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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

無難な道を選んではいないか。こころの底から「これは最高だ!」と思えてはいるか。

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クラウドファンディングがとんでもないことになっていて震えた。昨日はわたしの32歳の誕生日だったのだけれど、なんと、100万円をダンクしてくれた神様が登場した。こんなに大金をダンクしてくれたにも関わらず、その方は「誕生日おめでと〜!面白いことになりそうだね!」という極めて軽い(軽過ぎる!)言葉をわたしに告げた。大きなことを、軽い気持ちでやってしまうひとの存在にわたしのハートは痺れる。のちほど、神様の正体が判明をしたのだけれども、わたしと同じ1985年生まれの男性だった(K様、あなたは今日から神様です!)。

 

 

予告通り、これから「東京&日本を含めた世界の何処か」にごちゃまぜの家を生み出すべく、実際的な物件探しの日々がはじまる。いままでは「東京都内にごちゃまぜの家をつくりたい!」というだけの話だったことが、神様の登場により「二軒目もつくれることになりました!」ということになった。もしも、奇跡的にこちらのブログをご覧の方で「わたしが住んでいる地域に適当な家があるよ!」という情報をお持ちの方が いらっしゃいましたら、お気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。わたくし、世界の何処でも実際にお伺いをさせていただく時間と体力だけはあります!(不動産屋さんで家を借りるのも何かが違うような気がするので、使われていない空き家の有効活用などと言ってしまうと少々アレですが、東京都内の適当な家情報もこころからお待ちしております!)

 

連絡先・keigosakatsume@gmail.com

 

えこひいきグッズ。

支援者の方々をえこひいきするための「えこひいきグッズ」なるものを制作したい。諸々の場面で支援者の方々を圧倒的に優遇しつつ、わたしは「ユーモアたっぷりで、実用的で、おしゃれなもの」が大好きだから、そういう形に残る何かを追加でプレゼントできたらいいなって思う。支援者の勲章になるばかりか、それを身につけているだけで「新しい形でのコミュニケーションが発生をしてしまうようなもの」、たとえば特定のロゴのTシャツを着ることで『いつでも話しかけてOKですよ』というサインになるようなTシャツとか、とか、そういうもののアイデアを煮詰めたいと思う【最近、「お金では買うことのできない商品をつくりたい」という思いがある。わたしは「売る・買う」よりも「あげる・もらう」という関係性を愛していて、お金では買えない商品を開発できたら面白くなりそうだなあと考えている】。

 

コミュニティ【境界線】を溶かしたい。

昨日、東京都内でお会いした女性が「わたしもコミュニティ作りをやっているので、坂爪さんと同じような活動をしています」ということを話してくれた。わたしは、これはまったく違うと思ったために「コミュニティをつくりたいだなんて思ったことはありません」と答えた。コミュニティなんてものをつくってしまうから、 そうであるものと、そうではないものとの間に断絶の境界線ができてしまう(それが無駄な差別感情などに繋がる)のだと思う。なぜ、分ける。なぜ、隔てる。なぜ、片方の側だけにつく。ごちゃまぜのままでいいじゃないか。そう思ってはじめたいと思ったものがごちゃまぜの家の構想であり、これはコミュニティをつくるためのものではなく「コミュニティなどと呼ばれているつまらない既存の枠(人間の全体性を奪うような境界線)を溶かしたい」という思いがある(気がする)。

 

先日、お会いしたコミュニティ運営者の方は「ニートさんは日本の未来です。彼らは21世紀型の思考の持ち主なので、20世紀の常識を無意識に拒んでいる純粋な生命体なのです。なので、私たちの活動にニートさん達に手伝っていただくことで、輝ける場所を提供できたらと思っているのです」などと話していた。わたしは、なんだか綺麗なことを言っているのかもしれないけれど「ニートさんの『さん』ってなんやねん!」とか「輝ける場所を提供したいとか言っているお前は何様か!(それは、ニートは輝いていないと言っていることと同じではないのか!)」などと思った。ので、そのままの言葉で伝えた。すると、その方は「そんなことは思っていません」と言うので、わたしは「でも、いま、自分の口からそう言っちゃっているじゃないですか」と問うた。すると、そのひとは「ああ…そうかもしれません」的なことになり、わたしは(ほんとうは大人気ないことなのかもしれないけれど)なんだか非常にスカッとした。

 

善意の押し売りほど醜いものはない。自分は正しいと信じている、そのことまではいいのだけれど、誰かに押し付けた瞬間にそれは「暴力」になる。と、ここまで書きながら「あれ?俺も、結局自分の考えをそのひとに押し付けてはいないか?」などと思った(自分の意見を表明しただけだからセーフかな??や、やっぱりアウトかな??)。とにもかくにも気をつけよう。誰かを救いたいと話すひとほど、そのひと自身がまったく救われていない場合は多い。他人を救うことを通じて自分を救うだなんて、なんだか、とっても不潔である。わたしは、ごちゃまぜの家の活動を『支援活動的なサムシング』にしたいとは思わない。福祉的な活動でもなければソーシャルアクションなどと呼ばれる活動でもない、単純に「自分を(自分と似た感性のひとを)楽しませるため」のものでありたいと思う。まずは自分に集中をすること、自分以外の誰かでごまかすのではなく「まずは自分を救え」ということを思う。

 

【過去記事】まずは自分を救え。 - いばや通信

 

俺らはエンタメでありたいんだよ。一目見ただけで、思わず幸せになっちゃうような、そういうことをやりたいんだよ。

昨日、新潟在住の男性T様から連絡をいただいた。

 

坂爪さんの生き様を拝見していると、エンタメってこう言う風な起源で始まったのかなと思わされる瞬間があります。

 

芝居と言う言葉は芝に座って見世物を見るところから芝居と呼ばれたそうです。

 

坂爪さんは芝に座るスケールを越えて世界に座っているスケールに私には見えます。 

 

わたしは「なんて嬉しい言葉を言ってくださる方なのだろう!」と感動した。そして、俺たちはエンタメでありたいんだということを思った。何をやるにしても、その活動の根底には「このような生き方をしている人間がいるんだぜ」ということを感じてもらえたらうれしい、少しでもこころがフワっと軽くなってもらえたらうれしいという、ただ、それだけのことなのだと思う。笑えたら、きっと、それだけで既にゴールをしているのだ。難しいことはなにもない、そう、俺たちはエンタメでありたいんだ。一目見ただけで、思わず幸せになっちゃうような、そういうことをやりたいんだ。これはある種の魔法【マジック】みたいなもので、俺たちは、魔法使いのようなものになりたいんだ。世界にある種の魔法を振り撒いて、それを見たひとが「なんだこれは…マジックみたいだ!」なんて驚きと共によろこんでくれた瞬間の中に、たまらないよろこびを覚えるタイプの人間みたいだ。

 

『ひとり言セラピー』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、あな田さゆり著作『ひとり言セラピー』です。こちらの本は、著者の方がわざわざ坂爪圭吾に会いに来てくださり「もしよろしければ、お読みいただけましたらうれしいです」というお言葉と共に、わたり文庫に寄贈をしてくれた一冊になります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

嵐のように荒れ狂う心を

外から見る冷静な目を持ちなさい。

 

その目は

それがすべてではなく

全体のなかのごく一部で一時であることを

あたなに教えてくれるでしょう。

 

荒れ狂う心のなかにとどまり

嵐を感じる勇気を持ちなさい。

 

その勇気は

あなたが誰で

何を求めているのかを

教えてくれるでしょう。

 

あな田さゆり『ひとり言セラピー』【かんき出版】 

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

無難な道を選んではいないか。こころの底から「これは最高だ!」と思えてはいるか。

数日前、静岡県富士市にあるホームセンターに足を運んだ。わたしは、常々「熱海の家の台所に適当な大きさのスツールがあればいいなあ」などと思っていたのだけれど、ちょうどよく、安価で手頃な椅子がホームセンターで売られていた。わたしは、一瞬、その椅子を買いかけてしまったものの、レジに並ぶ直前のところで「あぶねー!」と購買を思いとどまることに成功した。取るに足らない些細な出来事のようで、こういうひとつひとつの行動が、結果的に人生全体のあり方を決める重要な舵取りの要素を担うような気がして、購買をやめた。

 

何が言いたいのかと言うと「丸よりも『三重丸』を選ぼう!」ということです。言い換えるならば「これでいいという思いではなく、『これがいい!』と前のめりに思えるものを選ぶこと」であり、多分、中途半端なものばかりを選び続けていると、人生全般が中途半端なものになる。これでいいではなく「これがいい!」と思える道を選ぶこと。ごちゃまぜの家の活動ひとつとって見ても、これでいいやという適当な態度で選ぶのではなく、しっかりと「俺はこの選択にこころの底から『最高だ!』と思えているか?」と問いたいと思う。自分との関係も人間関係であり、コミュニケーションに失敗をすると自分の行きたくない場所に連れていかれてしまうことは多い。

 

【過去記事】「ひととの繋がり」があれば人間は死なない。 - いばや通信

 

前回の記事で「社会不適合者」などという言葉を取り上げたけれど、そんなことはどうでもいいから「自分適合者になること」の方が何億倍も大切だと思う。自分の道を選ぶ時、最大のナビゲーターになるものは『自分のこころ』以外には何もないはずだ。誰がなんと言おうとも、自分のこころが「最高だ!」と思える道を選ぶこと。真の仲間や理解者は、歩き出す前に出会うものではない、きっと、歩き出す先に出会うものだとわたしは思う。理解されなくても、何も説明できなくても、いまはまだひとりきりだとしても、それでも、自分の道を進み続けること。周囲の無理解に苦しむことがあったとしても、自分自身だけは「お前は最高だ!」と思うことができるような、そんな『最高の自分』でありたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

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