いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、世界を愛して欲しいとは思う。

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リトアニアの首都ヴィリニュスにいる。というのは昔の話で、ヴェネツィアに到着した。巷では「人生は短い」とか「人生は一回きり」などと言われるが、どうしても、わたしの一部が「そんなこと、わかんないじゃん!」と言っている。死んだら終わりと言われても、まだ、誰も死んだことがないのだから「わかんないじゃん!」と思う。わかることと言えば、まだ、わからないことがあることだ。知っていることは少ないけれど、知らないことが世界を豊かにすることだけは、わかる。

 

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おおまかなスケジュール


2月24日 ヴィリニュス【リトアニア
2月25日 ヴェネツィア【イタリア】
2月26日以降、FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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男は女に操られ、女は神に操られる。

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Vilnius

 

誤解を恐れながら言うと、男は女に操られている方がちょうどいいと思う。私は男だ。男は、基本的にからっぽで「白か黒か」とか「勝ちか負けか」とか、貧相な精神世界ですったもんだを繰り返している。女性の世界観はカラフルで、妄想力も逞しい。だから、私は『女性は理想を語り、男性を理想を形にする』というタッグが最強だと思う。では、女性は、男性を操っているだけなのかというと、そこがまた違う。男は女に操られ、女は神に操られる。女性が(神様的なサムシングから受け取った)啓示的なものを伝え、男性が現実世界で形にする。この組み合わせが最強だと思うのだが、いま、世界はそんな風に動いてはいない。

 

極論、男は「女のために生きたい(死にたい)」と思っている節があると思う。少なくとも、私は、そうだ。だから、自分が「このひとは真の女性だ!」と思われる人から、あなたはこれのために生きなさいと言われた日には、喜んで身を捧げる。自分ひとりではやりたいと思うことなんかない。しかし、真の女性から「あなたの役割はこれです」と言われると、途端にスイッチが入り、生気が漲り、肌艶は蘇り、俯きがちだった視線は上方を向き、生きる目的が生まれる。先週、わたしは、ミユさんという女性から「音楽をやりましょう」とお告げを受けた。これは個人的に大事件で、それ以来「わたしは音楽に身を捧げることにしました」的な人生をあゆむことになった。私と、ミユさんと、保科亮太さんの、三位一体で音楽をやる。

 

これは勝手なお願いだが、世の中の女性に「あなたの直感を引っ込めないでください!」と思う。女は理想を語り、男は理想を形にする。これが理想のタッグだ。そのためには、女性がインスピレーションを男性に与える必要がある。しかし、せっかく得たインスピレーション(神様からのお告げ的なもの)を「こんなことを言ったら頭がおかしいと思われるかもしれない」などと考えて、引っ込めてしまったら世界は止まる。私は勝手に推測をする。実は、多くの女性が、日常的に神様からインスピレーションを受けているのだと思う。しかし、いまの世の中が男性社会だから、その思いを引っ込めてしまったり、あるいは「こんなことを考えても何にもならないから、皿洗いでもしよう」みたいになって、インスピレーションは誰にも伝わらないまま、途絶える。だから、せめて、俺にだけは「あなたの直感を教えてちょんまげ!」と思う。女性の理想が、男性に『生まれてきた意味』を与える。男単体では、からっぽなままだ。ミユさんと音楽をやれるよろこびは、ここにある。男だけでは絶対に生まれなかろう、なにかしらの『余波』をビンビンに感じている。 

 

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俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、世界を愛して欲しいとは思う。

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Old town

 

巷では「ありのままでいい」とか「頑張らなくていい」とか、言われる。言いたいことはわかる。しかし、そんな人生は面白いだろうか。頑張らない人生の、一体どこでガッツポーズをできるのだろうか。私は思う。人間の一番奥底にある気持ちは、ゆっくりしたい、とか、なにもしたくない、とか、このままでいたい、ではないと思う。その奥には『生きたい』があると思う。本当は自分の本気を見てみたい。生きている実感が欲しい。少なくとも、自分はそうだ。代わり映えのない日々は、退屈で、生きた気がしない。本当は、夢中になりたい。頑張りたい。本気を見たい。いい仕事をしたい。達成感を味わいたい。この生涯において、少なくとも「俺はこれをやった」と言えるものを残したい。そっちの方が本心ではないのか。

 

好きなことをやればストレスはない。というのは嘘だと思う。好きなことにもストレスはあるし、好きなことのなかにも『地獄』はある。これは、よろこぶべき地獄だ。地獄がなければ、達成感も味わいようがない。なんでも自分の思う通りにいったら、ガッツポーズなんて絶対できない。だから、なにかを始めるときは「いよいよ地獄がはじまるな」くらいに思っている方がちょうどいい気がする。地獄上等。そう思える人間は無敵だ。だって、地獄も天国も楽しめるのだから。やって見て、嫌になったら、途中でやめてもいいとひとは言う。でもね、石に齧りついてでもなにかをやり遂げる時期が、人生にひとつくらいあってもいいじゃないか。昔、三ヶ月で15キロ痩せたことがある。あの時期は人生で一番充実していた。毎日数字で体重の変化がわかり、自分は、自分の体重を落とすことに『集中』していた。人生が、いかに痩せるかだけになっていた。暇があれば歩き、毎日半身浴をして汗を流し、キャベツとキムチで食事を終え、そこに物足りなさはなかった。なにもしない日々では、絶対に味わえない充実感がそこにはあった。充実感とは、達成感だ。

 

映画Bohemian Rhapsodyを見た時に強く思った。最後のライブ場面では、数万人の観客がQueenの音楽に熱狂をする。その場面を見て、私は「なんだ、みんな生きたいんじゃん!」と思った。これは、安心感にも似た感動だった。数万人の観衆は、それぞれ様々なバックグラウンドを抱えている。その中には「生きることが嫌になっているひと」もいたと思う。それでもなお、その場にいた全員が、Queenの音楽に歓声をあげ、胸を震わせ、拳を掲げ、喝采を送り、涙を流す観客もいた。この場面を見て、わたしは、人間の『生きたい』と思う気持ちは変わらないのだと、そういうことを思った。生きたいと思っているのは、自分だけではない。それならばもう、大丈夫だ。生きようとする姿を示すこと。生きようとする意思を示すこと。ただ、それだけのことが周囲の人間の力になる。自分に、自分の言葉に触れた人々が、それを通じて「生きてやるぜ!」って思ってくれたら、万々歳だと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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