いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

気持ちのいい生き方をしよう。

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ボローニャを経由してミラノにいる。ヴェネツィアで念願のギターを購買した。人生を楽しむコツはシンプルだ。毎日楽しいことをひとつやる。そして、寝る前に「俺、最高だな」って自分を褒める。きっとそれだけだ。最悪なのは、誰かに楽しませてもらおうと思うこと。誰かに褒めてもらいたいと思うこと。他の誰かの『いいね』を求めることだ。そんなことより、自分が感じる『いいね』のど真ん中を生きたいと思う。そして、そこで得た成果物を「これどう思う?(俺は最高だと思うんだけど)」と差し出す。周囲と分かち合う。そういう生き方が、私は好きだ。

 

 

おおまかなスケジュール


2月28日 ミラノ【イタリア】
3月1日 成田空港到着以降、FREE!【日本】
3月16日 昼・カイロ【エジプト】
3月16日 夜・ミラノ【イタリア】
3月17日以降、FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

人間は不完全だが、世界は完璧だ。

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Bologna

 

日本に戻り次第ごちゃまぜの家に向かう。また、問題が勃発している。誰でも自由に使える家でおなじみのこの家も、トラブルは絶えない。この家で起こる諸々を目の当たりにする度に「完璧を求めるな」と思う。ごちゃまぜの家が完璧な世界、まるで楽園であるかのように思われても困る。そんな場所はない。あったとしても、退屈だ。大概、問題を引き起こす人間は『甘え』を抱いている。怒りには二種類ある。社会的な義憤と、個人的で幼稚な怒りだ。後者は、要するに「自分の思う通りにならない」ことに対する怒りであり、わたしは、これを甘えと呼ぶ。甘えを悪いとは思わない。ただ、永遠に被害者ヅラをしている人間を『ダサい』とは思う。

 

ごちゃまぜの家に必要なのは母親だ。昔の言葉で言えば御母堂【ごぼどう】だ。両親から充分に愛されなかったり、まともな恋愛をできずに年齢を重ねた男子は、強烈なプライドと甘えを抱いている。最初は「あなたの言うことならなんでも聞きます。この家になることであればなんでもやります」という風にこの家を訪れるが、最終的に「自分はうまいように使われた」という怒りを抱き、悪態をついて、この家を出る。おそらく、周囲の男性陣から強く言われたことで、反感を抱いたのだろう。男は、男に強く言われると、反発をする。しかし、これが『御母堂』から言われた言葉なら、響き方も変わる。ダメな男を人間にするのは、御母堂だ。御母堂は、躾や作法(人間の基本)を厳しく教える。服装。姿勢。言葉。乱れた時は、手が出ることもある。しかし、根底に愛がある。明治時代の母親というイメージだ。

 

毎日とは言わない。可能な日だけでも御母堂を担ってくださる女性を探す日々がはじまる。繰り返しになるが、ごちゃまぜの家に完璧を求められても困る。おそらく、その期待は裏切られる。天国が先にあり、ただ、自分はそこに『ゲスト』として足を運べばいいなんてことはあり得ない。私は、天国を作りたいと思っている。しかし、この天国は、永遠に未完成だ。未完成だからこそ、そこに居合わせた人々が『天国のピース(天国の一員)』になる。誰もが共犯者みたいなものだ。以下は単なるわたしの好みだが、自分は『不機嫌を振りまく人間ではなく、ご機嫌を振りまく人間』と生きていきたいと思う。ご機嫌を振りまく人間には、共通項がある。それは、品があって、チャーミングであることだ。不機嫌を振りまく人間には、共通項がある。それは、品がなく、チャーミングさのかけらもないということだ。

 

 

気持ちのいい生き方をしよう。

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Centrale

 

幸せになろう。それがひとりひとりの責任だと思う。ミラノのピザ屋で食べたマリナーラが最高だった。美味いものを食べると、他の誰かに教えたくなる。自分が感じた喜びを、自分が大事だと思うひとと分かち合いたいと思う。マリナーラのある惑星に生きていられることを幸福に思う。自分のことを誰かにわかってもらうことや、自分を好きになってもらうことはコントロールの範囲外だ。しかし、自分からなにかを好きになることはできる。自分から何かを好きになるとき、誰かになにかをしてもらうことを待つのではなく、自分から先に愛そうとする姿勢を見せるとき、まるで世界はそれに呼応をするかのように、素晴らしい側面を見せてくれる。

 

これからエジプトのカイロ経由で日本に戻る。ミラノは快晴。イタリアは快晴の日々が続いている。ルパンが愛したイタリアだ。映画『カリオストロの城』の中で、クラリスを助け出したルパンは、仲間と共にその場を立ち去る。その後、銭形警部がルパンを追いかけ、クラリスの前を過ぎ去っていく。その様子を、クラリスと共に見送っていた庭師のおじいさんが、ルパン達を眺めながらこんなセリフを言う。なんと気持ちのいい連中だろう。と。これだけ多くの人々に愛されているルパンの秘密が、この言葉に集約されているように思う。ルパンは、ルパンの生き方は、要するに『気持ちいい』のだ。それに触れた人間を『気持ちよくさせる』力がある。自由に生きる人間は、それに触れた人間の心まで、自由にする力がある。

 

それはあなただからできることであって、自分には無理だ。自分にはできない。そう言う言葉を五億回は言われた。わたしは確信する。自由とは、ある人にはあって、ない人にはない能力ではない。その考え方自体が、この瞬間も『被害者ヅラ』を継続させている。無力だと思うことは、居心地の良い牢獄みたいなものだ。その牢獄にいる限り、無駄に傷つくこともない。無駄に悲しむこともないし、無駄に苦しむこともない。その代わり、生きる喜びを感じることもない。ある種の取引みたいなものだ。どちらを選ぶかは、各人の自由だ。わたしは、ただ、前者の人間といたいと思うだけだ。不機嫌を振りまく人間ではなく、ご機嫌を振りまく人間といたいと思うだけだ。無力感を武器にする人間ではなく、可能性を武器にする人間といたいと思うだけだ。誰かに楽園を用意してもらうのを待つのではなく、自分から楽園を築き上げようとする、前向きな意思を持つものと共に歩みたいと思うだけだ。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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