いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

【KUL-ブキビンタン】人生に必要なのは「ハイタッチ感」である。ー ほとんどの大人たちは大人のふりをしているこどもに過ぎない。

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マレーシアのクアラルンプールに来ている。宿泊しているホテルは、夜遊びスポットでお馴染みのブキビンタン界隈にある。今回は出版を予定している(とか言って企画がボツになったらすみません)本の執筆作業に集中するために来ているのだけれど、私のコンセントレーションは続くことを知らない。


最近思うことあれこれを綴ります。


1・初対面の女性と海外に行く卑猥さ。

前回のブログ記事でも書いたように、今回の滞在は「日本在住の女性の好意」によって成立している。初対面の女性と羽田空港で待ち合わせて、一緒の飛行機に乗り、同じホテルに宿泊している。このようなことを書くと「初対面と!しかも異性と!あり得ない!卑猥だ!よろしくやってんじゃねえよ!」というヒステリックな反応が届く。その度に「卑猥なのはお前の想像力だろ!」と突っ込みたくなる。


2・批判の9割は嫉妬「嫉妬は恐怖」

誤解されると困るが、私達は決して同じ布団で眠っている訳ではなく、別々の部屋に宿泊をしている。このようなことを書くと「まったくまぎらわしいことを書きやがって!バカ!それならそうだと最初から言え!」的なことを言われる。その度に「おい!こら!ちょっと待て!」という気持ちになる。

多分、彼らは「(誤解した自分の想像力の欠如を反省するのではなく)誤解させるようなことを言うお前が悪い」という前提で生きているのだと思う。しかし、自分の人生と他人の人生はまったくの別物であり、他人が不幸になったからといって自分が幸福になれる訳でもなかろうもん。嫉妬は恐怖だ。

3・演劇と音楽に興味がある。

基本的に、人間は「食う・寝る・やる」で構成されている気がする。そして、美味い飯を食えば幸福になるし、睡眠の直前のまどろみは多幸感に溢れているし、セックスをすれば気持ちが良いし、生きるための根本的な営みを「喜び」として捉えるように人間はつくられているのだ。

そして、同じように「歌」と「踊り」に、人類共通の可能性(?)を感じるようになった。何処の国に行っても、何処の民族に触れても、確実に彼らは「歌って踊る文化」を持っている。おそらく、歌と踊りの中には人間の根源的なよろこびがあるのだろう、みたいな気持ちになっている。

4・演劇の稽古が面白い。

即興演劇の舞台役者をやっている女性と話をした。私は舞台に関してはまったくのど素人なのだけれど、演劇自体には興味がある。女性は心の底から演劇を愛していて、演劇について話している瞬間の彼女の瞳は思い切り輝いていた。なぜ、それほどまでに演劇に魅力を覚えるのかを尋ねてみた。

「たとえば、この前の稽古では『アニマルエクササイズ』というものをやって、これは自分の好きな動物を一匹選んで、次の稽古までにその動物の習性を調べてくる、みたいなものでした。私は『キリン』を選んで、実際に動物園まで足を運んで二時間くらいキリンを眺めていたのですが、キリンはまじで半端なくて、非常に幸せな二時間になりました」

「それで、実際に稽古の時は『ひたすらキリンになりきる』ということをしました。私は、いままで調べてきたキリンに自分自身を重ね合わせて、キリンになりきりました。すると、自分でもびっくりしたのですが、キリンの演技をしているときに言葉にならない多幸感を覚えて、ああ、自分はこんな気持ちになることができるんだ、みたいなことを思いました」

5・演劇の魅力は「自分を知ること」

ちょっと私の記憶が曖昧なために非常に乱雑な文章になってしまったけれど、このような話を聞いた。私は、あまりにもこの女性が潤った瞳で話すものだから、その姿に魅了されてしまった。彼女曰く、演劇の魅力のひとつは「自分を知る」ということにあるという。

たとえば赤ちゃんの演技をするにしても、自分はどこで恥ずかしさを覚えるのか、自分はどこに抵抗を覚えるのかを、逆に、自分は(赤ちゃんの演技をするということを通じて)こういう気持ちになることが出来たのか、みたいなことを獲得していくことが非常にたまらないのだと話してくれた。

6・これからはジャンルの境目がなくなる。

彼女の話を聞きながら、私は、ちょっと見当違いなことを考えていた。多分、これから、様々なジャンルの境目がなくなるような気がした。たとえば、演劇をやっているひとは「演劇だけをやっていれば良い」時代ではなくなり、料理をしたり、伝統工芸に触れたり、パソコンに詳しくなるということが、結果的に「演劇の作品に広い効果を及ぼす」のではないだろうか、みたいなことを思った。

言葉にすると当たり前のことだけれど、演劇やクラシック音楽などは、どうしても「それを好きなひとだけが楽しむもの」という、間口の狭い印象を受ける。演劇を楽しむひとは楽しむけれど、演劇を楽しまないひとは一生演劇に触れない人生を過ごす、みたいな温度差を感じることが多い。

しかし、本来であれば演劇は「誰もが楽しむことができるもの」であり、ある人は楽しめるけれど、ある人は楽しめないというものではないと思う。逆に言えば、音楽をやっているひとや、専門職をやっているひとや、普通の主婦でさえも『演劇から学べること』は無限にあるような気がした。

7・人生で一番感動した瞬間はいつか。

演劇についての話をしながら、人生で一番感動した瞬間はいつだろうか、みたいなことを考えていた。演劇をやっている彼女は、昔は台本芝居をやっていたのだけれど、いまでは即興(インプロ)に魅力を覚えるようになってきている自分の感覚の変化についての話をしてくれた。

「たまに、これは100回に一回とかしかないのですが、すべてのタイミングがピタっとあって、自分が全体に溶け出していくような感覚を覚えることがあるんです。自分と他人の境目が曖昧になるというか、自分が全部になるというか、そういう感覚を覚えることができた瞬間の中には言葉にならない感動があって、そこには全部があるんです。だから、私は即興(インプロ)をやっているのかもしれません」

8・人生で一番感動した瞬間の前夜。

彼女の話を聞きながら、私にとっての「人生で一番感動した瞬間はいつだろうか」と考えていた。そして、思い出したひとつのエピソードがある。高校一年生のとき、生まれて初めてロックバンドを友達と結成した時のことだ。私はギターを担当していて、他にはベースをやってくれた友達と、ドラムをやってくれた友達の三人で、確か「メスチソ(混血)」という名前のバンドを結成した。

私達は全員が初心者であったために、適当な楽譜を購買して、それぞれが「二週間後に控えたスタジオでの全体練習に備えて」各自でしっかりと練習してくることになった。私は練習をした。自分のパートを間違えないように、楽譜を見ないでもどうにか弾けるレベルまで練習をして、スタジオ入りの日がやってきた。

9・人生で一番感動した瞬間の当日。

私達は三人でスタジオに入った。準備が整い、ドラムの友達(本間君)が「いくよー」といった。そして、ワン、ツー、スリー、フォー、と適当にタイミングをとり、そして「いっせーのーせ!」という感じで、ギターと、ベースと、ドラムの三人が、同じタイミングで同じ音楽を奏で始めた。

多分、音楽をやっている人ならわかってもらえると思うのだけれど、この瞬間が、なんというかもう最高の瞬間だった。いままでは自分ひとりで練習していたものを、全体で奏でることはこれほどまでに気持ちがよいものなのかと、やべえ!超やべえ!」と完全なる快楽を覚えた。興奮した。これほどまでに気持ちの良いものがこの世の中にあったのか、みたいな気持ちになってしまった。

10・人生に必要なのは「ハイタッチ感」である。

演奏終了後、あまりにもやばかったものだから「やばいね…」とお互いにお互いの気持ちを確認し合った。これはもう、音楽を借りてセックスをしているようなものだと思った。そこに性別は関係ないのだと思った。私達三人は、心の中でハイタッチをした。思わずハイタッチをしてしまいたくなるような瞬間には、確実なよろこびがある。

多分、スポーツをやっている人ならわかってもらえると思うけれど、最高な人生とは「思わずハイタッチをしたくなる瞬間がどれだけあったか」みたいなものではかれるような、そんな気がした。スラムダンク桜木花道流川楓を思い出すまでもなく、思わず「いえーい!(どや)」とハイタッチをしてしまう、あの『ハイタッチ感』には隠し切れない瞬間の喜びと爆発が詰まっている。

高校一年生のあの瞬間から、10年以上の月日が流れた。年を取るということは大人になることだと思っていたけれど、まさか、これほどまでに『そのままいく』とは思わなかった。多分、ほとんどの大人たちは大人のふりをしているだけのこどもに過ぎないのだ。そういうことを思いました。


人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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