いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き方に答えはないのだから、多分、生き方に間違いもないのだ。

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【家を拾うまで帰れま10】も7日目にはいった。現在は、愛媛県宇和島市の九島という島で民宿&カフェ『Mawaru』を営むご夫婦から声をかけていただき、九島にいる。実は、3日目の段階で愛媛県今治市在住の女性から「来月から無人になる家があるので、もしよかったら使いませんか」という連絡が届き、家を拾う計画は3日目にして終了してしまっていた。今日は、これから家の下見(?)や周辺環境の視察(?)も兼ねて、海岸道路をひたすら飛ばして今治を目指す。

【家を拾うまで帰れま10】を敢行した背景には、不純な動機が3個あった。ひとつ目は「(家が欲しかったというよりも)『家を拾うまで帰れま10』と、ただ、言いたかった」ということ。ふたつ目は「暇だから」ということ。みっつ目は「実際に家を拾えてしまったら、何かこう、みんなのテンションが瞬間的にブワアっとあがるような気がしたから」ということです。そんな動機ではじめたために、四国にはいっても『家を探す』的なアクションは何もしていなかった。ただ、会いたいといってくれるひとたちと会い、それ以外は、遊びながら暮らしていただけだった。

愛媛県今治市の家をどう使うか。

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私は、昔から「誰でも無料で使える家があれば、人間は死なない」ということを思っていた。私が家を探している背後には、自分が住みたいという思いではなく、自分は住まないでもいいから「誰でも自由に使える場所がもっと増えたらいい」という思いがある。誤解を恐れずに言うと、家は、男には必要ない【女性やこどものためにあればいい】ということを、およそ2年間に渡る家を持たない生活を通じて実感した。男の役割は「家を拾う(家をつくる)」ことであり、多分、家に住む(家を育てる)のは女性の役割だと思うようになった。

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だからこそ、男性である自分の役割は「家を拾うこと」だと勝手に解釈をした。家を拾ったあとは、適切な女性陣(女性性を持った人々)にまるごと委ねて、また、次の家を探す旅に出る。家に女がいると書いて【安】なのだ、という話を過去に聞いた。男の私は「わかるなあ」と思った。今治の家をどう使うのかは何も決めていないけれど、ひとつ、個人的にやりたいことがある。軽自動車のバン程度の広さを持つ車をお洒落に改造して、快適な車内泊を実現できる(あるいは快適なテントを搭載した)移動型の家をつくり、その車を、誰でも無料で使えるように解放してみたい。今治市内には、世界的にも有名なしまなみ海道もある。

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宿が無料で、車も無料で、食事も同時に無料になれば、いままで以上に移動する【生きる】ためのハードルは下がる。私は『移動』と『野営』を愛している。普段は行かない場所に足を運ぶと、心に、新鮮な風が吹く。いまいる場所が世界のすべてではないのだということを、自分はいかに狭い世界で生きていたのかということを実感する。野営をするのも最高で、簡単な調理を屋外で行い、珈琲を飲みながら夕日を眺め、焚き火を囲み、星空を眺め、テントで眠り、朝日で目覚める。自然の中で、人生観が少しだけ変わる。もしかすると、私の次の役割は「車を拾うまで帰れま10」になるのかもしれない。

車を拾うまで帰れま10@日本編

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という訳で、もしも、奇跡的に「使っていない広めの車があるから、必要ならばあげるよ」的な方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけるとうれしいです。同時に、買ったけれども使っていないキャンプ道具があるという方も、ご連絡をいただけるとうれしいです【私はスノーピークを愛しています】。また、数年前に佐賀県出身の男性から頂戴したスーパーカブがあるために、こちらのバイクは誰でも自由に使えるように解放します。春だ。風が、空が、海が、山が、森が、非常に気持ちのいい季節になってきました。

『さよならソクラテス

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、池田晶子著作『さよならソクラテス』です。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

ソクラテス  それなら、自分自身が誇りでない人が、どうして善く生きていることになるのかね。自分自身が善く生きていないことを知っているから、人は何かに誇りを求めるのではないのかね。善く生きている人は、何かに誇りを求めなくても、それ自体が誇りなのではないのかね。

主義者  少なくとも私は、誇りということを日本人に教えたいのです。

ソクラテス  うん、そりゃ大いにけっこうだよ。だけど、善く生きることを教えるよりも先に、どうやって誇りを教えることができるのかと僕は言っているのだ。

主義者  ・・・・・。

ソクラテス  日本人であることに誇りをもてと教えれば、そりゃあもつかもしれないよ。だって、げんに日本人なんだから。そも自分に誇りをもてない人が誇りをもつ仕方としては、いちばん簡単なんだから。だけど、そもそも善く生きてはいないから誇りをもてない人々が、君の言う下劣愚劣な畜群のまんまで、いっせいに日本人であることに誇りなんかもったって、しょうがないんじゃないの。そのまんま戦争にでもなった日にゃ、どんなふうになるか、君たちはよくわかってるはずだがね。ー さよならソクラテス (P54・愛国心は誰のため)【新潮文庫


生き方に答えはないのだから、多分、生き方に間違いもないのだ。

実は、家を拾うまで帰れま10を開始した裏の理由のひとつに「もしかしたら、これから東日本に住めなくなるかもしれないと感じたから」というものがある。熱海の山中で暮らしていると、風向きによって、雲の形がまるで違うことに気付く。名古屋方面から吹く風ははっきりと白い雲を運ぶが、東北方面から吹く風は、霞のかかった、何かこう「不吉な予兆っぽい雲」が流れてくる。原発というものをまるで意識したことのなかった私でも、軽くやばそうな雰囲気を感じた。もしかしたら、これは「西に行け」という合図なのかもしれないと思った。


何かあったときに、常に動ける身体であることと、常に動ける先【複数の拠点】があることは、多くの人の身を助けることになるのかもしれない。もちろん、何もなければそれに越したことはないのだけれど、誰でも自由に使える場所が増えることが、各人の生き方の可能性を拡張すると同時に、結果的に「有事の際のシェルター」的な機能を果たせば幸運だと思っている。そして、居場所とは、場所ではなくて人間だ。そんな話をしていたとき、まさにその瞬間、各人の携帯電話がけたたましい音を立てて一斉に鳴った。音声機能が「地震です」と言う。緊急地震速報だった。急いでロウソクを吹き消して、いつでも机の下にもぐりこめる態勢を整えながら、WEBを開いて状況を確認する。しばらくしたあとに、大地が揺れる。心臓が軋む。嫌な予感が内面に広がる。ニュース速報は、熊本県震度7地震が発生したことを告げていた。その規模の大きさに、私達は言葉をなくしていた。


死を強く意識するとき、生き方に正しいも間違いのもないのだということを思う。はっきりとわかることは「いつか必ず終わりの瞬間が来る」ということで、いまある命を、いまある時間を、最大限に生かさなければ生まれてきた甲斐がないではないか、誰かに嫌われるかもしれないとか、自分の気持ちを理解してもらえないとか、安定した生活を送れないかもしれないとか、自分には金がないとか、自分には自信や勇気や能力が足りないとか、もう、そういうことがどうでもいいことのように思えてくる。死を強く意識するとき、それは、生を強く意識する瞬間だ。すべての美しいものは悲しみを内包している。それは「いつまでも永遠に見ていることはできない」という悲しみで、いま、この瞬間も二度とは戻らない日々の中にいるのだということを実感させる。そして「いまをしっかりと生きるんだよ」と伝えている。


瀬戸内海に沈む夕日が綺麗だった。

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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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