俺は、俺という作品を完成させるから。
福島駅前のタリーズにいる。アウシュビッツに比べれば天国。なぜなのだろう、常に、脳裏にその言葉がある。ちょっと気分が沈んだ時など、今、自分は拷問を耐え抜き、外に出てきたばかりの囚人だと妄想する。歩ける。走れる。外の空気が吸える。軽口を叩ける。好きなものを食べられる。好きなひとに会いに行ける。誰にも殴られない。誰にも監視されない。花。虫。空。雲。道路。車。排気ガス。すべてが輝いて見える。一気に元気。一気に天国。憂鬱そうに歩いているおじさんを見ると、肩を叩いて「生きているって、素晴らしいことですね!」とか言いたくなる。
人を好きになることを、好きになろう。誰かを『好き』だと思うことは、何かを『好き』だと思うことは、同時に、自分を好きになることなのだと思う。人を好きになることを、世界を好きになることを、好きになりたいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年11月16日
幸せとは、手をつなぐこと。 - いばや通信 https://t.co/3EiHYzKsTD
おおまかなスケジュール
11月18日(月)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「5th-Street」
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
愛は、ひとを自由にする。
聖なる予言という本に、興味深い記述があった。コントロールドラマ。誰もが、幼児期の経験をもとに性格を形成する。それは四種類。脅迫者。尋問者。傍観者。被害者。この、どれかになるらしい。脅迫者は、相手に『このひとの言うことを聞かなければ生きていけない』という恐怖心を植え付け、支配をする。尋問者は、相手に『自分は未熟な存在だ』と劣等感を抱かせ、支配をする。傍観者は、よそよそしく振る舞うことで自分を神秘的に演出し、相手を『その世界観に引きずり込む』ことで支配をする。被害者は、相手に『自分のせいで、このひとは不幸なのだ』と罪悪感を植え付けることによって、支配をする。乱暴にまとめると、こんな感じだ。
あなたは、どれに近さを感じるだろうか。そして、あなたの親は、どのタイプに近かっただろうか。家庭環境に限らず、恋愛でも、職場でも、コントロールドラマは継続される(らしい)。あなたのまわりに、こんなひとはいないだろうか。なぜだかわからないけど、このひとといると自分が萎縮をしてしまう。それは、相手が脅迫者である可能性が高い。なぜだかわからないけれど、このひとといると自分は未熟な存在だと感じることが多い。それは、相手が尋問者である可能性が高い。なぜだかわからないけど、このひとといると分離感、疎外感、孤立感を感じてしまう。それは、相手が傍観者である可能性が高い。なぜだかわからないけど、このひとといると罪悪感が堆積する感覚がある。それは、相手が被害者である可能性が高い。
幼少期、こどもは、相手の関心をひくために、あらゆる手段を駆使する。そして、一番効果的だったものが、その後の人格形成に強く影響する(らしい)。ありそうな話だ。この話を読んで、思った。誰かを支配しようとしている時点で、ダメだ。支配することも、支配されることも、自由から離れる。私は、愛と自由は同義だと思っている。愛は、ひとを自由にするものだ。それは「ひとりでも生きていけるようにすること」だと思う。支配は、する側も、される側も、愛を引き離す。では、ひとりで生きていけるようになるために、必要なことは何か。それが『自分を知ること』だと思う。自分のコントロールドラマを知り、相手のコントロールドラマを知り、それに巻き込まれるのではなく、それらを統合する。支配される道ではなく、自由になる道を、心が楽になる道を、愛を解放する道を、統合することだ。
わたり文庫『聖なる予言』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、J・レッドフィールド著作『聖なる予言』です。こちらの本は、大阪在住の方から「わたり文庫にぜひ」と、寄贈していただいた一冊になります。スピリチュアル本に見えますが、それだけじゃない『地に足のついた知性』を感じる、素晴らしい一冊だと思います。素晴らしい作品に出会った人間には、責任が宿る。それは、また別の作品を探すことではなく「自分が見た感動を、自分の生き方に反映させる」ことだと思います。自分という作品を、完成させることだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※
今、ふと心に浮かんだことを言っておきます。あとでもっとよく、わかると思います。あなたの美に対する感覚で、あなたの行くべき方向を決めなさい。あなたに答えをくれる場所や人は、他よりもずっと輝いて魅力的に見えます。
J・レッドフィールド『聖なる予言』【角川文庫】
俺は、俺という作品を完成させるから。
感謝という言葉がある。そして「感謝を強要されることで、奪われるエネルギー」がある。嫌な仕事をやっている人間が、仕事があるだけで感謝だと思い込もうとするほど、次の一歩を踏み出せなくなる。感謝をしている対象に、自分の人生が支配される。その感謝が、心を自由にするものならば、大歓迎だ。だが、無理やり「感謝しなくちゃ」という感じでされる感謝は、隷属と同義だ。親に学費を出してもらったから、無駄にしないために就職しなくちゃ。とか。これだけのことをやってもらっているのだから、感謝しなくちゃ。とか。誤解を恐れずに言えば、感謝をすることが、あなたの生きる力を奪っている。感謝するほど「それがなければ、自分は生きることができないのだ」という無力感を、自分の内側に築きあげてしまう。
私は、提案したい。否定的な考えに囚われているとき、それは「罠にはまっている」だけだ。自分が、命が、自分をダメだと思うはずがない。自分はダメだ。自分は無力だ。自分は無価値な人間だ。そういう言葉が出てきたとき、それを振り払うには「これは全部罠なのだ」と思うことだ。罠は、あまりにも日常に多く潜んでいるから、油断をしているとはまる。支配的な思考、支配的な慣習は、世の中に蔓延している。そんなときこそ、素敵なあの人を思い出そう。自分が、心の底から「大好きだ」と思える人を思い出そう。彼らは、絶対、あなたを不幸にさせるようなことを言わない。逆に、あなたの心が軽くなる道を、あなたの心を自由にする道を、あなたにもなにかをやれそうな気持ちにさせる道を、言葉だけではなく、態度で示していたはずだ。愛は、ひとを自由にする。信じるべきは、その光(真理)だ。
俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させてくれ。一番の応援は、頑張れと言われることよりも「共に生きる」ことだと思う。それは、併走する感覚と似ている。だから、私は、願う。俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させてくれ。他の誰かじゃない、あなたがあなたであるほどに素晴らしいのだ。自分が自分であるほどに素晴らしいのだ。だから、負けないでくれ。周囲の支配に。そして、なによりも「自分が、自分を支配する」思考に、慣習に、負けないでくれ。自分を信じることは、自分の『好き』を信じることだ。だから、私は、あなたのいちばん星になりたい。そんな名刺を作ろうかなと思っちゃうくらい、なりたい。この言葉のダサさが気に入っている。あなたのいちばん星になりたい。自分にとってのいちばん星は、もちろん『あなた』である。
本当に素敵なひとは、一緒にいる人の心を軽くする。心を自由にする。自分にも、なにかをやれそうな気持ちにさせる。どれだけもっともらしい言葉でも、どれだけ正しいと言われている言葉でも、体が緊張を覚えるなら、無視をしても構わない。ただ、自分の心が自由を感じた方向に、進めばいいのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) November 17, 2019
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu