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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

まずは自分を救え。

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神戸の挙式に参列をする。教会に向かう。音楽がかかり、扉が開く。ウェディングドレス姿の花嫁と白いスーツの花婿が入場をする。それぞれの視点から、ひとりひとりが見つめている。ゆっくりと歩く。この日限りの光の粒子が、空間全体を包み込む。微笑もうとして微笑むのではない、自然な微笑みにあふれる。私はいろいろな気持ちになる。そして、同時に「いろいろなことがあったね、でも、これでよかったんだよね」と思う。いま、兵庫を離れて奈良にいる。昼過ぎには京都に向かい、何も予定がなければ夕方のうちには熱海か東京に移動をする。この日限りの光の粒子を、感じることができたら嬉しいと思う。

 

【イベント詳細】おはなをあげに、いかんばなんね。

 

最近思うことあれこれをまとめます。 

 

1・生き様に宿る説得力は、言葉を超える。

 

幸せそうな花嫁の姿を見て、見ているこちらまで幸せな気持ちになった。どれだけ口先で「頑張れ」と言われることよりも、そのひと自身が頑張っているまさにその姿を実際に目撃した時の方が、私は、よほど「俺も頑張ろう」という気持ちになる。生き様に宿る説得力は、多分、言葉を超える。世界平和を望むなら、まずは自分の平和を実現することだ。世界が平和になれば自分も平和になることができるというのは、多分、順番が逆になるのだろう。昨日から「まずは自分を救え」という言葉が、頭の中でこだまをしている。この命は、生きたがっている【踊りたがっている】ことを感じている。

 

2・深く話を聞くことは、人を導く力がある。

 

誰もがこころの中に詩人を抱えている。この詩人は、騒がしい頭意識が前面に押し出ている時は、何も語ることはない。何も語ることはできない。騒がしい頭意識が黙る時、くだらないおしゃべりを辞めた時、詩人は静かに語り始める。詩人の声に耳を傾けるためには、余計なノイズ【自分を含めた外野の声】から離れる必要がある。静けさの中に身を置いて、自分の中から湧き上がる声に耳を澄ませる。その声は、難しい言葉で語りかけることは滅多にない。常にシンプルな言葉で私たちに何かをささやきかける。たとえばそれは「いまをしっかりと生きるんだよ」とか「捨てなさい」とか「自分の好きなように生きなさい」とか、必ず一度は聞いたことのある言葉だったりする。

 

3・自分のために生きることが、誰かの力になることがある。

 

自分で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。行き過ぎた正義感や使命感は、他人に押し付けた瞬間に暴力に変わる。私は、誰かに対して「自分のように生きてほしい」とは思わない。ただ、私はこのように生きている【私はここにいる】ということを、誰かに知ってもらいたいとは思う。言葉を通じて、身体を通じて、存在を通じて、生きていることを確認したいと思っている。誰かを変えるため【誰かに認められるため】にエネルギーを使うのではない、ただ、自分を変えるため【自分を認めるため】にエネルギーを使いたいと思う。誰かのためではない、ただ、自分のために生きることが、結果として誰かの力になることがあるのだと思う。

 

4・責任を逃れている間は、自分を見ないで済む。

 

家族でも環境でも社会でも年齢でも性別でも、なんでもいい、自分以外の「何かのせいにしている間は楽なんだよ、自分を見ないで済むから」と思う。誰かのせいにすることを悪いことだとは思わない。誰かのせいにしなければやっていられない時もある、ただ、私は「いつまでもそこにいたくない」と思う。誰かに何かをしてもらえないことを嘆くことより、私は、自分が持っているものを最大限に生かしたいと願う人間が好きだ。他人の生き方にああだこうだと口を出すことより、自分を真剣に生きようとしている人間が好きだ。一般的な常識と比べてどうのこうのではない、ただ、自分は自分であることを引き受けている人間が好きだ。

 

5・花は散ることを嘆かず、雲は流れることを厭わない。

 

ひとに理解を求めるとつらくなることがある。繋がりと呼ばれるものは、横【ひと】にだけ求めるものではなく、縦【天地】に求めてもいいものなのだと思う。昔のひとは「お天道様が見ている」という言葉を使った。これは、悪いことをすればバチが当たるという懲罰的な教えについてだけではない、 どのような状態に置かれたとしても、必ず、あなたを見ているものはあるのだという安堵感にも似た感覚を伝える。樫は樫であることを悩まず、石は石であることを拒まない。花は散ることを嘆かず、雲は流れることを厭わない。そのままの姿で生きる自然は、ただ、そのままの姿で生きる人間の姿【自分自身】を知っている。

 

6・あなたの悲しみに寄り添う。

 

リンドウの花言葉は「あなたの悲しみに寄り添う」だと聞いた。私は、美しい言葉だなと思った。中途半端な励ましの言葉や、安易なポジティブシンキングでは紛らわせることのできない悲しみも、寄り添われることで浄化をする【悲しみが悲しみを中和する】時がある。怒りの奥には、多分、悲しみがある。こころの奥の深いところにある感情に寄り添うことができた時、そこにはポジティブもなければネガティブもない、それがどのような種類の感情であれ、ふたりの間には『深い共感【温もり】』が生まれる。ひとりの人間とひとりの人間がこころを通わせるということは、多分、そういうことなのだと思う。

 

7・無限の網の目の中で「どうにかなる」

 

人間の最大のパフォーマンスが発揮される瞬間は「リラックスをしている時」だと思う。どうにかしなきゃ!このままではいけない、何かをしなくちゃ!という切迫感や緊張感は、カラダとココロを縛る鎖になる。いままでの人生を振り返りながら思う。私の人生は、どれだけ「自分の意のままにコントロールをすることができた」ものだっただろうか。一年前の今頃に、いまの自分の状態を正確に描くことができていただろうか。答えは「否」で、想像を超えた未来にいること(どうなるのかわからないこと)こそ、生きる醍醐味になるのだと思う。自分の力でどうにかするものではない、多分、人生は「自分の力を超えた(無限の網の目が張り巡らされている)範囲で、どうにかなってしまうもの」だと思う。

 

8・知ることと、愛すること。

 

ひとを憎む時、それは「そのひとに対する自分の記憶」を憎むのだと思う。許すことと知ることは似ている。ひとを許せない時、それは「そのひとについて、まだ、知らないことがあることの証」なのだと思う。知ることと愛することは似ている。知ることは許しにも似た感覚を生み、許しは愛情にも似た感覚を生む。誰かのことを悪く言いたくなった時、それは「そのひとについて、まだ、知らないことがあることの証」になる。自分自身に対しても同じだ、自分を責めたくなった時はまだ何か知らなかったこと【自分自身に対する非寛容的な無理解】がある。 

 

9・楽になる道が正解だよ。

 

生きているだけでいい、それ以外はおまけなのだと思う。

 

『アミ 小さな宇宙人』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、エンリケバリオス著作『アミ 小さな宇宙人』です。この本は、わたり文庫の活動(?)をはじめてからというもの、何度も何度も様々な方々から「わたり文庫に加えてください」と託されてきた一冊になります。それだけ、多くの人たちの祈りにも似た希望がたくさん詰まっている作品なのだと思います。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

「起こらなかった問題やこれからもけっして起こりもしない問題を心配して、頭をなやませて生きていくのをやめて、もっと「いま」というときを楽しむようにしなくちゃ、と言っているんだよ。人生は短いんだ。もし現実に、なにかの問題に直面したときはそれに全力であたって解決すればいいんだ。起きもしない巨大な津波がいつか押し寄せてきて、われわれを全滅させるだろう、というようなことを空想して心配しながら生きていくのが、賢明なことだと思うのかい。この「いま」という瞬間を、こんな美しい夜をじゅんぶん満喫しなかったら、それこそなんとおろかなことだろう……。よく見てごらん!小鳥たちがなんのしんぱいもせずにとびまわっているのを、どうして、じっさい起こりもしないことに頭をなやませて、現在を犠牲にしなくちゃならないんだい?

 

「なんてきれいな街灯なんだろう。絵に描いてみたくなるほどだ……。見てごらん。月の光に照らされて、星いっぱいの夜空にシルエットのように、くっきりと浮かびあがったアンテナを……。ぺドゥリート、人生はこれらを健全に満喫する以外に目的はない。人生が提供してくれたすべてのものに注意の目をむけるようにつとめてごらん。たえずいろんなすばらしさを発見することだろう。頭ばかりで考えるかわりに、感じるように知覚するようにつとめてみてごらん。人生の深い意味は思考のもっとむこう側にあるんだ……人生は現実のおとぎ話のようなものなんだ……神がきみにささげた美しい贈り物なんだよ……なぜなら神はきみを愛しているからね……」

 

「人生には少しもすばらしいことがなく、きけんなことばかりでいっぱいだと思いこんでいる。潮騒も耳に入らなければ夜の香りも感じない。歩いていることも、ほんとうに〝見る〟とはどういうことなのかの認識もない。呼吸することも楽しまない。きみは、いまは催眠状態にいるんだよ。否定的な催眠状態だ。ちょうど戦争をなにか〝栄光〟のように感じているひととか、自分の考えに同意しないひとをみな敵だとみなしているひととか、制服を着ているだけでなんだかえらそうになったように感じているひととおなじようにね。これらのひとたちはみな、催眠状態だ。催眠術にかかっていて、深くねむっているんだ。もし、人生はやその瞬間が美しいと感じはじめたとしたら、そのひとは目ざめはじめているんだ。目ざめているひとは、人生は、すばらしい天国であることを知っていて、瞬間、瞬間を満喫することができる……。」ー エンリケバリオス『アミ 小さな宇宙人』【徳間文庫】

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

10・まずは自分を救え。

結婚式の時、欧米人の牧師さんが新郎新婦に祈祷の言葉を授けた。「生きるときに大切なものは3つあります。それは、とても覚えやすい言葉でどのような時でも思い出すことができます。その言葉とは、『や・ゆ・よ』の3つです。や、は『安らぎ』です。ゆ、は『赦し』です。よ、は『よろこび』です。安らぎと、赦しと、よろこび、この3つが途絶えることのない、愛情と祝福のある日々を築いていけますように祈ります」と、牧師さんは祈る。私は、おお、なんだかいい言葉を言うじゃないか牧師さん!!などと思う。安らぎと、赦しと、よろこび。この言葉を意識するだけでも、不思議と安らぎが静かに湧き上がる、自分から赦していける人間になりたいのだと、よろこびにあふれた日々を送りたいのだと言う気持ちになる。

 

自分の悩みも弱さも最悪な部分も、さらけ出した瞬間にチャームポイントに変わる。さらけ出された【許された】弱さを見て、勝手に救われるひともいる。このままじゃだめだと思っているのは自分だけ、自分には「ない」と思っていた部分でさえも、誰かの「ある」を導き出す力になることもある。強さを誇るひとではない、自分は弱いと言えるひとほど、揺るぎない強さを得ることがある。湧き上がる感情を「このままじゃダメだ!」と打ち消そうとするのではなく、認めることの中に安らぎが、許すことの先によろこびが、腕を広げて待っていることがある。

 

悩むのも不安になることも当たり前のこと、弱さも、淋しさも、全部それでいいのだと思う。元気な時に「このままで行こう」と思うことは簡単だけど、元気のない時も、元気のないままで「このままで行こう」と生きる姿勢が、自分の中心を生きる芯になる。格好良い部分だけじゃない、格好悪い部分も含めての自分【世界】なのだと、おおらかな気持ちを取り戻すことができた時に見上げた空は、この日限りの光の粒子に囲まれている。安らぎも、赦しも、よろこびも、すべては最初からそこにあることを知る。

 

 

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人生は続く。

 

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
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