いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

幸せを祈ると、幸せになる。

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横浜駅前のドトールにいる。ごちゃまぜの家の解散が決まった。M様は「めっちゃいいことは、めっちゃ怖いことなんだね」と、解散を快諾した。めっちゃいいことは、めっちゃ怖いことなんだね。12月1日(日)15時、ごちゃまぜの家で弾き語りLIVEを開催します。大事なものが、いつまでも側にあるとは限らない。だから、会いたい人には会った方がいい。行きたい場所には行った方がいい。好きだと思う気持ちがあるならば、それを伝えた方がいい。是非、遊びにいらしてください。

 

 

おおまかなスケジュール

12月1日(日)Agape 坂爪圭吾 弾き語り演奏会@ごちゃまぜの家
12月3日(火)19時00分~19時40分 弾き語りLIVE@吉祥寺『曼荼羅』
12月4日(水)以降、
FREE!

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

可愛い俺には、旅をさせよ。

解散と言っても、家は残る。来年以降、どう動くかは謎だ。ちょどよいタイミングで「新しい家を探していた」とか「新しい生き方を探していた」という人がいれば、ご連絡ください。来年以降の動き方を、一緒に決めましょう。2020年2月14日までに今後の方針が固まらなければ、家そのものを手放す。何かをはじめることよりも、何かを手放すことのほうが、ずっと恐ろしいことだ。だからこそ、自由になるのだと思う。人工呼吸器を、思い切って取っ払ったら「おお、自発呼吸ができるじゃないか!」と、自分が自分に驚くように。自分が自分に感動をするように。

 

人工呼吸器を取り外し、自発呼吸に変えることを「Weaning(乳離れ)」と言う。私は、ごちゃまぜの家に依存をしていたのだと思う。これがあれば生きていけると思うことは、同時に「これがなければ生きていけない」という怖れを育む。それが仕事の人もいれば、友達の存在、両親の存在を、頼りにする人もいるだろう。乳離れの時期だ。もしも乳離れを考えている人がいたら、一緒に、乳離れよう。乳離れても残る命に、賭けようではないか。絶対大丈夫とは、俺は、言えない。ダメなこともある。最悪、死ぬこともあるだろう。しかし「死ぬことも含めて大丈夫だ」とは、言える。死ぬことは、不自然なことではない。遅かれ、早かれ、我々は死ぬ。

 

極論、恐怖の根源は『死』にある。死んでしまうかもしれないことを、怖れているのだ。だから「死んでもいい」と思えたら、勝ちだ。何が勝ちなのかは不明だが、勝ちだ。だが、私は、死ぬことよりも怖いことがあると思う。それは、許せなくなることだ。傷つくことよりも、嫌われることよりも、他人から馬鹿にされることよりも、私たちは、そのことによって『許せなくなること』を、怖れているのだと思う。何が起こっても、自分だけは「俺は、許す」と念じること。俺は、俺を許す。傷つくことも、傷つけることも。嫌うことも、嫌われることも。馬鹿にすることも、馬鹿にされることも。一緒に生きるということは、一緒に死ぬということだ。

 

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「evermore」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

まぶたに絡まる哀しみも
夜明けに 薄れ

凍てつくほほにも喜びの
あかりが 揺れる

およぐ風 うかぶ雲
すべてが 許されてる日々を

おどる花 そよぐ夢
すべてを 許す日々のなかを

彼方に途切れた後悔の
軌跡を 抱き

通り過ぎて行く不可思議は
常しえに いまでも

およぐ風 うかぶ雲
すべてが 許されてる日々を

おどる花 そよぐ夢
すべてを 許す日々のなかを

 

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幸せを祈ると、幸せになる。

俺には見える。すべての人間には、聖母と鬼が同居している。聖母だけでも足りない。鬼だけでも足りない。これらが両輪となったとき、人間街道を爆走する。聖母を肯定することは簡単で、鬼を肯定することは難しい。どうしても、自分の中にある『鬼』を、否定したり、覆い隠したり、打ち消そうとする力が働く。溜め込まれた鬼は、時に、最悪な形で発露をする。それは、無差別殺人であったり、鬱病であったり、原因不明の病気であったり、する。人間の精神は、聖母の神殿であると同時に、鬼の棲家でもある。鬼に食い殺される前に、鬼を飼い慣らす必要を感じる。

 

 

みっつとはじめて出会った時、ああ、不良だなと思った。礼儀正しい不良。そんな言葉が成立するのかは謎だが、そう思った。不良とは、組織に馴染めなかった人間だ。巷では「学校はこうあるべき」とか「社会はこうあるべき」など、理想論が語られる。だが、私は、組織とは反発する力を学ぶ場所だと思っている。だから、組織がダメならダメなほど、我々は「抵抗する力」を学ぶ。共生という言葉がある。多様性という言葉がある。おそらく、不良は、これらの言葉に嘘くささを感じている。騙されてたまるかと思っている。共生よりも、不良は『共死』を選ぶ。生き物は、ほかの生き物を殺すことで生きながらえている。他者を殺す覚悟と、自己が殺される覚悟。この覚悟が抜け落ちた議論に、不良は、一切の価値を見出さない。

 

 

太宰治は「不良とは、優しさの事ではないかしら」と書いた。安全な社会。安全な生活。安全な人生。そんなものは幻想だと思う。一寸先は闇。それが、真実だと思う。何が起こるかわらかないのは、全員、同じだ。闇があるということは、悪いことじゃない。闇の中に、とんでもない宝物が隠されていることだってある。これまでの人生、もうダメだと思ったことは何度かある。だが、その「もうダメだ」の先に、これまで以上の膨らみが展開した場面を、何度も見た。見守ることが愛情ならば、突き落とすことも愛情だ。可愛い俺には、旅をさせよ。私は、私を、突き落としたい。何が起きても、這い上がろうとする自分がいることを、信じたいと思う。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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