他人に頼ることを邪魔しているのだと自分自身を振り返って強く思った。ポイントは『自分自身を晒すこと』なんじゃないのかなと思いました。これが今日の一番の収穫です」と話してくれた。

別の女性はイベント終了後に「ここに集まった人達が魅力的な方ばかりなのか、イベントの雰囲気はとても素晴らしいもので本当に楽しい時間だった。今までは、何処にいってもまるで自分が値踏みされているような雰囲気を感じてしまって、でも、ここでは社会的な肩書きに関係なく『ひとりの人間』として話が出来ているような雰囲気があった」と話してくれた。この言葉を聞いた時はうれしかった。

私自身も思い浮かぶことを都度都度話した。他人に迷惑をかけてしまうんじゃないのかと思う時はどうしたって気が引けてしまうものだが、相手からしてみれば別に迷惑だなんて全然思っていない場合も多い。誰かに頼られるのは悪い気がしないばかりか嬉しさを感じることもあって、本質的に『誰かの力になることが出来る』ことの中には普遍的な喜びがある。自分のことを何もかも自分ですべてやれるほど人間はパーフェクトに出来ていない。お互いに足りないところを補い合えばそれでいいじゃないか。

そして、誰だって『根暗で地味で悲壮感を漂わせている人』よりも『明るい馬鹿』と同じ時間を過ごしたいと思うものだ。『一緒にいて楽しい』人と一緒にいたいと望むのは当たり前のことで、それならば深刻にシリアスに考え込んでしまうよりも、(自分自身をネタ化して)不幸を笑い飛ばして明るく前向きに進む生き方の方が私は好きだ。人間は優しい。すべての人が理解してくれるとは限らないけれど、すべての人が理解してくれない訳ではない。必ず助けてくれる人はいる。人生はどうにかなる。

津屋崎のトークセッションは非常に楽しい時間になった。まさか福岡空港でホームレス生活をしていたが来てくれるとは思わなかった。言葉にすれば当たり前のことだけれど、自分がやりたいと思うことよりも自分がやりたくないと思うことを優先する人生は圧倒的に異常だ。本来であれば人生は何でもありなのだから、誰もが(たとえ周囲から理解されることは少なくても)自分のやりたいようにやるべきであって、別に無理をして他人にあわせる必要もなければ『嫌なことを嫌々続ける』必要もない。迷わず、悩まず、思い煩うことなく自分を出す。それだけで人間は清々しい日々を送ることが出来る。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya 
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