いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

心配よりも、信頼をしよう。

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タイのバンコクにいる。路上に腰掛け、虚空を見つめたり、虚空に見つめられたりしている。何をしたらいいのかわからない。昨夜はバンコク在住Y様の家にお世話になった。いい人(という表現は語弊があるが)に出会うと「生きていこう」と思える。二週間の滞在で予算は三万円。宿代に毎日千円かけたとして、1日千円は食費に充てられる計算だ。が、どうしても「安全なうちは本当じゃない」などと考えてしまう自分がいる。ゼロになってからが勝負だ。自分を追い込み、自分を守る自分を蹴飛ばし、もうダメだと思った(自力を超えた)とき『真の他力』に出会う。

 

 

おおまかなスケジュール

7月3日以降、FREE@タイ界隈【呼ばれた場所に行きます!】
7月17日以降、FREE@日本【呼ばれた場所に行きます!】
7月28日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

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圧倒的肯定力を、胸に。

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練習の風景

 

写真中央の男性(私)を「ああ、この人はこのあとタイでお亡くなりになったのだ」的な視点で眺めると、ちょっとばかりジーンとする。生きていると腹が立ったり理不尽な仕打ちを受けることもあるが、みんな、最後には死ぬんだよなと思うと赦せる。赦せるばかりか、何かが輝く。最近、複数名から「坂爪さんが死んでしまいそうで心配です」と言われた。あまりにも言われるから「本当に死ぬよ?」って思った。言葉には二種類ある。祈りか。呪いか。心配はありがたいが、呪いをかけられている気持ちになった。できることならば、祈りを。心配よりも、信頼を。数ヶ月前に作った『ねえ』という曲に「ここで死ぬならそれまでのことだよねえ。まだ生きているそのことが答えだねえ」という歌詞がある。きっと、そんな感じだ。

 

note.mu

 

Agapeというバンド名で活動している。直訳すると『神の愛』になる。神の愛を伝える。そのための道具になる。そのために音楽をやる。そういう初心を忘れたくないと思う。歌うと、稀に、自分が透明になれる感覚を覚える。してもらえないこと(してもらえなかったこと)を考えると疲れる。しかし、自分にできることを考えると、力が湧く。前に、究極的に落ちていた時期に「こんな自分にも、誰かの幸せを願うことはできる」と思った。人間の行為の中で、多分、一番美しいものは祈りだと思う。私は、誰かになにかをして『あげる』という表現が苦手だ。上から目線で、傲慢な考え方だと思う。誰かになにかをしてあげるとき、それは、なにかを『させていただいている』のだと思う。誰かのためではなく、自分のために、やらせてもらっている。自分を好きになるために、やらせてもらっているのだと思う。

 

note.mu

 

知性に触れると嬉しくなる。東京で開催されたミニライブに男性N様が来てくれた。僭越ながら、N様から「坂爪さんは、アラジンに似ている」と言っていただいた。軽妙洒脱な雰囲気が似ているのだという。N様に言われたのでとても嬉しかった。その後、N様に問われた。自分にとって美しさを感じるかどうか、ということはとても大事なことで、坂爪さんの文章を読んでいると同じものを大事にしている気がする。美意識、とでも言えばいいのかな。仕事などをしていると「俺、穢れているなあ」と思うこともしきりですが、美意識が自分を取り戻す軸になっています。坂爪さんは、生きる上で大事にしている概念ってありますか???と。私は、しばらく考えたあとに「嬉しさ」と答えた。嬉しさを感じるか、否か。それは、自分にとってとても大事なものさしになっている。その後、N様から届いた感想メールに、私はとても大きな嬉しさを覚えた。いい人に出会うと「生きていこう」と思える。N様と出会えた。それだけでも、東京でミニライブを開催してよかったと思った(もちろん、他にもやってよかったと思えた出来事は大量にあります!!)。

 

坂爪さん、本日3時のライブでお話させてもらった○○です。

嬉しい時間と元気と勇気を頂きました。
ありがとうございます。
現場では感想が言葉にまとまらなかったので、少しばかり。

アガペーの音楽は、これがメッセージだ!と自己陶酔したり押し付けがましくするわけでもなく、お客さんのために歌います!と恩着せがましくするわけでもなく、ただただ、自らが音楽を奏でる喜びと、どこかで共感できたら嬉しいなという品の良い軽やかな祈りを纏っていました。

生きているうちに無意識に溜まった“思い込みの穢れ”を少しずつ祓ってくれるような時間でした。
バンドの皆さんの醸し出す雰囲気も、素朴で温かく柔らかで、 自由時間のぎこちなさも“らしくて”良かったです。
「あ、これでいいんだ。ちゃんとしなくていいんだ。」とw

その後の坂爪さんとのお話で印象的だったのは(うろ覚えですが)「嬉しく美しく楽しく生きるために、過去の自分を乗り越えて成長するために、自分と喧嘩&仲直りを繰り返すことで、自分との絆が出来た気がする。」的な言葉。

自信や自分軸を持つアプローチとしても、自分に喧嘩をふっかけるヤンキーのカツアゲみたいな逆説的な手法は、むしろ本質的な気がしたし、何より面白かったです。

また会いに行きますね。
「会いに行けるアイドル」ではなく、「愛に生きるアラジン」にw  

○○○○

 

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心配よりも、信頼をしよう。

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とても音がくがとてもたのしくてともだちともあそんでとてもたのしいいちにち


小学2年生の女の子が定期演奏会の感想をくれた。超かわいかった。最近思う。巷では「愛は無条件」みたいなことを言われるが、本当だろうか。誰かに腹を立てたとき、愛は無条件ということになれば、腹を立てる自分には愛がないということになる。これは、本当だろうか。許すことが愛。受け入れることが愛。頭ではわかる。しかし、誰かに何かを言いたいと思ったときに「これを言うことは愛に反する」などと考えて自分の思いを引っ込めることは、自分を傷つけることにならないだろうか。ぶつかり合いを避ける関係性に、自分を取り繕って生きる関係性に、自分が無理をすることで維持をされる関係性に、果たして、真の『絆』は宿るのだろうか。自分を押し殺したままでは、心の一部はさみしいままではないだろうか。

 

似た言葉に「ジャッジをしない」と言う言葉もある。良いも悪いもない。だから、ジャッジをすることはいけないことだ。と。本当だろうか。私は、嘘だと思う。人間なのだから、ジャッジをしてしまうことが本当だと思う。ジャッジをしてしまう上で、どう生きるか、という話なのだと思う。「ジャッジをするのはいけないことだ」という言葉自体が、おい、ジャッジをしてるじゃねえかと私は思う。賢者ぶってんじゃないよと頭にくる。同じような言葉に「比べない」というものもある。頭ではわかる。誰かと比較をして自分をすり減らすことは、自分にもある。しかし、人間なのだから、誰かと比べてしまうことが本当だと思う。ジャッジをすることは当たり前のこと。誰かと比べてしまうことも当たり前のこと。自然な、心の働きだと思う。心の働き(自然)を否定することは、生命力を剥奪する。だからこそ、そういうことをしてしまう人間であるからこそ、どう生きるか、という話なのだと思う。そこで、私は、大事にしたい感覚のひとつが『嬉しさ』ということになる。

 

比較とは「こっちじゃない!」のサインだと思う。嫉妬する対象、悔しさを覚える対象は、実は「そっちじゃない!そっちに行くな!」ということを伝えている。思い出して欲しい。本当に素晴らしいものに出会ったとき、胸に抱いた感情は嫉妬でも劣等感でも悔しさでもないはずだ。本当に素晴らしいものは、ただただ、受け取る側の人間に嬉しさを刻む。その嬉しさは、ああ、自分はこのままでいいんだと思える嬉しさに似ている。音楽も似ている。かっこいいと思う音楽は大量にある。しかし、かっこよさばかりを追い求めると、必ず、疲れる。しかし、真に素晴らしい音楽は嬉しさを刻む。かっこいい音楽は大量にある。しかし、嬉しさを与える音楽は意外と少ない。だからこそ、私は、嬉しさを感じるものを指標にしたい。嬉しさとは、圧倒的肯定力を伴ったものだ。聞く側の人間に「いいんだ、このままでいいんだ」と思わせるものだ。そして、なにかを強制する感じではなく、自然な心の働きとして「自分もこうなりたい。自分もこうありたい」と思わせてくれるものだ。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

photographed by Chihiro Igarashi

 

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