「家がない生活」を通じて獲得した10のメリットと、すべての出来事には必ず終わりの瞬間が訪れるということ。
「家がなくても生きられる」ことが立証できたら面白いだろうなと思っていて、家のない生活を送っている。普段はスーパーカブに必要最低限のキャンプ道具を積み、気が向いた場所にテントを張って暮らしている。知人や出張先(?)の家に泊めてもらうこともあるし、稀に触れる人の優しさは心から感動する。もちろん良い部分ばかりではないけれど、自分がどこまで行けるのかを知りたいと思っている。
家のない生活を送る10個のメリットを考えてみた。
1・家に帰る必要がなくなる。
これが最大のインパクトだと思う。人間は食うものがあって雨露さえ凌げれば基本的に死なない。家賃のために仕事を続ける必要もなくなり、家に帰るために満員電車に乗る必要もなく、自分が行った先にテントを張って眠れば『家に帰る必要』がなくなる。どこまでも突き進んで行くことが出来る。
私(坂爪圭吾)と名前が似ている坂口安吾(同じ新潟出身)も言っている。「『帰る』ということは、不思議な魔物だ。『帰ら』なければ、悔いも悲しさもないのである。『帰る』以上、女房も子供も、母もなくとも、どうしても、悔いと悲しさからは逃げることが出来ないものだ」
2・圧倒的な自然の美しさを知る。
私はこの生活を続けるまで、これほどまでに朝焼けが綺麗だということに気づかなかった。朝焼けや夕焼けを眺めていると「他には何もいらない」という多幸感に包まれる。世界はこんなにも美しいのかと、大袈裟ではなく心の底から感動する。時には涙が流れそうになることもある。登る朝日を眺めていると、この景色を大切な誰かに見せてやりたくなる。今の私に特定の恋人はいないが、自分にも家族や恋人や小さな子供がいたら「あいつにもこの景色を見せてやりたい」などと思うのだろう。
3・当たり前の出来事に猛烈に感動する。
野営生活は、当たり前だが風呂もなければシャワーもない。暖房設備もなければ良質なスピーカーもないし、電源コンセントもなければ充実したシステムキッチンなども皆無だ。だからこそ、知人などの家に泊めてもらう時にはあらゆるものにいちいち感動する。シャワーの有り難みや大の字になって横になれるフローリングに胸は高鳴り、柔らかい布団や暖房設備や電子レンジや冷蔵庫という魔法のボックスに心が震え、当たり前の生活のいちいちが『有り難み』に溢れて新鮮な輝きを伴ってこの目に映る。
4・周囲の目線が気にならなくなる。
とにかく図太くなる。私は新潟の海岸沿いの広大なスペースにテントを張ることが多い。いつか誰かに怒られる日が来るかもしれないが、その時はその時である。「怒られてから考えよう」が私のモットーなのだけれど、いばやの共同代表であるMAYUが「ギリギリ怒られることをやろう!」と私よりも一歩先の発言を繰り返していたので、私もギリギリ怒られることをやらなければと思っている。タブーに触れなければ何も変わらない。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。(太宰治「斜陽」より)
5・人間的にタフになる。屈強になる。
真夏に海岸にテントを張って眠っていたら、深夜に大雨が降ってテントの中に池が出来ていた。それだけならまだしも、最悪だったのがふなむしが大量にテントの中に避難してきていて、私は人生最悪の目覚めを果たすことになった。森にテントを張っていた時は、真夜中に見知らぬ人に思い切りシャッター全開で写真を撮影されたこともある。しかし、他には何も危険な目にはあっていない。日本は平和だ。
こうした経験を重ねていると、細かいことがどうでもよくなる。この前、福岡県に行ったときに虫食いのイベントが開催されていた。私は知人と参加したのだけれど、これからは爆発的な人口増加に伴って食料不足が懸念されており、たんぱく質などの栄養素が豊富な昆虫が世界的にも半端なく注目されている。基本的に素揚げにすれば虫は何でも食べられると知った。イベントでは蝉の子やミールワームやカナブンやケムシを食べた。バッタがエビのようで美味しかった。空を飛ぶとんぼを見る目が変わった。
多分、天災や戦争や財政破綻が起きたときに、野営生活を極めた人間は強い。今は何が起こるかわからない時代だ。地震などの天災や戦争や財政破綻のどれかひとつが5年以内に起こるかもしれない。変えられるものは変える勇気を、変えられないものは受け入れる度量を、そしてそれらを見極める叡智を養う必要がある。野営生活を通じて肉体は屈強になり、精神が研ぎ澄まされて無駄が削ぎ落とされる。
6・人の優しさが涙が出るほどに染みる。
これは猛烈に感じている。先日、私のライフスタイルを面白がってくださる方々に招待されて、福岡&大分&佐賀&東京で連続トークセッションを開催した。現地の人々が本当に良くしてくださり、私は毎日豪華な料理と温かみの溢れる家庭に宿泊することが出来た。神戸から大量の大トロが送られてきたり、佐賀ではいのししの肉や健康豚のしゃぶしゃぶや鯛のおかしらまでもご馳走していただいたり、福岡では新鮮な海鮮料理の数々を、大分では中津発祥の唐揚げや温かみ溢れる家庭料理をいただいた。
私はロクなものを食べていない。生活環境も最低レベルのものなので、多くの人にとっての日常が私にはご馳走になる。珈琲豆も買うお金も勿体無いので、今では公園の水道水をバーナーで沸騰させて白湯を飲んで空腹をごまかしている。こうした状態で触れる人の優しさには心が震える。「この人たちに恩返しが出来るような、この人たちが私を見たときに恥ずかしくない生き方をしよう」と思う。
7・講演や執筆などの依頼が舞い込む。
上記でも述べたように、家のない生活を続けていると様々な気づきがある。私はそれらをこのブログや各種SNSを通じて発信していた。すると、私の投稿内容を面白がってくれる方々から「実際に話を聞かせてくれ」という形で、講演やトークセッションを頼まれるようになった。企業からも原稿執筆の依頼が来るようになり、世間的にも有名な方から「お茶でもしないか」と誘われるようにもなった。
何かをすれば何かが起こる。これは人生の美しい保証で、私は講演や執筆をしたくて野営生活をはじめたつもりは微塵もないが、こうした予測不可能性こそ人生の醍醐味であると感じている。私は基本的には新潟で生活をしているけれど、必要であれば何処にでも行きます。何かあればいつでも気軽に連絡をもらえたら嬉しいです。ネット環境だけは死守しています。インターネットの恩恵を全身で浴びよう。
連絡先はこちらです。内容は問いません。
坂爪圭吾 07055527106 or 08037252314
LINE:ibaya keigosakatsume@gmail.com
8・過去も未来もなく『今』を生きることが出来る。
私には何もない。理想の夢や実現したい目標も、到達したいと願う目的地なども何もない。あるのは目の前にある一瞬一瞬の瞬間だけで、この瞬間をいかに充実させたものにしていくのかという、ただそれだけに対する熱情のようなもの以外には何ひとつ持ち合わせていない。家のない生活をはじめてから、過去に対する怒りや後悔の感情や、未来に対する不安や恐怖の感情は驚くほどに消え去っていった。
おそらく、何かを思い悩むというのは豊かさが生んだ現代の病理なのだと思う。私には何もない。未来の保証もなければ手元にあるものも失うものも何もない。今を生きることに精一杯で、他のことに思いを巡らせる余裕がない。ただただ目の前にある瞬間瞬間を充実させるように、全身で今を感じることに集中する生活を続けていると、不思議なことに日々の幸福度は圧倒的に向上してきている事を知った。
過去も未来もなく、今の私には「目の前にある瞬間瞬間だけなのだ」ということ。本来であれば、日本に生まれた時点でサイコロで言えば6が出ている状態であり、圧倒的に平和で人も優しく豊かな自然に溢れた日本に生まれたことを、私たちはもっと喜んでもいいんじゃないのかと、そういうことを思う。
9・人生が変わる。自分がどれだけ恵まれているのかを知る。
世界的にも著名な経営コンサルタント・大前研一氏は言う。「人生を変える方法は三つ。住む場所を変えるか、付き合う人を変えるか、時間配分を変えるか。一番良くないのは『決意する』ことで、実際的な行動を変えなければ何も変わらない」
私は「家のない生活」を通じて、いきなりこの三つのすべてが変化した。毎日住む場所が変わり、ホームレスから大企業の社長&芸能人まで様々な人との付き合いも生まれ、帰る家がないために日々の時間配分も爆速で変化した。すると、何が起こったか。人生が変わった。今まで訪ねることのなかった九州にも頻繁に足を運ぶようになり、原稿執筆の依頼も舞い込み、日々の気付きが大量に生まれ、文字通りのサバイバルスキルも少しずつだが実際に獲得していくことに成功している。
勘違いしないで欲しいが、野営生活は決して簡単なことではない。どうしようもないさみしさに襲われることもあれば、自分の非力さに情けなくなることもあるし、あらゆる執着からある日突然自由になれるものでもない。確実に言えることは「簡単なことには価値がない」ということで、もしも何かを変えたいと思うのならばある程度極端なことをやらなければ、大した変化も望めないということだ。
私は「家出のすすめ」を提唱したい。別に野営生活をはじめずとも、一大決心をして何処かに移住する必要もなく、ただただ一週間「自分の家に帰らない生活」を試してみるだけで、圧倒的な変化に触れることが出来るはずだ。自分が生活するために必要な荷物を知ることが出来るし、自分が本当の意味で頼りに出来る人間関係はどれだけあるのか、自分がこれからの人生において自分自身に何を望むのか、自分にとって必要なものは何で、自分にとって必要ではないものは何なのかを全身で知ることが出来る。
そして、今までの自分がどれだけ恵まれていたのかを知ることが出来る。五体満足で衣食住が整っている。これさえあれば不満を言ってはいけないのだということを知ることが出来る。
10・死ぬことについて考える瞬間が増える。
最終的なメリットはこれだ。人は必ず死ぬ。生きていれば様々な不安に囚われて行動が鈍ることがある。しかし、いつか私たちには成功も失敗することも出来なくなる日が必ず訪れる。死ぬことがわかっているからこそ、自分に与えられた命を大切にしようという気持ちが静かに強く湧き出してくる。今までやりたいと思っていたけれど、今までやれずにいたことをやってみる、会いたい人に会いに行く、自分の思いを行動に移す、表現する、何度でも何度でも何度でも這い上がり、生きる。
生きているのは今だけで、すべての瞬間には必ず終わりが訪れるということ。「家がない生活」を通じて私が獲得してきた10のメリットは以上になる。言葉で伝えることが出来る範囲には限りがある。何かひとつでもピンとくるものを自分自身の生活の中で試してみてもらえたら、これほど嬉しいことはない。人生は有限で、いつか傷つくことさえも出来なくなる日が必ず訪れる。言葉を超えて、続きはリアルで。いつか実際に対面しながらあなたと話せる瞬間が来ることを願っています。人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
LINE:ibaya keigosakatsume@gmail.com