いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人間を救うのは、愛じゃない。言葉だ。

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心斎橋のドトールにいる。前に、不倫中の女性の話を聞いた。不倫相手は職場の男性。その女性は、ある日、男性とレストランに行った。帰り際、駐車場の車内で二人はいい感じになり、女性は男性にけしかけた。ねえ、いま、あたしが何をしてほしいかわかる?と。男性は、一瞬ひるんだのちに、女性を抱きしめようとした。が、女性は、男性を軽やかに避けた。違うだろ、と。私がしてほしいのは、その程度のものじゃないんだよ、と。この時点では、まだ、二人に体の関係はなかった。

 

 

おおまかなスケジュール

10月25日(金)18時 KEIGO&RYU LIVE@大阪市鶴見区「Cafe de Lien」
10月26日(土)18時 KEIGO&RYU&千 LIVE@大阪市大正区「和み中華 威」
10月27日(日)15時 Agape 定期演奏会@横浜市港北区「わたり食堂」
11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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すべてのイベントで参加者募集中です🌸🌸🌸

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE on 
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ibaya.hatenablog.com

 

やればできるじゃねえか。

男性は、勇気を出して、女性に接吻をした。初キッスである。ときめきの瞬間だ。甘い時間が流れる。しかし、この女性がなかなかの組長気質なもので、初キッスの直後、男性に向かって「やればできるじゃねえか!」と肩を叩きながら叫んでしまったのだ。女性は、このことをとても後悔していた。もっとしおらしく、もっと女性的に「う、うれしい・・・(はあと)」とか言えたらよかったのに、ここにきて自分の本性が出てしまった、と。私は、このエピソードが大好物である。昨夜、ちょうど、200曲を達成した。今年の3月から「1日1曲つくる!」と鼻息を荒げ、7ヶ月強、悲願の200曲を達成した。そう。男は、やればできるのである。

 

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「月に向かう」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

君のことは よくわからない
この星のこと よくしらない

でも 好きになったよ この星も 君も

自分を知ること だなんて
自分だけで できるのかな

知らないことを 知ることは 楽しいね

虹を 見たくなったときは
雨のなかに 散歩に 行く

空を飛べない ぼくらの 飛ばすジョーク

君に もう一度 会うため
勇気なら 出す 歩き出す

月に向かう ぼくらは 歩き出す

あんまり よく知らなくても
好きになって いいんだよな

たくさん知ったあとも 好きでいて ほしいな

君と生きた 日々のことを 
僕は 時々思い出すだろう

これからも ずっと ぼくのね そばにね いてね 

雨の中を 今日も 歩く
歩いちゃいけない 場所に 行く

翼のない ぼくらの イマジネーション

あの日見た 夢の数だけ
今も傷は 増えていたね

月に向かう ぼくらは 振り返る

虹を 見たくなったあとは
雨のなかに 散歩に行こう

空を飛ばない ぼくらの 飛ばすジョーク

雨の中を 今日も歩く
退屈じゃない 考える

月に向かう ぼくらは 考える

君に もう一度 会うため
勇気なら 出す 歩き出す

月に向かう ぼくらは 歩き出す

 

大阪で花を配った。男性から「おはなをください」と連絡が届いた。阪急梅田駅前にある巨大液晶前で待ち合わせた。男性に花を渡す。男性は「いつもブログを読んでいます。共感するところが多くあります」と話してくれた。私は「どんなところに共感されるのですか」と尋ねた。しばらく考え込んだあと、男性は、ゆっくりと話し始めた。実は、私は、昔は女だったのです。と。世間的な常識に囚われている時期は、生きることもしんどかった。ただ、自分は自分なのだからと、ある意味開き直ることで生きることが楽になった。もし、いま、常識に囚われて苦しんでいるひとがいたら、その常識が自分を幸せにするものなのかどうか、もし、それが自分を苦しめるものならば「自分で変えていける」ということを、こんな言い方もあれだけど知ってもらえたらうれしいと思う。と。そういう感じの会話を、交わした。

 

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「雨あがり」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

雨が 赤い屋根に 降る
それを見た ぼくたちは ただ ただ

雨は ぼくの代わりに 泣いているのか
流れていく 時間だけ ただ ただ

どこから来て どこに帰る このままじゃ 置いてかれるから
本当はもっと動きたいのに 「どうして?」 … 動けない

雨が 木々の葉を 揺らす
立ち止まる ぼくたちに ただ ただ

もしかしたら ぼくは ずっとさみしくて
それを見た かみさまが ただ ただ

ここではない どこかから ここではない どこかに続く

「元気ですか?」「調子はどう?」
「またいつでも、遊びにおいでよ」

ここから来て ここに帰る ひとりでも なにをしていても
ずっと ここにあったものと これからも これまでも

雨があがり やがて空が 晴れてくる
終わらない ぼくたちは ただ ただ ただ

 

心斎橋の朝。秋雨が降り続いている。雨の曲を三曲。昨日、りゅーちゃんと合流した。そこで「衝突を恐れず、自分を出す」という話をした。衝突を恐れ、相手の顔色を伺ったり、自分を引っ込めたり、礼儀を重んじるばかりあとからどっと疲れることがある。我々は、優しい。優しい人間ほど、優しさに押し潰されて生きることが苦しくなる。優しさと言えば聞こえは良いが、これは、形を変えた『保身』であり、形を変えた『卑しさ』である。自分が我慢をすればよいと思う時点で、人間をなめている。自分をなめている。「そんなもんじゃねえ」と苛立つ精神が、疲れとして、痛みとして、ボディに「そんなことは、やめろ」というサインを発する。自分を低く置くようなことはやめろ。自分を低く見積もるような真似はやめろ。と。

 

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「Umbrella」 作詞 Hoshina Ryota 作曲 RYU-CHAN

雨がぽつぽつ降っていた 人はうつうつ歩いてた
誰かがくれたティッシュ ポッケに入れずゴミ箱に投げた
何をくれた誰だグレタ この指とまれず一人はぐれた
誰が決めた羽交い締めだ 切れるナイフと知らず渡した

通りすがった長い髪、雨に、濡れてか見とれてた
ファミマ曲がったところからすぐ足早に消える後ろ姿
カンタはさつきに強引にボロ傘 渡して飛び跳ねてたな
そんな理由で風邪ひいて そんな男で終われれば

ああいつから、溜息漏らし 苦し紛れのその日暮らし
不思議なくらい失ってばっか 悲しい報せも知らないフリし
繰り返す話白々しい 街の匂い 立ち込める「けはい」に
愛想付き、嫌気差し、足取り早く喧騒を後に


アンブレラ
雨降れば one more chance?
アンブレラ
逡巡は 憑き物だ
難解だ
君だけは ラビリンス
アンブレラ
韻踏めば 笑うかな

俺ら新潟曇天暮らし 心に晴れを見出しがち
夢に描いた大どんでんも 価値感違いどこも場違い  
杉と男は育たない?なんて言ってくれるね ホシナナイト
居なくなってから聞こえる声に、どこかで読みたい『べしゃり暮らし!』

「やりたいことだけやりましょう」「好きなことを仕事にしましょう」
トキだと思えば大事にしてさ サギだと分かれば逮捕する?
「やりたくないことやりません」「好きなことしかできません」
それってホント人間らしい?、聞いた? アイツも鬱らしい

結局みんな暇だから 頭は先攻心は後攻
エネルギーの消耗戦 ヒエラルキーの延長線
俺は生きている甲斐が欲しいから 身体先行 結果親不孝
納得できっか勝負だろ 納豆食って丈夫になれよ

アンブレラ
ドングリの 背くらべ
アンブレラ
勘ぐれば ブレブレか
シンデレラ
念ずれば 花開く
アンブレラ
犯人は 何でも屋

ナンマイダ
ばあちゃんが 拝んでら
アンブレラ
損すれば ヒーローだ
アンブレラ
踏ん張れよ いい加減
案ずれば
死んだなら 産めやしない

シャングリラ
Don’t give up まだまだか
曼荼羅
みんなでさ よかったな
アンブレラ
出し切れば 悔いはない
アンブレラ
死んでもな 甲斐がありゃ
ナンマイダ
ばあちゃんが 拝んでら
アンブレラ
損すれば ヒーローだ
アンブレラ
踏ん張れよ いい加減
案ずれば
死んだなら 産めやしない

シャングリラ
Don’t give up まだまだか
曼荼羅
みんなでさ よかったな
アンブレラ
出し切れば 悔いはない
アンブレラ
死んでもな 甲斐がありゃ

 

note.mu

 

人間を救うのは、愛じゃない。言葉だ。

昔から『してあげる』という表現が苦手だった。上から目線であり、恩着せがましく、厚かましくて、フェアじゃない。ただ、自分はそうしたいと思ったからしているのだと思いたい。だから、ああ、いま「誰かになにかをしてあげちゃっているなあ」と思ったときは、気をつけたい。私は、よく、食事をご馳走になったり寝る場所を提供してもらったりする。そういうとき、これだけのことをしてもらっているのだから、話を聞いて『あげる』とか、掃除を手伝って『あげる』とか、これくらいのことは我慢をしなくちゃ、みたいな感じで自分に言い聞かせることがある。それがマナーだと思っていた。だが、違う。真の礼儀とは、自分の思いを心を込めて伝えることだ。嫌なことには嫌だと言う。違うと思ったことには違うと言う。思いを込めて、礼儀正しく、丁寧に伝えることだ。心は、そっちの方向に使うことだ。

 

世の中には、多分、こういうコントロールが無数にある。「給料をもらっているんだから」とか「養ってもらっているのだから」とか「お世話になっているのだから」的なあれで、自分をセーブする。礼儀正しく、優等生的な態度ばかりを選ぶようになる。だが、誤解を恐れず言えば、上っ面のマナーばかりを重んじるひとといても、微塵も楽しくない。つまらない人間だな、と、思う。言葉には二種類ある。頭から出てくる言葉と、肚から出てくる言葉だ。私は、社交辞令や愛想笑いが苦手だ。きっと、これは「頭から出てくる言葉に、空間が支配されていく」からだと思う。頭が痛くなる。胃が痛くなる。まぶたが重くなる。一気に眠くなる。しかし、肚から出てくる言葉を聞いた瞬間、人間の『切実な本心』みたいなものに触れた時、途端に目覚める。そして、思う。ああ、俺はこういう会話がしたかったのだ。と。人間と人間が話すということは、こういう瞬間のことを言うのだろう。と。

 

誰にもわかってもらえないと感じる心情は、きっと、多くの人々が抱えている。しかし、多くの人々が「誰にもわかってもらえない」という思いを抱えて生きているのならば、そう思っているのが自分だけではないのだとしたら、この瞬間に『ぬくもり』が生まれることを感じる。苦しいのは、自分だけではない。悲しいのは、自分だけではない。悲しみも、同じ悲しみに出会うとき、それはぬくもりを生む。本当に苦しいとき、ひとが求めるものは愛ではないように思う。愛を含めた『言葉』を、求めているのだと思う。言葉は、自分の、本当のおもいにつながっている。自分の本当のおもいを摑むとき、ひとは、どのような状態に置かれていても『自由』を感じることができる。その言葉は、一時的には残酷に響くこともある。しかし、残酷な言葉が、自分の心の奥底にある炎の存在を、強く知らしめることがある。

 

 

私は今まで『幸せ』と書かれた箱の中でひとりで泣いていたのですが、坂爪さんの言葉をこれでもかという程読んでいるうちに『自分』と書かれた箱の中で、蓋も開けて、泣いたり笑ったりしたいと思うようになりました。

心から感謝しております。

このような気持ち?感覚?を音楽を作って聴いて頂く事で、広めていけたら、萌え死にます。


【Yさんからいただいたメッセージより、抜粋】

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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