いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

殺伐とした世の中が、少しでもほぐれたらいい。

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車にテント道具を積んで、人口密度の少ない場所に足を運ぶ。高級ホテルや洒落乙なカフェで高い金を払うサードウェーブ的な珈琲も美味いとは思うが、自分の場合、海岸や山頂などの「大自然ど真ん中」で淹れた珈琲の味はやっぱり格別だなと思う。朝日と共に目が覚める、目覚し時計を使わない生活に突入をしたのは、およそ2年間に渡る「家のない生活」に依るところが大きい。いまでは熱海と菊名に家がある(家のない生活は終止符を打たれた)けれど、稀に、家のない生活をしていた時の方が「世界を広く感じていた」ように思うことがある。今日は何処へ行こうか、今日は何処で眠ろうかなどと考えながら、気の向いた方向に移動をする。過酷で厳しい部分ももちろんあったが、自分は何処にでも行くことができる(自分のいる場所が、どこであれ「自分の家になる」)ということの『身軽さ』と『生きていることの手応え』が、たまらなく嬉しかったのだと思う。

 


家のない生活を終え、熱海と菊名に家を構えた。自分ひとりだけのために使うのは何かが違うと思い、ごちゃまぜの家というコンセプトで菊名を拠点に活動をはじめた。この前の日曜日、近隣住民の方々に向けた説明会(?)の場を設けた。みなさまからは「得体の知れないひとが住み着いたらどうするのか」とか「閑静な住宅街だから騒音を出されては困る」という声をいただき、基本的には『近隣の方々のご迷惑にならないように徹底的に配慮を重ね、不特定多数の出入りは最低限度に抑え、静かに、ゆとりのある生活をする』ということで合意(?)を得た。TPD48の活動も今月末まで延期をされ、新メンバー「ひとみ【MADE IN NAGOYA】」が新しい風が吹かせている。ごちゃまぜの家の2階部分と離れの部分は賃貸物件として貸し出されることになり、後日、不動産の方が詳細をまとめてくれることになっている(居住希望者の方はお気軽にご連絡ください)。

 

【イベント詳細】【2th「Yabaival days!!」/TPD48】

 

人間に対する信頼を取り戻す。

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ごちゃまぜの家の準備をしながら、なぜ、自分はこのような活動(?)をやりたいと思ったのかを考える。家のない生活を通じて、多分、わたしは『様々な方々に育てられる』という体験をさせていただいたのだと思う。当時、家も金も仕事も何もなかったわたしに救いの手を差し伸べてくださる方々は、驚く程に大量にいた。我が家に泊まりに来たらいいだとか、ごはんならいつでもご馳走をするよとか、様々な方々が様々な形で『優しさ』を示してくれた。わたしは、これほどまでにひとは優しいものなのかということを実感し、感動し、当たり前のことなのかもしれないけれど「ひとは優しい」ということが日に日に細胞に刻まれていった。人間に対する不信感は徐々に消え去り、ひとは優しいものなのだということ、本音で話せば「本当は誰もが助け合って生きていたいと思っているのだ」ということを思うようになった。

 

家のない生活を通じて、わたしは「自分は生きているのではなく『生かされている』のだ」ということを強く感じるようになる。この思いには、何かあるとすぐに傲慢になりがち(自分は自分の力で生きているのだと思い込みがち)な自身の醜い自惚れを、そっちじゃないぞと『中心』に引き戻してくれる力がある。冷静に考えて見ると、家のない生活をはじめる前【生まれた瞬間】から「自分は生かされていた」ことに変わりはないことはわかる。ブログを書けているのは言語やiPhoneやWEBを開発してくれたひとがいるからであり、電気やガスや水道などのあらゆる公共設備を発明してくれた先人がいるおかげで、私たちはその恩恵を授かりながら「いまを生きる」ことができている。ただ、日常的な恩恵を受け続けていると「恩恵が恩恵であるということを忘れてしまう」のが人間だ(と思う)。一度、何もかもを失ってみたことではじめて、すべては恩恵に包まれていたのだということを(結果的に)細胞に刻むことができた。

 

人間に対する信頼を取り戻す。大袈裟な言葉になるけれど、今回のテーマはこれに尽きるのだと思う。多分、現在の日本の空気感は「人間に対する不信感」で醸成されている。他人とは「【味方ではなく】敵」であり、ともすると自分に危害を加えかねない(だからこそ監視をする必要がある)ある種の脅威であるという認識は強い。だからこそ、自分の身は自分の力で守らなければいけないということになり、学歴や資格や社会的な肩書きを目指してみたり、家や車などの物資を共有するのではなく独占をしたり、カネを溜め込んでみたりするのだけれど、それで幸せになれたかという謎だ。溜め込むという行為には「いつか失うかもしれない」という恐怖【欠乏感】が付きまとい、それがうまくいっている間は何も問題ないけれど、何かしらの事情でそれを失うことになった時、同時に精神的な支えまで失ってしまう。ひととの繋がり【共有財産】があれば「自分がこれを失ってもあのひとが持っているから大丈夫(あのひとが困っている時は自分が助ける側にまわる)」という相互補完が成り立つが、分断、分断、分断の【自己責任化】が進み過ぎると、ひとりですべてを背負いこむことになり「何かしらの事情で継続が困難になった」瞬間に、そのひとは即座に困窮に陥る。そして、困窮に陥った時にはじめて「誰かに助けを求める力を養う機会が、これまでにまるで足りていなかった」ことを知る。

 

【過去記事】絶滅危惧種で行こう! - いばや通信

 

共有財産を増やす。

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占いなどのカウンセリングを受けるのは「調子が悪い(何かしらの問題を抱えている)時ではなく、調子が良い時にこそ受けるのが良い」と聞いたことがある。自分が窮地に陥ってから外部に救いを求めるのではなく、特に問題を抱えていない時から、相互に関わりを築き合う(日常的に本音を話せる関係性を築く)こと、最悪の事態を意識的に想定すること、自身を冷静に客観的に眺める習慣をつけること、など、そういったことが大切になるのだと思う。大袈裟な言葉になるけれど、家のない生活はわたしに「生きる力」を授けてくれた(ように思う)。最悪の場合は家も金も仕事もなくてもどうにかなる、ひととの繋がりがあれば人間は死なない、テントを張れば世界中の大地が自分の家になる、そんな『遊牧民的な生き方』もあれば『托鉢僧のような生き方』もあるのだということを教えてくれた。

 

わたしは「共有財産」を増やしたいのだと思う。端的に、誰でも自由に使える家が世界中に増えたら、家や金や仕事がないことで困る(最悪の場合は精神的に追い詰められて自殺をする)ひとは減ると思う。最悪の場合はここに行けばどうにかなるという場所があれば、いまよりも少しだけ大胆に生きることができる。家も車も必要な家財道具なども「全体で共有されている」ものが一定数あれば、ひとりあたりの負担額は減る。固定費が下がると「生きるハードル」も下がる。ものを媒介としたコミュニケーションも発生をして、結果的にひととの繋がりも生まれやすくなる(その分、人間関係におけるストレスも増えるのかもしれないがこれは一長一短である)。絵空事にも程があると笑われるかもしれないが、多分、人間を幸せにするものはモノでもカネでも社会的な名誉などでもなく「ひととひととのコミュニケーション」だとわたしは思う。自己責任の分断化が進み過ぎると、コミュニケーションの機会が絶たれる。コミュニケーションの機会が絶たれると、これだけ多くの人々が同じ世界に暮らしていながらも「誰もが孤独を抱えている」というあまりよくない現象が起きる。

 

もちろん、菊名の家でこれらすべてを補うことができるとは思わない。近隣の方々との兼ね合いもあるし、最初は「目指すところの20%程度でも達成できたら御の字だ」と思っている。その土地土地によって、できることもあれば(当たり前のことだけれど)できないこともある。だからこそ、わたしは「熱海や菊名以外にも、比較的自由に使える家が増えたらうれしい」と思う。菊名の家の清掃&準備は一旦落ち着き、明日からしばらく(しばらくというか死ぬまで)時間がある。もしも「ごちゃまぜの家に適当な家を知っている」という方がいたら、ご連絡をいただけたら幸いです。日本全国【世界各国】、都合がつく限りどこにでも足を運びたいと思っています(ごちゃまぜの家以外でも、比較的どのようなことでもやると思いますので何かしらご用件のある方はお気軽にご連絡ください)。

 

【過去記事】真の平和を望むなら、偽りの平和を終えることだ。 - いばや通信

 

わたり文庫『思いを伝えるということ』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、大宮エリー著作『思いを伝えるということ』です。こちらの本は、先日、わたしが不在時に熱海の家を訪ねてくれた20代の女性R様が置いていってくれた珠玉の一冊になります。この前、熱海の家を掃除するために、久しぶりに熱海の家に戻りましたところ居間のテーブルの上にこの本が置かれていました。本の横にはR様からの置手紙があり、そこに書かれていた内容と、可愛らしいR様の丸い文字に激しく癒されました(手書きの文字はいいものですね!)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

圭吾さん

 

おじゃましております。そして、この度も、本当にありがとうございます!

 

ここ最近、予定をツメツメにして忙しく過ごしていたら、「忙」の文字通り心を亡くしてしまったようで、「嫌だな」と思ったことをなかったことにしてみたり無理矢理プラス思考にしていたら、金曜日のバイト中に突然の!「どーせ、私は嫌われてるし。」という思いに襲われ、やっと自分のSOSに気が付いた次第でございます・・・。本当に突然!何もないのに!(笑)

 

この「どーせ、嫌われる」は小1のとき位からずーっと私の中にあるもので、ここ1年位は大丈夫だったので忘れていましたが、久しぶりに出会ったので今回は「そんなことないよー。大丈夫だよー。」の為の熱海訪問でした。いろいろ考えていることはあるのですが、今回置き土産にしていく本が私の気持ちは変じゃない。と思わせてくれた一冊になりますので、お時間あれば読んでいただけると嬉しく思います。

 

メールでも手紙でも自分の文才のなさに悲しくなりますが(笑)とにかく、もう、坂爪さんに感謝∞です!絶対的信頼感です!好きです!幸あれ〜!!!【2017.6.17 21:41 ◯◯】

 

殺伐とした世の中が、少しでもほぐれたらいい。

何か新しいことをやろうとする時は、どうしたって誹謗や中傷がついてまわる。時には「死ね」とか「消えろ」とか、こんなことまで言われなきゃいけないんだねと愕然とする(!)こともあるけれど、まあ、この程度のことは仕方のないことなのだと思う。もののけ姫ではないけれど「憎しみに憎しみで対応をしてしまっては、世界に憎しみを増やすだけだ。憎しみを消し去ることができるもの、それは愛だ」ということになる。自分が信じるものがあるならば、まわりに何を言われても信じた道を貫くこと。正解か不正解かはわからない。それは歴史が決めることだ。言葉は生き様に宿らせよう。それを見たひとがどのようなことを思うのかは、自分のコントロールの範囲を超えている。自分にできることは「瞬間瞬間にこころを込めること」、ただ、それくらいのことなのだと思う。

 

 

人間に対する不信感を基盤にした世の中が、少しでも「人間に対する信頼感」を基盤にした世の中になればいいと思う。他人とは自分の敵であるという認識から、少しでも「他人は自分にとっての味方(になり得る存在である)」という世の中になればいいと思う。自分の力で生きることができて一人前【誰かに助けを求めることは半人前】という認識から、少しでも「困ったときはお互いに助け合える」世の中になればいいと思う。ひとに迷惑をかけてはいけないという認識から、少しでも「ひとに迷惑をかけてしまうかわりに、ひとの迷惑にも寛大になれる」世の中になればいいと思う。自分も我慢をしているのだからお前も我慢をしろと強制をされる世の中から、少しでも「誰もが好きなことをやりながら、それでも調和が保たれている」世の中になればいいと思う。殺伐としている世の中に、それでも捨てたものではないと思える一陣の風を、閉塞感や停滞感でがんじがらめになっているこの国の雰囲気が、少しでもほぐれたらいいと思う。

 

 

自分に何ができるのかはわからない。ごちゃまぜの家というひとつのアイデアも、ただの絵空事で終わり途中で頓挫をするのかもしれない。自分にできることは、ただ、自分が思うベストを尽くすということ。深刻になるのではなく「楽しむ」ことを忘れないこと。小沢健二の流動体についてという曲の歌詞にある通り、誓いは消えかけてはいないかと、深い愛を抱けているのかと、できる限りの自問を続けること。多分、それくらいなのだと思う。その先に何が待っているのかはわからない。ただ、何が待っているのかを見てみたい、感じてみたい、そこでは自分はどのような気持ちになるのかを知りたいとは思う。うまくいくかもわからない、ダメになるかもわからない、それでも「その先に見える景色を見てみたい」という思いがあるからこそ、多分、わたしは今日を生きていきたいと思えるのだろう。失敗することを恐れることよりも、批判をされることを恐れるよりも、失ってしまうことを恐れるよりも、恐れることによって「よろこびに触れる機会」を失ってしまうことを、何よりも恐れていたいのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

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