いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。

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シンガポールを経由してタイのバンコクにはいる。シンガポールは国自体が「ごちゃまぜの家【国】」になっている(そして国土面積も非常に限られている)ために、ごちゃまぜの家をやる場合は「都市全体に散らばる自由に使える空きスペースをかき集めて、家はないけど『(それらの総称として)家』と言っちゃう」スタイルがいいのかなと思った。イメージとしては、多分、オーストリアリンツにある『ピクセルホテル』に似ているのだと思う。ピクセルホテルには、ホテルと言っても具体的な建造物がある訳ではなく、宿泊客は「水上に浮かぶ一室」とか「庭園にある部屋」とか「改装された工場」など、街全体に散らばる部屋に寝泊りをするスタイルになる。併設するレストランやバーもない代わりに、手渡されたチケットを使えば周辺に点在するカフェやレストランで食事ができるようになっている(らしい)。

 

 

シンガポールでもタイでも、絶賛子育て中のお母様方とお話をさせていただける機会に恵まれた。お母様方曰く「旦那さんが帰ってくるまでは、こどもと自分の二人きりでいる時間が大半で、これって(別に嫌だということはないのだけれど)教育的にもどうなのかなって思うこともあるので、いろいろな大人に触れる機会があればいいなあって思うことはあります」とのこと。この感覚は、なんだかとってもよくわかるような気がする。わたしはこどもが大好きで、一緒にいるだけでエネルギーをもらえる(わたしが吸い取っているだけかもしれない)。しかし、日常的にこどもと触れ合える機会はそれほど多くはない。ごちゃまぜの家を通じて、乱暴な言葉でまとめると「みんなで子育てをする」機会が生まれたらいいなあと思う。

 

【過去記事】一夫多妻制を凌駕するネオ概念「一夫八百万妻制(通称『やおよろぷ』)とは何か。 - いばや通信

 

大事なことは、正直に話すことが大事。

ごちゃまぜの家において重要なことは、多分、流動的であることだと思う。自由に出入りできる空間があったとしても、その空間が「特定のメンバー【常連客】によって構成をされているひどく閉じられた空間」になってしまった途端、多分、音速でダメになる。これまで何度も書いてきたことだけれど、わたしはコミュニティをつくりたい訳ではない。逆で「コミュニティを溶かしたい」と思っている。誰が来てもいいし、何をしてもいい。飯を食べたければ飯を食べればいいし、眠りたければ眠ればいい、帰りたければ帰ればいいし、ひとと話したければ話せばいい【ひとと話したくなければ話さなければいい】。なにも、特別なルールを設けたいとは思わない(逆に言えば、ルールが増える【固定されていく】ほどに空間全体はつまらないものになるのだと思う)。なにをしても良いのだという許可だけがある空間を発生させた時に、さあ、果たしてなにが起こるのだろうかということにわたしの関心はある(のだと思う)。

 

家庭や職場や恋愛関係などの人間関係において、「大事なことは、できる限り正直に話すことが大事」だと思う。具体的なエピソードを紹介することはできないけれど(生きているといろいろありますよね!)、結婚をしたからといって幸せになれる訳でもなく、恋愛をしているからといって幸せになれる訳でもなく、大企業に就職できたからといって幸せになれる訳でもない(って、当たり前のことか・・・)。大事なことは「瞬間瞬間における自分の感覚を正直に話す」ことだと思っていて、当たり障りのないやりとりを続けるのではなく、瞬間瞬間における自分の本音を口にする勇気を出した瞬間から、真のコミュニケーションははじまるのだと思う。逆に言えば、本音の二歩も三歩も三百歩も手前の会話を続けている限り、なにかこう「重要なことはなにも進展していないよね!【お前まだ隠してるだろ!】」的なことを思う。

 

本音を口にする時、まず、最初に頭をよぎることは「こんなことを言ったら相手【自分】を傷つけてしまうんじゃないんだろうか」という類の恐怖心だと思う。しかし、意外なことに、自分の本音を口にしても相手は意外と冷静に耳を傾けてくれる(経験的にそう思う!)ものだし、多分、自分を含めた人間は『自分が思う以上にタフにつくられている』のだと思う。わたしは思う。ドラゴンボールという漫画に出てくるスーパーサイヤ人のように、生きとし生けるものはみな「死にかける度に強くなる」生き物なのではないだろうか。何かを試す前の瞬間はたしかに怖い。しかし、不思議なことに「傷ついてみたい」と思う自分もいる。死にたくないと思うと同時に「死ぬほど大変な体験を通じて自分を高みにのぼらせてみたい」などと思う自分もいる。根本的には誰もが「自分はスーパーサイヤ人である」ということを無意識的に察知しているからこそ、時には「自ら死ににいく」という謎のアクションをしちゃうことがあるのだと思う(わたしは、その部分を『愛しい』と思う)。

 

【過去記事】だから楽しめ。自分を信用するために。 - いばや通信

 

What is natural?

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『HUMAN+』に足を運ぶ。

 

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サイボーグに超人類、そしてクローン。遺伝子工学にバイオテクノロジー、ナノテクノロジーなどの進歩により、現実とフィクションの境界が曖昧なものになりつつある現代、そして未来の世界。この新しい時代において「人間である」ということは一体何を意味するのでしょうか?そしてさらに100年後の私たちの世界は? これからの時代、身体や頭脳がテクノロジーによって改造され、サイバネティック化されてゆくことを受け入れてゆくべきなのでしょうか。人体改造や遺伝子操作における「越えてはいけない」倫理上の一線は?【公式HPより引用】

 

 HUMAN+ : 人類の未来の、さらにその先へ 

 

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地球温暖化に備えて頭皮の表面積を広げることで環境に適応するベイビーは是か?非か?的な展示。他にも「足の中指を切断するとアレルギーに罹らないし喘息も治る。その場合、あなたは自分の赤ちゃんの足の中指を切断することを決めることはできますか?」的な問いを含む展示もあったけれど、言葉で説明をすることは不可能に近い(お近くに立ち寄られた際は、是非!)。

 

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What is natural? ・・・素晴らしい問い!

 

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エキシビジョン自体は素晴らしいものだったのだけれど、その内容があまりにも未来的過ぎて軽く疲弊をした。「これは自分のなかでバランスを取る必要がある!」と思われたので、後日、シンガポール随一の丘に登ってギターを弾いたり逆立ちをして遊んだ。近代化が進み過ぎると、動物でいることが難しくなる。自然に足を運ぶことや歌ったり踊ったり逆立ちをすることで、わたしは「動物的な感覚」を取り戻したいのかもしれない。これは余談になるけれど、逆立ちは最高だと思う。うつ病のひととか、逆立ちをすれば結構早めに治ると思う(体幹も整って筋肉もつく)。馬鹿だと思われた方も多いとは思うけれど、あなどることなかれ、実際にやってみたひとだけにわかる「清々しさ」あるから逆立ちは最高におすすめです!!

 

【参考リンク】朝に「逆立ち」をすると1日が変わる3つの効果「ホルモン分泌」「上半身強化」「便秘に効果大」|「マイナビウーマン」

 

どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。 

実はさっきから気温三十度を超えるテラス席でこの記事を書いているために、ああ、ダメだ、全然言葉がまとまらない(頭でっかちになっているなあ…そして暑過ぎる!!水飲み過ぎてトイレに行きたい!!)という感覚に囚われている。わたしは何が書きたいのだろうか。昨日頭の中で思い浮かんだことは「どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ」という言葉であり、これにまつわる記事を書けたらいいなあなんて薄らぼんやりと思っていたけれど、気温にやられて脳みそが溶け出している。タイでは、非常にありがたいことに一般家庭のご自宅に宿泊をさせていただいている。そこらへんの顛末を書き綴れたら「それなりに旅日記っぽさも醸し出せる」のかもしれないけれど、わたし自身「旅をしているつもりはない」なんて思っているからうまく書くことはできない(能書きばかりになってきた)。

 

 

いま、トイレにいってものすごいすっきりした。トイレに行きたい時は我慢をするのではなくトイレに行けばいいのだと理解をした。冒頭の写真はシンガポールペニンシュラホテルで撮影をしていただいたものになる。この日はそのままペニンシュラホテルに宿泊をしたのだけれど、わたしのような小童に高級ホテルに宿泊をする財力はない。では、なぜ、わたしのような小童がペニンシュラホテルに宿泊をできたのかというと、これはひとえに「みなさまのおかげです!【シンガポール在住の方がわざわざ手配をしてくれました!神!!!】」ということになる。これはもうほんとうにこころの底からありがとうございます、わたしはわたしで残された命を(生かされてあるこの命を)世のためひとのためそしてもちろん自分のために誠心誠意こころを込めて使い果たして行きたい所存でございます、という気持ちになる。

 

 

長々と能書きを垂れてしまった。小生が言いたいことは「どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ」という一言に尽きる。稀に、わたしのような生き方を見たひとから「お前はダメだ!ふざけている!人生をなめるな!」とお叱りを受けることがある。しかし、小生は思う。生き方に正解はないのだから、多分、生き方に間違いもないのだ【どのようなスタイルであれ「生きている」ということは、極論、どのような生き方をしていたとしても「大丈夫である」ことの最大の証明になるのではないだろうか】と思う。わたしはダメな人間かもしれない。多分、ダメな部類の人間なのだと思う。だからこそ、こどもたちには「俺みたいにはなるなよ」と言いたい。俺みたいな人間にはなるなよとか言っておきながら、誰も知らない楽しさやよろこびや感動の瞬間をこっそりと着実に重ねていく、そういう日々を過ごしていきたいと思う。

 

 

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