いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きていると言うことは、大丈夫だと言うことだ。

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ラトビアの首都リガにいる。旅と人生は似ている。笑って生きるコツは「ハプニングを楽しむこと」だと思う。出先では色々なことが起こる。ハプニングを一緒に楽しめる人物との日々は楽しいが、逆の場合はストレスが爆発する。成田離婚みたいな話になる。だからこそ、誰かの本質を知りたければ一緒に旅をするのが良いと思う。深刻にならず、笑いに転じること。不機嫌にならず、ご機嫌に転じること。どのような状態に置かれても、泣くか、笑うか、それは自分で決めることができる。

 

 

おおまかなスケジュール


2月23日 リガ【ラトビア
2月24日 昼・ビルニュス【リトアニア
2月24日 夜・ヴェネツィア【イタリア】

2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能
2月25日以降、FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

大半の会話は、はじまらないまま終わっている。

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Old town


前回の記事で「やり残したことをやろう」という内容を書いた。これをやらずには死ねないと思うことを、死ぬ前にやろう。端的に言えばそういう話だが、書きながら「これは自分が自分に許可を出すことと似ている」と思った。絵を描くとか、音楽をやるとか、親と話すとか、共通することは「自分を許す」ということだ。自分の人生は自分で切り拓いていける。何者も止めることはできない。他者ができることは、邪魔か、応援か、どちらかだ。やりたいことをやるということは、自分が、自分に『許可』を出すということだ。誰も禁止なんかしてない。もし、誰かに禁じられていると感じるなら、禁止をしている人物は『自分』以外の何者でもない。

 

世の中の大半の会話は、はじまらないまま終わっている。社交辞令とか、愛想笑いとか、ここにいないひとの話とか、どうでもいい話をしているだけでは何もはじまらない。言いたいことを言うことは、ゴールではなくてスタートだ。巷では「自分を生きる」とか「本音を生きる」とか、そう言う言葉がまるでゴールのように語られる。あほかと思う。それは大前提であって、ゴールではなくスタートだ。では、なぜ、これほど多くの人々が自分を生きれないのか、本音を話せないのか、そういうことを考えたときに「それは、誰かに許可を求めているからだ」と思った。言いたいことを言うことを、やりたいことをやることを、まるで「誰かに許可を出してもらうことで、はじめてそれをやることができる」という風に思っているからだ。

 

初対面のひとと話している時に思う。質問を連続して浴びると「なぜ、そんなに質問ばかりする!」と無性に苛立つ。インタビューみたいになる。嫌だ。わたしは、会話がしたくて一緒にいるのに、なぜ、言葉のサンドバックみたいにならねばならん。そう言う時、わたしは「あなたの話を聞かせてください」と言う。すると、大概、多くの人は「自分の話をするのは苦手だから、質問をしてください」とか言う。そりゃないよ、と思う。質問されないと答えられないなんて、許可がなければ話せないことと同じじゃないか。質問する。答える。質問する。答える。質問する。答える。これじゃ、機械と同じだ。わたしは、人間と話がしたい。質問があるから語られるものではなく、そのひと自身から『湧き上がる』ものに触れたいと思う。湧き上がるものを抑えるもの。それは、自分に対する『無価値感』だと思う。

生きていると言うことは、大丈夫だと言うことだ。

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Riga

 

私は雇われ労働が苦手で、昔、アルバイトをしていた時期も「死ぬまでこれをやるのはつらいな」と思っていた。家賃のため、生活のために死ぬまで続けなければならないのだとしたら、こんな人生はしんどいと思った。だから、自分にとって『これなら死ぬまでやっていられる』と思えるものを、見つける必要があった。そうでなければ、自分は、やりたくもないことを延々とやり続けなければいけない。そして、どうにかこうにか着地をしたのがいまの生き方だ。私は、言葉を綴ることならば、死ぬまでやっていられると思う。私は、歌を歌うことならば、死ぬまでやっていられると思う。私は、人間と話すことならば、死ぬまでやっていられると思う。

 

イベントに登壇すると「坂爪さんは、言っていることとやっていることが一致していてすごいですね」と言われる。多分、褒め言葉だと思う。しかし、わたしは「一致していることは普通で、一致していないことが異常だ」と思う。言っていることとやっていることが一致していない時、苦しくはないのだろうか。私は、すごいから一致しているのではなく、一致をしていないと苦しいから、一致をさせているだけだ。ただ、楽になりたいだけなのだ。自分を使い分ける生き方はしんどい。よく、やりたいことがあるけど家族がいるからできないと話す男性がいる。そんなことを言わないで、「家族を守りたい」と言えばいいと思う。それならば一致をするじゃないか。人間、言っていることとやっていることが一致をすれば、スッキリだ。「やりたいからやってる」と言えるのならば、どんな生き方でもスッキリだ。

 

私は、自分が「本当にそうだなあ」と感じたものを、採用して生きたい。たとえ、それが世間的におかしいと言われることであっても、自分が「これは本当だ」と思うことならば、それを採用する。あとのことは知らないし、ひとのことも知らない。将来のこと。結婚のこと。老後のこと。不安はないのかと聞かれる。不安なんてない。そんなもの、未来か過去から引っ張ってこない限り、この瞬間には存在しない。金がある訳でもない。多分、ない方だと思う(イギリスでは8ポンドしかなかった)。それでも、いま、この瞬間だけを切り取れば、俺は生きていて、五体満足で、Macがあり、ネット環境があり、着る服があり、そこそこの人望があり、屋根のあるところで眠り、明日食う金に困ることもなく、健やかな時を生きている。お前は刹那的だと揶揄されたときは、こんな風に言ってやる。東日本大震災を思い出せ。何が起こるかわからないのは、俺も、お前も、同じことだ。明日には、全部、津波で流されるかもしれないぜ。そんなんで生きていけると思うなよと罵倒されたときは、こんな風に言ってやる。うるせー。俺はなあ、こんなんで33年間生きちまっているんだよ。お前が言う『そんなん』で、実際に生きている人間がいるんだよ。と。あとはもう、どれだけ本当の日々を生きていけるかの勝負だと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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