いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

神と踊る。

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横浜駅前のドトールにいる。休むことが下手だ。鬱病だった時期、周囲から「いまは休めばいいのよ」と言われた。私は、そう言われることが苦痛だった。休むことがどれだけ大変か、お前にわかるのか。とか。横になっていても頭は常にフル回転なんだよ。とか。俺に休みかたを教えてください。とか。そういうことを思った。時は流れてナウ。鬱病は完治したが、引き続き休みかたを知らない。無意識に呼吸は続く。呼吸は休まない。だから、俺は呼吸と同じなのだと思うことにした。

 

 

おおまかなスケジュール

6月30日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
7月1日 【昼】15時【夜】19時 東京公演@東京都日本橋「モリモトハウス」
7月2日 15時頃 
ドンムアン空港到着以降、FREE!

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

男は、死んでから眠るもの。

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結果的に「あの世でゆっくり眠れればいい」とかなんとか言っちゃって、今日も動く。7月2日からタイのバンコクに行く。行った途端に暇になる(誰か「タイに行くならここがいいよ!」などあれば教えてください)。音楽修行と銘打っているが、ただ、日本を出たいだけなのだと思う。海外旅行は一人暮らしと似ている。実家を出ることで、家族や故郷のありがたみを知る。最近、保科さんと「日本はゾンビ大国かもしれない!」みたいなことを語った。誤解を恐れながら言うと、こりゃもう、こんな国にいたら頭がおかしくならない方がおかしいよね、みたいに感じることは毎日ある。日本を離れると、日本の良さを気づく。普段は忘れている良さを取り戻すために、憎むためではなく愛を取り戻すために、一度、離れる必要がある。

 

闇という漢字がある。昔から、なぜ、闇の中に『音』があるのか気になっていた。音楽をはじめたいま、漢字の成り立ちを(白川静さんを参考にしながら)改めて調べた。俺調べによると、音と、まったく似ている漢字がある。それが『言』だ。上の部分は、もとは、同じ象形文字だったらしい。だから、音と言の違いは、下が『日』か『口』かの違いでしかない。この説明でわかるだろうか。不安だが、続けます。そして、口という漢字は、顔にある口がもとになってできた漢字ではないらしい。口の象形文字は『容器に、なにかがはいっている状態』から生まれた。容器とは、祝詞のことである。だから、目には見えないものだ。目には見えないものに、なにかが満ちている状態。要するに、祈りが込められている状態が『口』ということになる。祈りを込め、神に捧げる。人間にできることは、ここまでになる。

 

太古から、日本は言葉を大事にしてきた。言霊という言葉もある。だから、言葉を軽々しく扱う人間は、釘刺しにして処刑された。その、言葉を軽々しく扱ったら釘刺しにするぞっていう思いが、口の上にある四本の線に現れている。四本の線(釘)と、口、それによって『言』という漢字は生まれた。軽々しく扱うと、釘打ちの刑に遭うもの。それが『言』だ。こわい言葉なのである。そして『日』という感じの成り立ちを調べた。神に捧げた祈り(『口』)に、神様が応える。すると、容器の中にさざなみが立って、口は『日』になる。そう。日という漢字も、太陽がもとになって生まれた漢字ではないのだ。『日』の成り立ちは、祝詞に、神様がレスポンスを与えている状態を意味する。言葉は、人間が成し得ること。音楽は、神様がレスポンスを与えた状態。死ぬほど乱暴にまとめると、こういうことになる。

 

note.mu

 

わたり文庫『星の王子さま

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、サン=テグジュペリ著作『星の王子さま』です。王子さまとバラの関係、王子さまとキツネの関係には、惹かれるものがたくさんあります。ぼくはあのころ、なんにもわかっていなかった!ことばじゃなくて、してくれたことで、あの花を見るべきだった。あの花はぼくをいい香りでつつんでくれたし、ぼくの星を明るくしてくれたんだ。ぼくは、逃げだしたりしちゃいけなかった!あれこれ言うかげには愛情があったことを、見ぬくべきだった。花って、ほんとに矛盾してるんだね!でもぼくはまだ、あまりに子どもで、あの花を愛することができなかった。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

君がバラのために使った時間が長ければ長いほど、バラは君にとって大切な存在になるんだ。

君は、飼いならしたものしか知ることができないんだよ。
人間たちには、もう何かを知るための時間がない。
だから、お店に行って、出来合いのものを買うだけさ。
だけど、友だちはどこにも売っていないから、人間たちは友だちを持っていないんだ。

サン=テグジュペリ星の王子さま』【新潮文庫

 

神と踊る。

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雨上がり

 

スイスには『人間の混乱と神の摂理』という諺がある。闇という漢字は、乱暴にまとめると「神は夜に来る」ことを意味する。我々は、苦しみたくないと思う。できることなら楽しみながら生きたいと思う。しかし、生きている限り、苦しみを避けることはできない。辛い。苦しい。悲しい。時には「死にたい」とさえ思うことだってある。しかし、死にたいと思うとき、自分が苦しみに置かれているまさにその瞬間、そのひとは神と交わっているのだ。苦しみ(夜)のなかで、ひとは、神に出会う。神は夜に来る。そういうニュアンスの言葉が、闇という言葉になる。これにはちょっとびっくりした。そういえば、先日、私は強烈な腹痛に苛まれ、トイレで悶絶していた。冷や汗をダラダラ流して目の前も真っ白になり、朦朧とする意識の中で「神様ごめんなさい悪いことはもうしませんから許してください」みたいなことを、思った。そう。私は、死域を漂う苦悶のなかで、神と交合した(違うか)。

 

皮肉なことに、苦しいときほど、さみしいときほど、良い言葉(良い音楽)が生まれることは多い。幸せなとき、ひとは、言葉も音楽も必要としない。ただ、幸福感のまっただなかを漂っていればいい。神が訪れる必要もない。だが、逆境に置かれたとき、苦しみの渦中にいるときこそ、神は、その気配を濃厚にする。『闇』という言葉は、ネガティブな意味合いで使われることが多い。しかし、闇は、希望だ。そこには『神が来る』という最初で最後の希望がある。振り返ってみればわかる。もうダメだ。そう思ったときほど、奇跡は起こる。所持金がゼロになると、銀河の彼方から施しが舞い込む。俺は終わった。そう思ったときほど、そのときの苦しみが「自分をタフにする」最高の出来事であったことに、後で気付く。そのときは苦しみでしかなかったものが、実は、最高のギフトであったということを思い知る。

 

言語学者白川静さんは『遊』という漢字を愛した。この言葉は、要約すると「人間は、人間だけで遊ぶことはできない。神が遊ぶとき、はじめて、一緒になって人間も遊ぶことができる」という意味合いの言葉になる。深い言葉である。いま、私は、音楽をやっている。苦しいこともあるが、音楽をやっていなければ絶対に味わえなかったよろこびもある。自分の心が「最高だ」と感じること。その瞬間が、また、音楽をやりたいと思わせる。人生は捨てたものじゃないと思わせる。このひとたちと生きていきたいと思わせる。そして、音楽のある「この世界を生きていきたい」と思わせる。楽しいと思う。きっと、それがゴールなのだと思う。楽しむひとの姿を見て、周囲のひとたちも、つられて楽しく感じるような、ポジティブな循環を起こしたい。なにかを好きになるということは、生きていきたいと思うことだ。

 

 

https://www.instagram.com/p/BzUD5rfgyZx/

Love is always with you

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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