いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

つながりを作るのが人生。

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熱海から東静岡の温泉を経由して名古屋に向かう。先日から「お年玉くださいツアー」を敢行している。呼ばれた場所なら何処にでも足を運ぶというこの企画を通じて、明日は関西方面、明後日はクアラルンプールに飛ぶ。お年玉そのものが欲しいというよりも、お年玉を通じて生まれる「関係性」に最大の関心はある。自分から先に与えようとしてくれるひとと出会うと、その嬉しさから「こちらからも何かを与えたい!」という気持ちになる。商業的な取り引きとは異なるからなのだろうか、そこに「関係性の継続」を見る。逆に言えば、等価交換(何かしらの対価を支払う行為)は「関係性の清算」になるのかもしれない。

 

【イベント詳細】お年玉くださいツアー 〜僕も、大きくなりました〜

 

最近、シングルマザーの女性と出会うことが多い。私は、すべてのシングルマザーの子供たちの父親的存在である「マルチプルファーザー」になりたいと思う。離婚する代わりに慰謝料やこどもの養育費を元旦那から貰う。慰謝料には「手切れ金」的な要素が含まれている。金を払う代わりにいままでの(恩情的な)つながりの清算をする、的な意味合いがある。私は、お金とは「コミュニケーションコストをゼロにしたもの」だと思っている。たとえば、今夜、名古屋に向かっている私には泊まる場所がない。名古屋駅前でひとりひとりに土下座をすればお金をもらうか無料で家に泊めてもらえるかもしれないが、そのために支払うコミュニケーションコストは多大だ。金があれば、コミュニケーションコストを限りなくゼロにした状態【ストレスの少ない状態】で、ホテルや最寄りの漫画喫茶で眠ることが出来る。

 

金を払えば、人間的なつながりはいらない。 

金がなくても、ひととのつながりがあればどうにかなる。逆に言えば「金を払えば、人間的なつながりはいらない」ということでもある。一人暮らしの気楽さは、誰にも気を遣わないでいられることだと思う。常に好きなものを食べることができ、常に好きな時に眠ることができ、常に好きな服装で時間を過ごすことができる。しかし、だからこそ「たまには誰かとコミュニケーションを交わしたい」と強く願ったりもする。金を払ってコミュニケーションコストを限りなくゼロにしておきながら、同時に、金を払ってでも誰かとコミュニケーションをとりたいと願う、私は、ここにある種の現代的な矛盾を見る。

 

先日、江ノ島にある喫茶店の手伝いをした。私は時給を貰いながら働くことが苦手だ。「金を払っているんだからしっかりと働け」的な、雇用側からの圧力に耐えることができない。しかし、無給ならば働くことができる。多分、働けと言われると「働きたくない!」という反骨精神が働いてしまうのだけれど、働いても働かなくてもどっちでもいいよ的な状態になると、それならば働いてみようかなという気持ちになる。不思議なものだ。やれと言われるとやりたくなくなり、やるなと言われるとやりたくなる。そのため、江ノ島の喫茶店も(サボっている時に「金を貰っている訳でもないのだから」という言い訳も成立するからこそ)無給で働くことにした。

 

【参考記事】初開店日 - On the way always

 

結果的に、この日の私は非常に良く働いたと思う。単純に店主さんのことが好きなので、私は、金の為ではなく「店主さんの負担が少しでも軽くなればいい」という慈愛の精神に殉ずることができた。仕事終わり後の気分も清々しく、いい仕事をしたな的な気持ちになった。店主さんは何かしらの形で私に御礼を与えてくれようとするが、私は「もしも私が死にかけた時は、その時は助けてくれたら嬉しいです」的な捨て台詞を吐いてその場を離れる。昔からお金を稼ぐことが苦手だった(雇われた瞬間にノイローゼになってしまう)私は、変な言い回しになるけれど、無給で働き続ける代わりに『生き延びる為のセフティネット』を築こうとしているのかもしれない。逆に言えば、自分の行為が時給や日給などに換算されてしまうと、私の場合は「俺の1日はこれなのか」と生きる気力は消沈する。

 

「交換感」より「循環感」

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繰り返しになってしまうけれど、昔からお金を稼ぐことが苦手だった私は「売る・買う」の関係性よりも「あげる・もらう」の関係性を愛している。この前、熱海の家に茨城県からクリスマスプレゼントに84袋のほしいもが届いた。これは問われていると思った私は、ほしいもを希望する方に無料で手渡しをしたり、遠方にお住まいの方々には無料で郵送をした。すると、それを見た方から「これを使ってください」と、非常に驚いたことに50本ものさつまいも【紅はるか】が熱海に舞い降りた。ほしいもを配りまくっていたら、さつまいもになって帰ってきたのである。私は「最高のギャグだな」と思った。売る・買うの関係性ではなかなか起こらない予測不可能な出来事が、あげる・もらうの関係性においては頻繁に起こる。

 

私の敬愛する三森さんは言葉を綴る。三森さんの言葉に触れた人が「良かったらこれを使ってください」と、様々な食糧や日用雑貨や服飾の類を贈る。それを見て三森さんは喜ぶ。喜ぶ三森さんを見て贈り主も喜ぶ。そのやり取りを見ている第三者も喜ぶ。連鎖する喜びに触れて、私は「いい循環だな」と思う。与える側は、受け取る人がいてはじめて「与える喜び」を覚えることができる。受け取る側も「与える喜びを与えている」という点において、多分、与える側の人間でもある。堅苦しい表現になるけれど、人間が感じる普遍的な喜びのひとつに「よろこびを分かち合う」というものがあると思う。自分ひとりだけを幸せにしているだけでは足りない、誰かと何か素晴らしいと思えることを共有できたと思えた時、思い込みかもしれないけれど「いま、同じ気持ちになれているかもしれない」と思える瞬間の中には、瞬間を大きく肯定する嬉しさがある。

 

【参考記事】嬉しいことが何度でも起こる!! - みっつ通信

 

誤解されると困るが、私はお金を否定したい訳ではない。私にとって、お金とは「あると便利なもの」であり、お金があれば電車にも乗れるし飛行機にも乗れる、好きなひとにお花を買ったり食事をご馳走することができる。ただ、昔は「金がないと生きていけない」気がしていたけれど、最近では「金がなくてもどうにかなるものの、あると便利!超便利!」という立ち位置にいる。金も血液も循環をすることが大切だと言うけれど、多分、その通りなのだと思う。そこで、どのタイミングでこの話をすればいいのか分からないままでいたのですが、この【循環】をテーマに「わたり食堂」を(毎月最終日曜日)に開催することにしました。現状、料理を提供する側が見事に不足をしておりますので、興味のある方はどなたでもお気軽にご連絡いただけましたら幸甚です。

 

【イベント詳細】わたり食堂【0円食堂】

 

種田山頭火の死生』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、渡辺利夫著作種田山頭火の死生』です。種田山頭火の生き様は眼を見張るものがあり、見る時期によっては多大なるダメージを受けてしまいかねないのですが、この時期、日本海側の曇天の空のもとで過ごされていらっしゃる方には最適な内容になるかもしれません。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、広島県にわたりました ※※※

 

己れの精神の内界に黒々ととぐろを巻く苦悩の蛇をみつめ、暗鬱の人生を送ってきたこの男を救済に向かわしめたものは、死であった。現世において掌中にすることのかなわなかった自由を、山頭火は死を睫前にすることによって手にしたのである。

ー もりもりもりあがる雲へ歩む 

この辞世の句は、山頭火の苦悩からの救済と解放の賛歌だったのではないか。ー 渡辺利夫種田山頭火の死生 ほろほろほろびゆく』【文春新書】

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

つながりを作るのが人生。  

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明後日からクアラルンプールに行けることが非常に嬉しい。新潟生まれの私は、冬になると鬱になる。鬱になると自室【偏った自己解釈の世界】に閉じこもりがちになる。が、東南アジアの温暖な気候は心を開く。なんだか、実は、いろいろなことがどうでもいいことだったんだよね的なオープンマインドを取り戻す(ことが多い)。三森さんは言う。人と会う最大のメリットは、「こんな自分もいるんだ」と気付けることではないだろうか、と。本当に、その通りだなと思う。話すは「離す」だと言う。ひとと出会うこと、ひとと話をすることの中には「風通しを良くする」力がある。ひとりで考え過ぎると深刻になりがちなことでも、誰かに話すこと【自分から飛び出すこと】で笑えることもある。

 

 

この数年間の日々の中で、個人的に一番変わったなと思うことは「なんでも自分ひとりでやろうとしないこと」だと思う。私は、もう、自分ひとりだけの力で何かを成し遂げたいという夢や理想や野望の類を、胸に抱くことができなくなった。いまでも、過去の癖【名残】みたいなものがひょっこり顔を出すこともあるけれど、「違うぞ」と囁く心の声に比較的早い段階でリーチできるようになってから、鬱っぽい感覚を覚えることは減ったように思う。大切なことは、多分、自分ひとりだけで抱え込まないことだ。なんのために他人がいるのか、それは、お互いに支え合うため【自分ひとりではできないことを成し遂げるため】ではないのだろうか。

 


私は、「自分の凄さ」みたいなものを証明したいとは思わない。ただ、「人類【生命】の凄さ」のようなものならば、わずかでも証明できたらいいなあと思う。ひとは優しいのだということを、人生は生きるに値するのだということを、生きているということは素晴らしいことなのだと、不安や恐れではなく喜びや希望を生きるベースにしてもいいのだということを、私は、私の体験から紡ぎ出していきたいと思う。

 

 

人生は続く。

 

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