9日目。カイルアからワイキキまで車で送っていただく。爆裂に感動的な物語を車内でK様ファミリーから伺い「朝からいい1日だ…」と震える。FISH HOOK CAFEに到着後、人柄が良過ぎて一瞬で惚れた日本人カップルの方と合流をする。朝食(ポケボウル)をご馳走になったばかりか、秘密のチケットをいただいて衝撃が走る。その後、ホノルル在住のK様が車で迎えに来てくださり「オアフ島をドライブしましょう」ということで、東海岸を中心に車で巡る。道中にハンバーガーをご馳走になって悶える。17時頃ホノルル市街に戻り、別の方々とDORAKUで夕食をご馳走になってしまった(!)のちにいまは一泊40ドルのホステルからこの記事を書いている。
ワイキキビーチからおはようございます!
— 坂爪圭吾 / BillyGyallow (@KeigoSakatsume) 2018年3月7日
さかつめ占いによると「今日は最高の1日になります。今日は最高の1日になるのだと決めさえすれば…!!」ということなので、本日だけは「最高の1日になる」と決めつけてしまってください。
決めてしまうことの威力が炸裂する1日になりますように…✨✨✨ pic.twitter.com/aSGQI4aoqG
なにから書けばいいのだろうか。1日の間にいろいろなことが起こる。日本人カップルの方から「最初は4月にハワイに来る予定でしたよね??それなのになぜ、この時期にも来ることにしたのですか??」と尋ねていただいた。今回、わたしは3月10日には一旦日本に戻る。が、4月9日から再びハワイに足を運ぶ。最初は4月のチケットだけを取った(2月20日頃に取った記憶がある)。しかし、2ヶ月先のチケットをとってのうのうとしている自分を客観視したときに「なぜおれは2ヶ月先も無事に生きているつもりでいるのだろう」とハッとして、やりたいことはすぐにやらなければならないと思い直して2月27日発のチケットを追加で取った。この話をしたら、日本人カップルの方は「なんだか元気になる話ですね」と笑ってくれた。笑ってもらえたことがとってもうれしかった。笑ってもらえたら、もう、それだけでゴールなのかもしれないと思った。
🌸🌸🌸8日目の記事はこちらです🌸🌸🌸
朝日を見る
カイルアの海岸沿いを目指す。朝日が昇るからだ。外に出たら、思っていた以上にすでに空が明るくなっていて焦る。ビーチに向かう。海が見え始める。なんだか異様に綺麗な感じで朝焼けがすでにはじまっていたので「これはやばい!早くいかないとやばい!」となって小道を駆け出す。小道を駆け出しながら「ああ、思わず駆け出してしまいたくなるものが世界にあるということはほんとうに素晴らしいことだ」と思う。
東海岸を巡る
K様に、東海岸をご案内していただく。
K様の人柄が素敵過ぎて心身が緩み、移動中、寝落ちをした。
ハンバーガショップに連れて行っていただく。
はむはむしていたら、このようなメールをいただいた。
全然関係ないんですが(いつも突然、笑)
「感情は思考よりも、ずっとパワフルなもの。心臓は、最も電磁気を発している体の部位で、脳波よりも振り幅が60倍も強いのです。また磁気成分は脳のそれよりも100倍強く、身体から数メートル離れたところからも分かるほどの威力を持っています」
なんですと!!!
心臓(ハート)ってスゴイ!!!と!!!
キュンキュン♡
今朝この言葉に触れて、
【何をしたいか】(思考)
から
【どんな気分でいたいか】
【どんな風に感じたいか】
(感情)
に意識を向けたら、ムッチャ気分が良くなりました~♡
という、雑談、笑。
aloha~♡♡♡
Akahai=思いやり
Lokahi=調和
Olu’olu=喜び
Ha’a Ha’a=謙虚
Ahonui=忍耐
なんですとー!!!
と、これもさっき知ったのであります( ˘ω˘ )♡
無知よ、ありがとう♡♡♡
「頭をからっぽにしないと、はいってくるものもはいってこない」
車内での会話は最強に勉強になったのだけれど、割愛!
交換より循環
オアフ島で出会う方々に「ごちゃまぜの家という、誰でも自由に無料で使える家なり空き地なりと出会うためにハワイに来ました」と伝える。このブログを読んでくださっている方ならばある程度の文脈を共有できるのだけれど、初対面の方にこの話をすると、ほぼ100%の確率で「意味がわからない」と言われる。オアフ島の家賃は高いから難しいよ、とか、ホームレスが大量にいるけど大丈夫なのか、とか、日本ではできているのかもしれないけれどそれは日本だからできるのであって、西洋では無理だよ、とか。
「絶対に無理だ」と言われると、燃える。ああ、こういう手応えが欲しかったんだよなあと萌える。あるひとがこのようなアドバイスを与えてくれた。「ワークトレードみたいにすればいいんだよ。庭の掃除をする代わりに一泊無料で泊めてあげるとか。そういうものだったらハワイにもたくさんあるよ」と。アドバイスをしてくださる方には、まず、なによりも「ありがたいことだなあ」と思う。ありがたいことだなあと思ったあとに、ああ、俺がやりたいと思っているものはトレードではないのだなと確信した。英語で言うなら、それはギフトであったりサイクルであったりサーキュレーションとでも言えばいいのだろうか、交換をしたいのではなく「循環」を生み出したくて、この活動をやっていることを思い出した。
金銭だろうが物々交換だろうが、基本的には「交換」の原理で成り立っていることに変わりはない。わたしは、非常に乱暴にまとめると「交換は退屈で、交換は暴力的だ」と思うことがある。まず第一に、交換の原理には「持たざるものが参加をできない」という冷たさを感じる。庭の掃除を2時間する代わりに一泊できる世の中よりも、まず、無料で泊まれる家を誰かが誰かに贈与をする。すると、その贈与を受けた人間が(強制的にやらされるのではなく)なにかで恩返しをしたい内発的に思い、たとえば庭の掃除を2時間する。一泊したものが庭の掃除を2時間するという点ではどちらも同じだけれど、なんと言えばいいのだろうか、この行為の間にある「清々しさ」や「うれしさ」のようなものは、後者の方が圧倒的に大きいように思う。
こういう話をすると、大概は「綺麗事だね」で流されてしまう。しかし、わたしは思う。自然の摂理を見ていると思う。自然の摂理は交換ではなく循環で成り立っている。太陽は、照らす代わりになにかを求めたりしない。ただ、照らす。花は、咲く代わりになにかを求めたりしない。ただ、咲く。なんと言えばいいのだろうか、自分がこれをする代わりになにかを得ると言う交換の原理ではなく、まず、第一に「大いなる生命の輪【循環】」みたいなものがこの世の中にはあって、そのなかでただ『自分の命を思い切り生きる』ことが、結果的に大いなる生命の輪の維持に貢献をする。その方が、なんというか「生命として自然である」ようにわたしは感じている。
これは綺麗事なのだろうか。この辺の話をしっかりと言語化すること。これは帰国後の私の急務になる。いまのわたしに足りないものは「言語化」だと思う。これまでの在り方や生き方の諸々をあまりにも省きすぎた。だからなのだろう、出会う人々に「お前のやっていることは絶対に無理だ」と言われてしまう。逆境に燃えている場合ではない。これは完全にわたしの責任であり、そのように言うひとはまったくなにも悪くない。わかるひとだけわかればいいという生き方を続け過ぎた自分の責任だ。来月4月7日に33歳になろうとしているいま、これからは「自分がやろうとしていることを広く世の中のひとに『わたしはこういう人間です』と高らかに宣言をする、成熟したこころを発揮させていきたい」と思った。
キーワードは「交換より循環」であり、交換がメインの世の中では「なにかをもっているうちは安心をできるけれど、なにかを失ってしまう不安は死ぬまで消えない」ことになる。しかし、循環がメインの世の中では「自分がもっているときは誰かに渡す側にまわればいいし、自分がもっていないときでさえも、循環のなかで自分は生かされるだろう」という安心感がある。そういう世の中になればいいと思うし、多分、すでにそのような世の中は確実にある。事実、わたしという人間が(このような生き方が良いことなのか悪いことなのかは置いておいて)循環の原理【自然の摂理】で生きている【生かされている】ように思う。このあたりの言語化が現在は圧倒的に足りない。帰国次第、頑張ります。
誰も救わない。誰の問題も解決しない。
このような活動をしていると「さかつめさんはボランティアがやりたいのですね」と言われることが稀にある。多分、確実に違う。わたしはボランティアやNPOに興味がない。しかし、非常に似ているとは思う。だから説明が必要なのだと思う。まず、第一に「誰かを救いたいとも思わないし、誰かの問題を解決したいとも思わない」というスタンスで私は生きている。自分がやりたいと思うことをやること。そのことが、結果的に(あくまでもおまけとして)誰かを救うことになっちゃっていたり、誰かの問題を解決してしまうことになっちゃっていたりしたら、それは最高に素敵だなと思っている。
問題とは、問題視しなければ問題ではなくなる。ハワイではホームレスが問題になっている。だから、様々な活動が「ホームレスを助けるため」「ホームレスの力になるため」に頑張る。しかし、わたしの場合は、そもそもで自分自身がホームレスのようなものなので(この話を日本人カップルのひとにしたら笑ってもらえてうれしかったです!!)、上から目線で誰かの力になりたいというものとは根本的に違っていて、感覚的には「社会的弱者(たとえばホームレスの方々)と同一の視点で、なんだかんだ一緒に遊んでいるうちに気がついたら問題が問題ではなくなっていた」みたいな状態になることを理想だと思っている。
自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。正義感は、それを押し付けた瞬間に暴力になる。わたしは他人に何かを強制したり、自分と同じであることを期待したいとは思わない。ただ、自分のためにやることが、結果として「誰かのため」にもなれば幸運だと思っている。ここは非常に重要なポイントだと思う。過去に家を失ってホームレスになったわたしは、見るひとが見たら「いくらでも問題を抱えている支援が必要な社会的弱者」だったと思う。しかし、わたしは自分自身をそのようには捉えなかった。自分に同情するのではなく、置かれた状態をいかに楽しむかに焦点を合わせた。その結果、このような形で人生は展開をした。あの頃の自分を褒めてやりたいと思う。自暴自棄になるのではなく、悲壮感を漂わせるのでもなく、置かれた状態を『楽しむ』方向に舵をとった自分を褒めてやりたいと思う。そして思う。わたしが舵を取りたいと思う方向は、問題を解決するための方向ではない、誰かを救うための方向でもない、誤解されるかもしれないけれど「いいことがしたい」ということでさえもない。ただ、生きていることを楽しみたいと思う願望と衝動。置かれた状態のなかで、いまの自分に与えられているものを精一杯に生かしながら、ただ、自分の人生を楽しみたいと思っている。朝日は誰のもとにも昇る。金持ちだろうがホームレスだろが、白人だろうが黒人だろうが、民主党だろうが共和党だろうが、キリスト教徒だろうがイスラム教徒だろうが、昇る朝日を綺麗だと思うこころに違いはない。同じ人間として『一緒に幸せになる方向』に、舵を取りたいのだと思う。それがごちゃまぜの家のコンセプトであり、ごちゃまぜの家の思想である(などと言うと大袈裟だけれど、割と本気で思っている)。
坂爪さん
こんばんは!
初めて連絡をさせていただきます。○○○と申します。
ブログを拝見しております。
とにかく、お礼の気持ちを伝えるなら、今だ!と思ったので、助けられたこと列挙させていただきます…
坂爪さんの言葉はいつも、私の気持ちをふわっと軽くしてくれます。それに何度も助けられました。
あと、坂爪さんは、人を大切にしていて、自分も大切にしていて、なんだか本当に仏様みたいだなぁ〜って思います。大事にされて大事にする世界ってあるんだなぁって、ほんわかしたのと同時に、私も大事にしたいと思いました。
あとあと!初めて坂爪さんを知った時、私は衝撃を受けました。ありとあらゆる私の中の当たり前をぶち壊してくださいました。当たり前がぶち壊されて、私の中での選択肢が沢山増えました。これからやってみたいことが沢山増えました。
支離滅裂な感じのお礼の文になってしまいました…笑
文を書くのは難しい!
とにかく、応援しています!!
私は貧乏人なので、絵でエールを送らせていただきます🇯🇵
フレー!フレー!サカツメサン!
以上です!
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu
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《ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士 10120−54031201 サカツメ ケイゴ《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ
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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!
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