いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人生とは、ボーナスタイムである。

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バンコクを経由してチェンマイにはいり、旧市街界隈を散策した。今日は、チェンマイで開催されるトークイベントに登壇する。私が怠惰な人間だからなのだろうか、海外に足を運んでも「せっかく来たのだから、ここでしか見れないものを見たい!」という気持ちになることはあまりない。現地に到着し、現地の風を浴びて、現地の飲み物を飲みながら、現地のひとを眺めたら、多分、私はすでにゴールをしている。あとは、もう、おまけみたいなものだ。


おまけという感覚を、最近、人生全般に対して感じている。これまで生きてきて31年間、自分のやりたいようにやらせてもらった。いいこともあれば、悪いこともあった。振り返れば、もし、明日死ぬことになっても「それなりに生きてきたなあ」と思える日々を過ごしてきた。それなのに、まだ、生きていてもいいのですかと、これだけ楽しませてもらったのに、まだ、半分も終わっていないのですかと、これはもう、ボーナスタイムみたいなものではないですか!!と、稀に、何かに感謝をしたくなる時がある。

人生とは、ボーナスタイムである。

トークイベントなどに登壇をすると「坂爪さんのような生き方は、年をとったらできないじゃないか、結婚をしたらできないじゃないか、健康じゃなくなったらできないじゃないか」と言われることがある。確かに、そのひとの言う通りなのだと思う。だからこそ、私は言いたい。だからこそ、いま、こうしてやっているんじゃないのかと。いつか踊ることさえもできなくなる日が来るからこそ、いま、この瞬間を踊っているんじゃないのかと。過去でもない、未来でもない、なぜ、いまという瞬間をしっかりと見てくれないのだろうかと、そういう気持ちになる。

自分のような生き方は、たまたま偶然が続いているだけに過ぎない脆くて頼りのない生き方で、来月には死んでいるかもしれない、10年後にはあらゆる社会的な信頼を失ってどん底の生活を送る羽目になっているかもしれない。先のことはわからない。ただ、先のことはわからないのは「私だけではない」はずだ。同じように、どのような生き方をしてきたとしても「生きている」ことに変わりはない。

そんなんじゃ生きていけないよという言葉を、多分、これまでに百億回は聞いてきた。しかし、そんなんで生きてきてしまった身としては「自分みたいに生きろだなんて微塵も思わないから、正しさの勝負をしたいとも、自分の意見を押し付けたいとも思わないから、ただ、そんなんで生きてきてしまった人間の生き方を、単純に面白がってもらえたらうれしい」と思う。そんなんじゃ生きていけないと思っていたことが、必ずしもそうではないのかもしれない【道はいくらでもあるのだ】と感じた瞬間に吹く風が、多分、自由だ。

日本に生まれた恩恵を。

日本に生まれただけで、私達は、サイコロで言えば6が出ているようなものだ。日本が完璧だとは言わないが、まず、日本語が通じる。蛇口を捻れば水が出て、街並みもトイレも清潔で、デパ地下や炊き出しに行けば飢えることもなく、生活保護職業訓練などの支援もあって、パスポートがあればビザなしで行ける国が大量にある。足りない部分をあげればキリがないが、足りない部分があるからこそ、補完していくことの喜びを味わうこともできる。


距離が人間を近付けることもあるみたいだ。

出会ったことのないひとよりも、出会ったひとを大切にしたい。

ブログなどを書いていると、まだ、会ったことのないひとからこころの無い言葉が届くことがある。そんな時、私は、露骨に傷を負っている。ぐはぁ!と叫び、見て見ぬ振りをしながら届いたメールなりなんなりを即座に削除はするものの、悪意に触れた瞬間に感じる不穏な空気、心臓の痛み、感情の荒波をごまかすことはできない。批判を受けることには徐々に慣れてはきたけれど、慣れたからといって、無傷でいられる訳でもない。

そんな時に、まさに傷ついているど真ん中の最中に、バンコクで開催されたイベントに来てくれた女性から、一通のメールが届いた。正直な言葉には、聞くひとの心を動かす目には見えないエネルギーがあるのだと思う。その力が、その思いが、その瞬間の煌めきが、文面からも伝わってくる素晴らしい内容だった。そして、私は「出会ったことのないひとよりも、出会ったひとを大切にしたい」ということを思った。

自分の嫌いなものではなく、自分の好きなものに使ってこその命だ。自分の気持ちをごまかすことは、自分の感情を打ち消すことは、自分を否定する出来事を受け入れてしまうことは、大袈裟な言葉で言えば『小さな自殺』だと思う。それならば、できることならば、素直でいたい。正直でいたい。出会ったことのないひとよりも、出会ったひとを大切にしたい。そして、いつか踊ることさえもできなくなる日が来る時まで、クリアな言葉で、クリアな気持ちで、ボーナスタイムを駆け抜けて行きたい。



バンコクわたりカフェに赤ちゃん連れで参加した○○○○です^^

一瞬の出会いでしたが、わたしなりにことばにしたい思いに駆られました。
子どもと育つ世界にどっぷりの日々のわたしにとって、坂爪さんと、team0のお二人のまとう空気感はどこまでも眩しく、20代のお二人の笑い声さえも、とてつもなく懐かしく遠くに感じ入ってました(笑)
子どもがいるせいか、お三方も子どもに見え(笑)どーやったらこんな風にどこまでも生きる力がつくのか、3人3様の生き様に一瞬でもクロスし、エッセンスを貰ったような気がします。

会場にいて、こんなに『ありがとうございます』と言う人を初めて見ました。坂爪さんから発せられる『ありがとうございます』は、相手を通り越して自分に返しているかのような、透明なことば。
いやー、これこそが、長年の生活の重みなのかと、聴き入ってしまいました。

わたくし、日本では家族一緒に暮らし、タイに赴任して週末同居の単身赴任となり、家族とはなんぞや?という問いが頭の中にずっとありました。消しても消しても。心にぽっかりと穴があいた時がしばらく流れいました。
わたりカフェを後にして、階下に下りると、『おかあーさーん』と2人の子どもが駆け寄ってきて、(たった)2時間ぶりの再会なのに、両手を広げて求め合い、この瞬間、言葉にはならない(家族とはなんぞや?)の答えがからだの隅々まで入ってきてグァーンと満たされました。
答えは感覚としてしかないけれど、一瞬で何かがやってきて、もう充分だよの思いが溢れてきました。

凛とした生身の坂爪さんに、まさか!のバンコクでお会いできて、眼差しをみれただけで、わたしは語ることもなくいっぱいいっぱいだったようで。坂爪さんの『ありがとうございます』の風が今でも心地よく吹いています。
何もかもが充分満たされている。言葉ではなく、思いで満たされた日曜日の夕方
果てしない偶然が続くことを祈って。よき旅となりますように。

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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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