大丈夫だ。お前は護られている。
心斎橋のドトールにいる。明日11月22日(金・いい夫婦の日)19時から、心斎橋でライブがある。事前予約などは不要なので、是非、誰でも遊びに来てください。この日は、Agape初の物販もある。普通の物販じゃつまらないから、メンバー各自が「独自の商品を開発して、当日、陳列する」ということになった。私は、結局、家を売ることにした。熱海の家だ。今、家の権利書を取り寄せている。これまで、ライブの物販で家を売ったバンドはあるのだろうか。最近の合言葉は「捨て身」だ。
あなたがあなたであるほどに素晴らしいのだ。だから、負けないでくれ。世間の支配に。そして、何よりも『自分が、自分を支配する』思考に、慣習に、負けないでくれ。自分を信じることは、自分の『好き』を信じることだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年11月18日
俺は、俺という作品を完成させるから。 - いばや通信 https://t.co/LBcP2euXio
おおまかなスケジュール
11月21日(木)FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「5th-Street」
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
絶滅しよう! 〜Less is More〜
こんなことをしちゃったら、破滅しちゃうかな。そんな風に思うことがある。自分にも。他人にも。だから、普段は「破滅しないように」言動を選ぶが、昨日、別に破滅しちゃってもいいんじゃないのかなと思った。破滅しちゃえばいいじゃない。破滅しないように、破滅しないように生きるより、破滅をしても構わない。そこに「お前は、破滅をしても必ず立ち直ってくる」という信頼があるのならば、大丈夫だ。そういうことを、昨日、思った。具体的には、家がなくなっても案外いけるんじゃないのかと思った。恋人と別れたり、学校をやめたこと、離婚、離職、脱国、災害、倒産、自己破産、なにかをロスする体験が、人生の転機になることは多い。
私は自然を愛している。海も山も好きだ。猫派か犬派かと問われても「命派です」と答える。生命全体(動物全般)が好きだ。なう、自然破壊と同じくらい深刻な問題がある。それは『人間破壊』だと思う。森林が伐採され続けるように、心の森林も伐採されている。都会ほど人間はイライラし、人間関係はギスギスしている。自信のない人が多い。自分を賞賛すること以上に、自分を責めることの方が日常になっている。生きることより「生き延びること」ばかりに、フォーカスされ過ぎていると思う。なぜだ。こどもの頃は、もっと元気だったはずだ。一体、なにが人間の自信を奪うのか。なにが人間の勇気を挫くのか。愛が足りない。自由が足りない。
近代科学は、直感や偶然の一致を嫌う。だからこそ、私は、一種の反骨精神としてこれらを護り抜きたい。自分の心が「なんか嫌だ」と思ったら、短期的には得できそうなことも、やらない。逆に、いつもならスルーしてしまうような出来事でも「これはなにかあるかもしれない」と感じたら、立ち止まる自分でいたい。頭をよぎった考えが、どれだけ非現実的なものだとしても、熱くなれるものがあるならば、それを採用したい。家を売ってみたいと思ったら、売る。それがどうなるかは、わからない。ただ、それをやろうとしたことによって、展開する人生がある。直感こそ、人間の自然だ。直感を打ち消すことは、自分の自然を破壊することだ。
「ジュピター」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume
強くもないし 優しくもない
ただ命の限り 踊っていたい
清くもないし 正しくもない
でもいのちの 限り生きたい
本気じゃないなら もう いらないし
たのしくないなら もう やらないし
君にないものが僕にあって
僕にないものが君にもあって
必要とすることならできる
確かめ合うおなじ命がある
本気じゃないなら もう いかないし
うれしくないなら もう やらないし
死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ
誰のものでもない君がいて
誰のものでもない僕らがいて
誰のものでもないこの星で
ふたりだけの時間を刻もう
本気じゃないなら もう いわないし
さみしくないなら もう やらないし
死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ
本気じゃないなら もう いらないし
だれともなにとも もう くらべない
死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ
死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ
大丈夫だ。お前は護られている。
失う恐怖にとらわれるとき、人間は自在さを失う。これがなければ自分はダメになる。恐怖心に囲まれた自分は、大事な力を、他人に明け渡している。家がなければ。金がなければ。友達がいなければ。助けてくれる人がいなければ。など。だがしかし、違う。本当は、自分でなにかを成し遂げる力が、すでにある。この世界に、自分と同じ人間はひとりもいない。この時点で、誰もが稀有な存在であり、誰もが絶滅危惧種であり、誰もが天然記念物である。絶滅危惧種を乱暴に扱うと、怒られる。天然記念物を粗雑に扱うと、怒られる。誰に。俺に。坂爪圭吾に。坂爪圭吾は、命を無碍に扱う者を、怒る。言葉で怒る。音楽で怒る。存在感で、怒る。
私たちは、もっと自分を信じることができる。自分を責めること以上に、自分を賞賛することができる。檻の中に閉じ込めておくこと以上に、広い世界を見せてあげることができる。人生は、旅だ。自分という乗り物にのって、地球というテーマパークを遊び倒す。ディズニーランドとは少し違って、自分がアトラクションを作り出すことも、自分自身がアトラクションになることも、できる。私たちは、すでに、許されている。遊ぶことを許されているし、楽しむことを許されているし、自分を愛することも、誰かを愛することも、幸せになることも、許されている。特別なことをやろうとは思わなくても、自分の心が感じる「あ、いいな」を採用することができる。先のことはわからなくても、いま、この瞬間を生きることはできる。
大丈夫だ。お前は護られている。そのことを思い出せれば、自分をか弱くて不安で何かが欠けている存在だと思う必要もない。意固地に所有を続ける必要も、安全のために人を支配する必要もない。なにもない自分には価値がないと自分を責める必要もない。大丈夫だ。お前は護られている。きっと、私は、自分にも他人にも、この言葉を言い聞かせるために生きているのだと思う。くどいくらいに、何度でも。あなたが思う以上に、あなたは、素晴らしい存在だ。もし、そのことを忘れてしまいそうになったときは、私が怒る。だから、大丈夫だ。私たちは、護られている。
あんまり先のことを考えてはいけないのだと思う。何が起こるかわからない。そのことは希望にもなり、そのことは不安にもなる。何が起こるかわからないのは、みんな同じ。だから、特別なことをやろうと思わなくても、自分の心が「いいな」と思うことをやっていれば、それが特別な人生になるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年11月21日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu