いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

好きなように生きなさい。

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ごちゃまぜの家の第一号として、神奈川県横浜市港北区にある築60年の古民家を(おそらく五月中には)使わせていただけることになりました。最寄駅はJR&東横線菊名駅から徒歩10分程度、閑静な高級住宅街のど真ん中にあります(それなのに家の裏には雑木林!)。横浜や自由が丘まで電車で10分、渋谷まで20分、新横浜駅も徒歩圏内になるので、新幹線を使えば品川まで10分、熱海まで20分、京都まで120分といった場所にあります。クラウドファンディングの募集期間も、残り12時間程度となりました。何かしらの「えこひいきグッズ」なるものを支援者の方々に追加でご用意をしたいと思っているのですが、まだ、何をご用意すればいいのかが何も決まっておりません!!

 

 

不動産業者Y様のご好意で、家賃は無料(!)で使わせていただけることになりました。使える部分は二階建ての古民家の一階部分(広さは5DKほど!)になるのですが、なぜ、無料でも大丈夫なのかというと「家の二階部分が(二世帯住宅みたいな感じで)完全に分離をしているために、家の二階部分【個室三部屋】と、家の真横にある離れの部分【個室二部屋】を賃貸物件として希望者の方に居住をしていただくことで、母屋の一階部分の家賃をまかまうことができるから」ということになります。言葉だけで説明をするとちんぷんかんぷんに響きかねないのですが、要するに「ごちゃまぜの家の真横に住めますよ!そこに行けば誰かと気軽に話すことができる(話せないかもしれない)し、ごはんが用意されているかもしれない(用意されていないかもしれない)し、ひとりになりたい時は自室にこもることもできます(これは絶対にできる!)よーー!!」ということになります。 

 

GOCHAMAZE@菊名 

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菊名の家の正面写真です。つい最近まで暮らしていた方々が、庭の手入れを丁寧に続けてくださっていたおかげで、非常に状態のよいまま維持をされています。ここで花を育てながらみなさまにお配りできたら素敵だなあ…そんな妄想をしてしまいます。築60年の古民家になるので、みんなで暮らしながら洒落乙に修繕をしていく形になるとは思うのですが、東日本大震災を無傷で乗り越えた実績はあります【家のリフォームなどは自由にやってもいいそうです!!】

 

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家の裏には雑木林があり(個人的にツボです!)、

 

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巨木も!(父ちゃん!)

 

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こちらが家のリビングで、

 

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縁側の日当たりは最高です。 

 

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今回、なぜ、こちらの家を使わせていただけることになったのかという物語の背景には、ひとりの不動産業者の男性Y様との出会いがあります。Y様曰く「これまでにない新しい不動産のあり方を探していて、ごちゃまぜの家のような居住者の方もそうではない方もみんなで使える空間があれば、たとえ血の繋がりはなくても、ある種の家族みたいになれるような、寝るだけに帰る場所ではなく「(家を通じて)共に暮らす」ことができる場所になったらいいなあと思って、今回、坂爪さんにお声をかけさせていただきました(註・ほんとうはもっと素晴らしいことを言っていました!が、うろ覚え&かなり言葉を変えてしまっていてごめんなさい!)」とのこと。 わたしは、不動産のことはあまりよくわからないのですが、単純にY様とY様の奥様のお人柄が素敵だったので「一緒にやりましょう!【わたしはごちゃまぜの家に集中をします!不動産関係のもろもろはよろしくお願いいたします!】」ということになりました。

 

優しい世界になればいい。

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昨日、菊名の家の大家さんと面会をしました。非常に柔和でやさしい雰囲気の大家さんは、小さな頃からこの家で暮らしていたこと、祖父様が丁寧に増築を繰り返していたこと、花を愛していた祖父様は、晩年、毎年「今年はこの花にしよう」とテーマを決めて庭を育てていたこと、どのような形でもいいからこの家を守っていきたいのだということを、静かに、穏やかな口調で聞かせてくれました。最後の方で、大家さんは「正直に言うと、若い人たちがどのようなことを考えているのかはあまりよくわかっていないのですが、これだけ多くの賛同者の方がいらっしゃるということは、これからの時代にきっと必要なものになるのでしょう。ひとのため、地域のために、この家を使っていただけることはとてもうれしいことです。あなた(註・坂爪のこと)を見ていると、昔、ミャンマーで出会ったお坊さんのことを思い出します。優しい世界になるための一助を、この家から、どうぞよろしくお願いいたします」という、身に余るお言葉をいただきました(本当にありがとうございます!!)。

 

クラウドファンディングの企画記事にも書いたのですが、わたしは、過去に二年間ほど「家のない生活」をしていました。この日々の中で得た教訓は108個くらいあるのですが、なかでも、最大の学びは「自分が想像をしている以上に、ひとは優しい存在なのだ」という一言に集約をすることができます。家のない生活をする前のわたしは、非常に傲慢で(今もですが!)、自分ひとりの力で生きることができて一人前、誰かに頼るのは半人前のやることだという認識で生きていました。そのため、自分にとって他人とは「張り合う対象」のようなものであり、大袈裟な言葉で言えば『他人とは敵である』という認識のもとで生きていたのだと思います。しかし、家も金も仕事もない状態に置かれ、ひとに頼らざるを得ない状態に置かれた時、自分が思っている以上にひとは優しいのだという体験を雪崩のように連続して体験をしました。何もないわたしに、寝る場所を与えてくれるひと、食べるものを与えてくれるひと、時には金銭的なサムシングを与えてくれるひとは、それこそ日本には無数にいました。

 

そして、わたしはわたしを恥じました。自分ひとりの力で生きていけるなどと思い上がっていたことを、他人を敵であるとみなしていた自分の度量の狭さを、思い切り恥じるような体験を連続的に重ねることができました(もちろんいいことばかりではなかったけれども!)。この生活を通じて起きた変化は大きく、他人は敵であると思っていたはずのわたしの認識は、いつの間にか「他人とは味方(になり得る存在)である」という方向にシフトをしていきました。この変化は、大袈裟な言葉になりますが『世界に立ち向かう勇気』を自分の内側に与えてくれました。自分の気持ちを丁寧に精一杯こころを込めて話せば、多くの場合、ひとは耳を傾けてくれるのだということを、そして、自分ひとりの力で生きることだけではなく「お互いに助け合うことができる」ということの中にも、ひとは、生きていることのよろこびや嬉しさを感じることができるのだということを学びました。なにもかもを自分ひとりの力で成し遂げる必要はない、なんのための他人なのか、それは「お互いに補い合っていくためのもの」なのではないのかと、そういうことを考え始めるようになりました。

 

敵が味方になる。

いま、わたしの目の前に30人のひとがいるとします。家があった頃のわたしは、表面的にはどれだけ愛想の良い表情を浮かべていたとしても、頭の片隅では「自分は付き合う価値のある人間だということを必死にアピールせねば!」とか「ひと並み以上に幸せな日々を過ごしている風に見られるように意識しなくちゃ!」などと、無駄に余計な思考を働かせていました。要するに『他人と張り合ってしまっていた』のですが、家がなくなってからというものの、なんと言えばいいのでしょうか『張り合っている場合ではない!そんなことよりも、今日の家だ!今日のメシだ!』という感じに変わっていきました。

 

それからというもの、わたしは「ここにいるひとりひとりに土下座をしてまわれば、ひとりくらいは『しょうがないから今日は我が家においでよ』的な感じで泊めてくれるのではないだろうか!」などと、非常に安易かつ不届きな思いを抱くようになりました。そして、わたしは「ハッ!」と気がついたのです。他人とは敵であると思っていたはずのわたしの思考は、いつの間にか、『他人とは味方(になり得る存在)である』に変わっていたのです!!わーお!!なんということでしょう!!謎に他人と張り合っていたわたしは、いつの間にか、自分の味方を探しはじめる青年に変化をしていたのです。そして、事実、ひとと肯定的に(もしかしたらいいひとかもしれない!的なスタンスで)向き合えるようになってから、ひとの優しさに触れる機会は圧倒的に増えてきたような、そういう感覚を覚えることがあります。

 

この体験は、わたしの中にあった「生きることに対する恐怖」を取り除き、代わりに「生きたいと思うことの希望」を与えてくれました。誰かのやさしさに触れると、単純に、自分もひとに優しくなれる人間になりたいという思いが芽生えます。対価としての優しさではなく、巡り巡っていくもの、過去に自分が優しくしてもらえたように、自分も、これから出会うひとびとに優しさを与えることができたなら、という思いに包まれます。その発露としての表現(?)のひとつが、この、ごちゃまぜの家ということになります。この家がどういう展開をしていくのかは、正直、まだまだわからないことばかりになります。が、大家さんが話してくれたように「優しい世界になればいい」という思いが、静かに、穏やかに伝播をしていくような、そういう空間になればいいなと思っています。

 

バガボンド(37巻)』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、井上雄彦著作『バガボンド(37巻)』です。バガボンドは大好きすぎる漫画で、37巻だけは過去に30回以上読みました。読むたびに「うぎゃー!」と励まされているのですが、この巻だけでも、全人類に読んでもらえたら最高に嬉しいと願う最高の一冊です。これは余談になるのですが、最後のほうに、秀作という米作りの天才のおじいさんが「(米作りのことは)俺に訊くな。土に、水に、草に訊け」的なことを言います。わたしはこの言葉が大好きなので、菊名の家も「おれに菊名【土に、水に、草に訊け】」とか言えたら最高だなあって思っています。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

さびしいのか

伊織?

 

さびしくなったら

木を見ろ

 

父ちゃん

きっと

そこにいる

 

死んだら

きっと

そこにいる

 

だってな

伊織 

 

木は

人よりも

長く

 

ゆったりした

時間を

生きてるから

 

もし木が

枯れて

倒れたら

 

川の石を

見に行くといい

 

父ちゃん

きっと

そこにいる

 

死んだら

きっと

そこにいる

 

石は木よりも

もっと

 

ゆったりした

時間を

生きてるから

 

何も心配しなくていい

 

木も石も

本当のお前を

知ってる

 

好きなように生きなさい

 

井上雄彦バガボンド(37巻)』【講談社

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

好きなように生きなさい。

出会う人々から「いつまでこのような生活を続けるつもりですか?不安や恐れとかはないのですか?」などと尋ねていただけることは多い。結論から言うと、不安や恐怖は皆無に近い。別に強がりたい訳ではない。ただ、ない。それに近い感情を抱くことはもちろんあるけれど、ずっとそこにいない。不安や悲しみや苦しみにつかまってしまっている時間が、昔より、随分と短くなったような気がしている。そして、わたしは、逆に問いたいと思う。このような生き方をしていたら不安になるとしたら、このような生き方をしていないあたなには不安や恐怖はないのですかと問いたくなる。別に責めたい訳じゃない。不安や恐怖はないのかと問うということは、そのことを問うひと自身が、不安や恐怖と共にあるからなのではないだろうかと感じるだけだ。

 


どのような生き方をしていても、何が起こるかわからないというこの一点においてはすべてはフェアで、先のことは誰にもわからない。いまうまくいっていることのすべてがこの先もうまくいっている保証はどこにもないし、いまがダメだからといって、これから先もずっとダメであるとも限らない。永遠に変わらないものはない、すべては流れていく、この感覚を昔のひとは「無常」と呼んだ。万物は流転する。変わらないものは何もない、ただ、変わらないものは何もないということだけが「変わらないこと」であり、生き方には間違いもないのだから正解もない、ただ、答えなんてないということだけが「答え」であるような、そういう気持ちになることがある。過去や未来に現在を汚されてしまうことは頻繁にあるけれど、実際、わたしたちが生きることができるのは「この瞬間だけ」であり、逆に言えば、いま、この瞬間を生きることさえできれば「誰もが生きていることのよろこびを感じることができる」のではないだろうかと感じることもある。

 

 

生きるために必要なもの、それは安心感だと思う。それでは、どこに安心感を見出せばいいのだろうか。わたしの場合、それは「手に入れたもの」ではなく「あらかじめ備わっていたもの【奪うことのできないもの】」だと思う。最後に残るもの、それは『生命【躍動】』と呼ばれているものではないだろうか。家も金も仕事も失った時、わたしは、不思議な感覚になるけれど「俺にはまだ体温がある」と思った。俺には目と耳と鼻があって、何かを抱き締める腕があり、大地を踏みしめる足がある。好きだと思える自然があって、好きだと思える音楽がある。これ以上、何を求めることがあるだろうか。こうした感覚に立ち戻ることができた時、わたしは『安堵感』にも似た感覚を取り戻す。そして、バガボンドの中にも出てくる「好きなように生きなさい」という言葉を思い出す。不安にとらわれる必要はない、憎しみの感情に縛られる必要もない、何かを心配する必要もない。きっと、誰もが「好きなように生きる」ための準備は、すでに整っているのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

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