いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

家族の問題をクリアすると、人生はボーナスタイムに突入する。

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答えよりも問いになりたいということでこの世に生まれた我々いばや。合言葉は「世界を変えるのではなく、世界を増やす!」ということで、こうでなければいけないという枠組みを積極的&確信犯的にはみ出しながら、「こういうものがあってもいいじゃないか」的なネオ・サムシングを立証(?)することに今日も命を燃やしています。最近、己の体験を人前で話すこと【ユーモアのセンスと真理をポップに突く精度】に絶大な関心があり、おかげさまで満席を迎えた前回開催から中3日、早くも第2回開催を本日13時から(急!)音速敢行いたします。直前の告知にも関わらず、本日は新潟県富山県やはたまた宮崎県(!)からお越しいただける方もいらっしゃり、タンポポの綿毛のようなフットワークに「これはやばい!」と刺激を受けております。奇跡的に滑り込み参加ができるという方は、是非、ご自身の潜在能力を思う存分発揮していただけましたら幸いです!!

 

【イベント情報】【満席御礼!】Scramble Speaking【三森正道×MAYUCHAPAWONICA×坂爪圭吾】

 

明日日曜日は、熱海でわたり食堂【0円食堂】を開催する。昨日、岩手県でお寺の住職をやっていらっしゃる方から「ごちゃまぜの寺というものをやりたいと思っている(これが本来の寺の在り方だと思っている)ので、是非、東北まで来てください!」という激烈に嬉しいお誘いをいただいた。SCRAMBLE HOUSE TOKYO【ごちゃまぜの家】の活動をはじめて早二ヶ月、なにも家に限らず『ごちゃまぜの寺』でも『ごちゃまぜの船』でも『ごちゃまぜの竪穴式住居』でも、そこに人間の出入り(ある程度の風通し)がある限りいくらでも面白くなるのかもしれない。極論、ある程度の土地の真ん中に共有のシャワーとトイレさえあれば、あとは適当にタイニーハウスを自作したりテントを張ったり車中泊をしながら共同生活を送ることはできる。映画館で映画を見るより、自然のど真ん中にモバイルプロジェクターを持ち出して焚き火を囲みながら映画を見た方が、なんとなく、自由度は高い気がする。多分、これからは「固定よりも流動」「屋内よりも屋外」「移住よりも移動」が主流のライフスタイルになる(ような気がする)。

 

【イベント情報】帰ってきた!わたり食堂【0円食堂】

 

船で暮らすのは楽しそうだ。

いま、横浜の白楽【東横線沿線】という駅前にあるドトールを飛び交う無料Wi-Fiを拾いながらこの記事を書いている。なう、わたしはテントで暮らしている。最近、自分が使っている電子機器類の確認をしたところ「冷蔵庫も洗濯機も究極なくても全然どうにかなる。いまのところ(自分的に快適な生活を送るために)必要なのはスマホの充電と電灯に使っているエネループの充電程度だ」と思ったので、あらゆる電力をモバイルバッテリーで補うことに挑戦をしている。iPhoneを5回〜6回程度充電できる大容量のバッテリーに、ソーラーチャージャーを通じて蓄電をする。エネループの充電はUSBからもできることが判明をしたので、基本的に家庭用コンセントは不要になる。夏は暑いが、USBタイプの扇風機で意外とどうにかなる(夜は寒いくらい)ことが判明した。暑すぎる時は避暑地(適当なカフェや屋内施設など)に逃げる。家にエアコンはなくても、街中には無限にある。どれだけボロいアパートで暮らしていたとしても、街は進化し、カフェはおしゃれになり、Wi-Fiは様々な場所に完備されていく。街はどんどん豊かになるのだから、その分、家は最低限のものだけあればいいのだと思う(ようになった)。

 

もちろん、誰かの家にお邪魔をしている時はコンセントを「貸してください!」と懇願して借りる。なければないでどうにかなるし、あったらあったで大感謝をしながら最大限に生かす。昔、家のない生活をしていた頃、オーストラリアのゴールドコーストに招待をしていただいたことがある。現地では、クルーザーに乗って島巡りをされる方々が一定数いて、ホテルの代わりにクルーザーが民泊として使われることも珍しくないのだと聞いた。確かに、ホテルに泊まるよりも船で寝た方が満足度は高いというか「なんか新しいことをしている感!」は高い。当時、家のなかったわたしに対して、わたしを招待してくれたS様は『家がない生活は大変でしょう。最悪の場合は、使っていないクルーザーがあるからそこで島巡りでもしながら暮らせばいいよ』的なことを言ってくれて、わたしは軽いパルプンテ状態に陥った。最悪の場合はクルーザーで暮らす。さあ、これの一体どこが最悪なのだろうかと訳がわからなくなって愉快になった。人生は何が起こるかわからない。そして『どこかしらになにかしらは余っているものだ。余っている場所を活用しまくれば、必ずしも家【固定費】は必要ないばかりか謎のライフスタイルを開墾することができる』的なことを思うようになったのは、多分、その頃からなのだと思う。

 

いかだとか、竪穴式住居とか、自作のタイニーハウスとか、車の中とか、森の中とか湧水の傍とか、いろいろな場所で暮らしてみたい。「旅するように暮らしたい」的なキャッチフレーズもあるけれど、わたしは「遊びながら暮らしたい」と思う。多分、すべては遊びなのだと思う。家のない生活も遊びだし、テント暮らしオフグリッド生活も遊びだし、ライフスタイルになりかけている『おはなをあげる』という営みもSCRAMBLE HOUSE TOKYOの試みも、多分、全部遊びだ。家も船も寺も金も諸々の道具類も、自分だけのものにしたいとは思わない。端的に、みんなで使った方が(予測不可能な使われ方も開発されるから)面白みは五億倍増す気がする。家【出入り自由な空間】をあちらこちらにつくり、全体で共有をする。いま、そういうことに興味がある(あとは人前で話すことに絶大な関心があるので、もしもイベント的なサムシングかあれば気軽に呼び出してください!8月は猛烈に暇です!)。

 

【過去記事】最高をシェアしよう。 - いばや通信

 

わたり文庫『自作の小屋で暮らそう』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、高村友也著作『自作の小屋で暮らそう』です。格安で購買した土地に自作の小屋を10万円で建てて、そこで暮らす著者の豊富な体験記に溢れるエッセイ集(?)。人間、どこでも生きていけるのだなという元気をもらいます。多分、人間が幸福を覚える要素のひとつに「工夫をしている瞬間」があるのだと思う。先日、裏庭に落ちている竹を拾い集めて棚的なものを作った。ど下手くそだけど、作っている時間(ああでもないこうでもないと思考を錯誤をしている時間)は最高に楽しかった。工夫こそJOY。逆に言えば、決められたことを決められた範囲内でしかできない(工夫されることが歓迎されない)環境の中で、人間性を維持することは非常に難しいことになるのだと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

 

誰にも文句を言われず好きなだけ寝ていられる。時間を気にせず好きなことができる。10万円で小屋を作ってベーシックに暮らす(Bライフ)までの試行錯誤。雑木林に土地を買い、手工具で小屋を建て、水や電気、トイレ等の生活設備を整える。地元の人の反応や野生動物との出会いも。文庫化にあたり薪ストーブの楽しみについても追記。小屋ブームの一端を担った本。

 

高村友也『自作の小屋で暮らそう』【ちくま文庫

 

愛と勇気とイマジネイチョン。

記事のタイトルに「家族の問題をクリアすると、人生はボーナスタイムに突入する」と書いているのに全然家族の話ができていない。家族という言葉にはあたたか〜な雰囲気が漂っていてタブーっぽい雰囲気はまるでなさそうに見えて「実際はめっちゃラスボス感が溢れている!」と睨む我々いばや。タブーと言えばお金だとか死だとかセックスだとか、そういうものが思い浮かぶけれど、実際問題『その裏側には家庭環境のあれこれが根深くある』のではないだろうか、と。合言葉は「(非常に抽象的になるけれど)平面よりも多面体」にあるような気がしていて、閉じられた密室的な関係性の中でガチンコに向き合うというよりも、家族を拡張する【拡張するというよりも溶かす】ことにヒントがありそうな気がしています(ナイーブな問題に触れる時は、なによりもまず「落ち着くこと・冷静であること」が大事だと思う)。

 

家族をテーマにイベントをやると告知をしてから、複数名の方から「めっちゃ参加したいけど、めっちゃ参加したくない(向き合いたくない)テーマでもあります!」というご連絡をいただきました。前回の記事でも書いたけれど、最近は『スクランブル(良くも悪くも引っかき回す)』という行為に関心があって、ざわつくということは素晴らしいことだなあと感じています。AirPods【最近購買をしたワイヤレスのイヤホン】で電話をしていると、周囲から(独り言を言っているみたいだから)変な目で見られることが多い。多分、未来的なものは最初は変な目で見られるのだと思います。でも、あとからそれが普通になる。多分、家族の在り方もそんな感じで進化をするんじゃないのかなと、誰からも行為的に迎えられるということは(現代の常識が前提になっているからその時点で古く)未来的ではないということで、周囲の人から変な目で見られるようなこと、見る人が見たらざわつきまくる関係性の中に、ヒントはあるのだと思います。

 

全然関係性ないけど(関係あるかもしれない)、最近は「愛と勇気とイマジネイチョン」という三拍子が大好きで脳内で多用をしています。昔は、日本人がキリスト教徒になるだけで「お前はタブーに触れている!」などと折檻をされちゃう(時には殺されてしまう)ことが普通だった。いまはタブーとされていることも、未来から見たら「なんでそんなことで騒ぐの!?」となることは多い(のだと思う)。いまの常識が未来の常識であるとは限らない。新しいことをやろうとするとそれを潰そうとする力が必ず起こる。それに負けてしまってはもったいないのだと思う。モリー先生の言葉を借りるなら『われわれのこの文化は人びとに満ち足りた気持ちを与えない。文化がろくな役に立たないんなら、そんなものいらないと言えるだけの強さを持たないといけない』ということになる。それならば、ひとと比べてどうのこうのというよりも、自分のハート【絶対性】が「どうしたいと思っているのか」に愚直に従うこと。多分、真理はひとを自由にする。ひとを動かすものは正しさよりも「楽しさ」だ。遊ぼう。正しさで自分自身をがんじがらめにしてしまう前に、楽しさでこころを解き放っていこう。ひとから馬鹿にされることがあったとしても、自分の踊りを踊り続けること【精神的に余裕がある時は、正反対の人柄のひとと「どうすれば一緒に遊べるか」を考えること】。合言葉は「愛と勇気とイマジネイチョン」である。好きな言葉だ。口にするだけで元気になる。合言葉は「愛と勇気とイマジネイチョン」である。それさえあれば、多分、いろいろなことはきっとどうにかなるのだと思う。

 

 

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雲の白さと俺の青さ。。。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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