いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

できるできないじゃない、やりたいが勝つ瞬間。

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心斎橋のドトールにいる。誰かに泣き言を言いたくなる夜がある。が、言っても仕方ないよなと思う自分も、同時に存在する。そういうときは、文章を書く。あるいは、一人で延々と歩き続ける。神様に語りかけるように、書いたり、話したり、する。生きている人には話せないことがある。言えば、泣き言になるから。言えば、愚痴になるから。そういうとき、神様の存在は、とても役に立つ。役に立つという言葉は不謹慎か。とても、力になる。こういう力に、私は、凄い支えられている。

 

 

おおまかなスケジュール

10月26日(土)18時 KEIGO&RYU&千 LIVE@大阪市大正区「和み中華 威」
10月27日(日)15時 Agape 定期演奏会@横浜市港北区「わたり食堂」
11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
すべてのイベントで参加者募集中です🌸🌸🌸

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

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遠くの誰かではなく、目の前のあなたに歌うのである。

自分の中に矛盾がある。音楽は誰のものでもない。だから、大前提として「みんなで楽しめたら最高!」と思う。真の調和を目指し、昨夜のライブでは誰でも使える楽器を用意し、みんなで演奏する形式を採用した。しかし、演奏中に小さなこどもたちが鈴やマラカスを乱発射しはじめ「正直、うるせえ」と思った。演奏の邪魔だと思ってしまったのだ。が、みんなでやりましょうと言った手前、どうすることもできない。ここは精神統一で突破だ!と丹田に力を込めるものの、あえなく玉砕。演奏中にも関わらず「ちょっと休憩しましょう」と、私は一回会場を逃げ出した。 

 

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「すみれちゃん」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

踏みつけた靴の かかとまで
いい匂いにする すみれちゃん

握った手のひらに 甘い香り残す

とおり過ぎていく ひとまでも
いい気持ちになる すみれちゃん

春の訪れ告げる 風にからだ踊る

消えないで 醒めないで 楽しそう
だまってて 揺れていて 楽しそう

なんのために歩くかなんて
君に会うためでいいでしょう?

なんでもないことを 笑ってくれたね

冷たい雨に 打たれながら
ひっそり泣いてる すみれちゃん

これから会いに行く 君に会いに行く

たくさんの光 吸い込んで
露のドレス舞う すみれちゃん

アスファルトの割れ目から ひょっこり顔を出した

消えないで 醒めないで 楽しそう
だまってて 揺れていて 楽しそう

なんのために生きるかなんて
君に会うためでいいでしょう?

なんにもないぼくに 笑ってくれたね

 

アメリカの作家・マークトウェインの言葉に「赦しとは、踏みにじられたスミレの花がそのかかとに放つ芳香である」というものがある。この言葉を見たとき、す、すげえなと思った。自分には到底無理だと思ったが、そうあれたらと思う気持ちも抱いた。同時に「どこか、女性的だな」と思った。自分は男で、これまで、母親を含めた様々な女性に『赦されながら』生きてきた気がする。女は花で、男は種子なのか。花は、その土地を動かない。だが、女から生まれた男(種子)は、どこまでも運ばれる。男は、自分が遠くまで行くことを「自分の力でやっているんだぜ」と容易に思い込むが、ただ、運ばれているだけだ。花の力。風の力。命の力。生きているのではなく生かされていることを忘れた時、私は、容易に傲慢な存在になる。

 

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イチカ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

あんまり先を 考えちゃうとさ
どうしたって すぐ 疲れちゃうから 

いまはここに 君といよう このままで

とんちんかんな 安心感でも
ないよりは ずっと うれしいだろう

勘違いだと わかっている でも 続けていこう

夢の終わりは少しせつなく 涙がこぼれそうにだってなる
生きているだけでいいよ あとは全部おまけだろう

再び生きることのない今日の 太陽が海に沈んで消える
いちからひゃくを 繰り返す むきだしのまま

顔がいいだけじゃ 飽きられちゃうから
みそから セクシーにならなくっちゃ

ひたむきに生きる姿は「美しい!」

みそっかすでも 出たとこ勝負で
かっこ悪さも かっこ良さになる

いちかばちかの大博打「それでこそ!」なんてね

自分でもびびるほどのでかい夢が いま 目の前で帆を上げる
汚れたままでもいい はみ出し者にも福は来る

どうすりゃいいかわからんときは 損になる道を選べばいいよ
いちからひゃくを 投げ返す からっぽのまま

夢の終わりは少しせつなく 涙がこぼれそうにだってなる
「生きているだけでいいよ あとは全部おまけだろう」

二度と会えない人の言葉も いま ぼくたちの胸を温める
一度きりの朝(あした)を 迎えにいこう 迎えにいこう

 

すべてはベストなタイミングで起こる。現実に抗うのではなく、現実を受け入れ、楽しむこと。そんなことを休憩中に思った。抵抗するから、ダメになるのだ。変えようと思うから、肩に力が入るのだ。波乗りと同じである。自分も波になればいいのだ。そんな抽象的なことを思いながら、後半戦に突撃した。ら、実に良い空間が生まれた。2時間のライブに、人生のすべてが詰まっていた。そして思った。俺は、遠くの誰かに歌うのではなく、目の前のあなたに歌うのである。文章を書くときも同じだ。得体の知れない『みんな』に向けて書くのではなく、いま、これを読んでいるたったひとりに向けて、歌ったり、話したり、思いを飛ばすのだと思う。 

 

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「アリエル」 作詞 Ryota Hoshina 作曲 Keigo Sakatsume

僕は檻に閉じ込められたライオンさ 適度に演じて人を騙す
肉が欲しいと たまには吠えて 三度の飯だけ求めて生きる

僕は王に飼いならされたライオンさ 大あくびして 目を瞑る
不具でもないのに駆けやしない 半分 フリで 半分 寝てる

どうやら夢ってやつを見たらしい 地平線を往くあの太陽と
風に吹かれ黄金(きん)に輝く草 踏んだ大地は火より赤く

肚の底から咆えたくなって 生きてるな 生きてるぞ 意気揚々
エモノは 己で獲るんだな 駆け出して 駆け抜けて 空になる

息が苦しい傷が絶えない これが生きるってことなのか
百獣たちよ 待たせたな 流れた 涙が 答えのようだ

僕は夢から醒めたライオンだ 誰の期待にも応えない
その餌には 誘われないぜ 断食中さ 頭が 冴える

はじめて願いを持ったんだ 水平線から昇る眩しい光
雷鳴とどろく荒野の雨に かかる虹を見てから死のう

心の臓から震えてくるな 勇んでるな 挑んでるぞ 闘ってるぜ
機会(チャンス)は自分でつくるもの 血が流れて 嬉しくなって 倒れちまった

身体が鉛にもう動けない なんだ 空ってこんなに青く
百十回目の 敗けがつく だけど 気分は 晴れていた

死に方よりも 生き方だろう どこにぶち当たるのかわからない
わからないけれどここではない ここではないからまず飛び出す

腹の底から湧き上がってくる 生きてるな 生きてるぜ 意気揚々
エモノは 己で掴むもんだ 懸け出して 駆け抜けて 駄目になれ

ああ愉しかった そう言いたい 遠い夜空に笑顔浮かべ
百十個目の 星 となって 闇の中へ 流れて 消えた

僕は檻に閉じ込められたライオンさ 大あくびして 目を瞑る

 

できるできないじゃない、やりたいが勝つ瞬間。

なぜ、自分は音楽をやりたいと思ったのだろう。それは、音楽に心を動かされた記憶があるからだと思う。ひとつの音楽に触れて、心がどうしようもなく嬉しくなったり、心がどうしようもなく楽しくなったり、自分もやってみたい、自分もこういう人間になりたい、歌いたい、踊りたい、自分を全身で表現したいという思いが芽生えた瞬間、それが『夢』になる。感動と夢はリンクしている。感動は、自分もそういう人間になりたいと働きかける、魂の合図だ。自分が感じた感動を、自分が感じた美しさを、自分が感じた素晴らしさを、自分を通じて体現するための合図だ。

 

なにかをどうしようもなくやりたいと思う。そのとき、できるできないは問題じゃない。ただ『やりたい』という気持ちだけが、自分の内側からあふれ出る。そして、実際にそれをやる。自分の夢にダイブをする。そして思う。ああ、これが音楽ってものなのか!ああ、これが表現をするということなのか!ああ、これが生きているってことなのか!と。思っていたことと違うこともあるだろう。思ったようにいかないこともあるだろう。ただ、そのすべてをまるごとひっくるめて、生きている現実が『夢』なのだ。なぜ、自分がそれをやりたいと思ったのか。答えは、全部、初期衝動の中にある。それに触れている時間が、どうしようもなく楽しいものだったから、それをやる。その気持ちがあれば、もう、足りないものはなにもない。ひたすら、ひたすら、ただ、ひたすら、夢のど真ん中を生きればいいのだ。

 

楽しければそれだけでいいのか。そう問われることがある。私は、堂々と胸を張りながら「いいんだよ」と答えたい。楽しければ、もう、それだけで充分なんだよ。楽しいと思った瞬間が、ゴールなんだよ。ひとりの人間がなにかを思い切り楽しむとき、きっと、そこにひとつの『渦』が生まれる。この渦は、たとえ最初は小さなものだったとしても、それを一緒に楽しむ人々が増えたら、大きなうねりとなって次の『なにか』を創造する。必要なのは、最初のひとりだ。いつの時代も、最初のひとりから、そうした渦は生み出されてきたのだ。だから、私は、自分自身に願う。遊び続けよう。それを見た人々も、思わず一緒になって遊びたくなるような、命の遊びを。できるできないじゃない、やりたいが勝つ瞬間を、選びたいと思う。

 

 

坂爪さん、こんにちは。
○○と申します。
 
お礼の気持ちを伝えたくて、メールをかいています。
一昨日までアメリカに大好きな人に会いに行ってきたのですが、それが出来たのは坂爪さんのおかげでもあります。
 
昨年の12月にタイであった人なのですが、一週間しか一緒にいなかったのにものすごく好きで、会いに行きたくて、でも会いに行って嫌われたらどうしようとずっと恐がっていました。
 
その時坂爪さんのブログなどをみて、世界はお前が思ってるより広いとか、傷つく前に傷つくな、会いたい人に会いに行け、勇気を出した人に神様は見捨てるような真似はしない、といった言葉に励まされ、先日会いに行ってきました。
 
結論としては、もう本当に最高の日々で、会いにいって良かったし、自分の世界が大きく変わったことをかんじました。
 
坂爪さんの歌で、会いに行くとか愛とかの歌詞を聞いて泣いていた日々があり、何もかも完璧だったなと思います。
 
世界は自分が思うより大きく、懐が深く、また自分もタフになっていることがとても嬉しいです。
 

「月に向かう」

君に もう一度 会うため
勇気なら 出す 歩き出す
 
あんまり よく知らなくても
好きになって いいんだよな

たくさん知ったあとも 好きでいて ほしいな
 
この部分が本当に好きです。
よく知らないのに好きなのは本当なのか?とかよく知ったら失望されるだろうという思いも、会ったら全部消し飛びました。
 
あと、わたしを忘れないで、も好きで今回の旅の曲にしようかと思ったのですが、私がその曲を聴いて感じていた切なさがあまりにもそぐわないほど毎日が輝いていて、旅の曲にならずにすみました(旅の曲になると思い出して悲しくなる可能性が高かったので、そうした位置付けをせずに済んだことはとても幸いです。)これからも好きで聴き続けることができそうです。
 
長くなりましたが、本当にありがとうございます。
○○より

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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