いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【HND-クアラルンプール】奇跡は余白に舞い込む。

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今日から五日間程度の間、マレーシアのクアラルンプールに滞在する。非常に有難い話になるのですが、日本在住の方から「マレーシアに興味があって行ってみたいと思っていたのですが、ひとりではちょっとビビってしまって…よろしかったら航空券代などは負担するので、一緒に行きませんか?」という連絡をいただいた。


わたしは二つ返事で「いきます」と答えた。暇人で良かったと思った。暇人といえば、わたしの友人でこのブログにも頻繁に登場する「ほっしー(通称・いばやの鉄砲玉)」という非常に魅力的な男性がいる。今回は、ほっしーが最近試した非常に興味深い実験的なアクションについて書き綴ります。


ほっしーの美学「お金は稼ぎたくない」

いばやの美学とほっしーの美学には相通じるところがある。それは「お金を稼ぎたくない、できることなら貰いたい、そして、次のひとにまわしたい」というもので、モノやサービスを売った対価を糧に自分の生活を維持する、みたいなスタイルに軽い違和感を覚えるようになってしまっている。


現在のほっしーは無職であり、なおかつ「稼ぎたくない」などと言っているものだから、多くの大人たちからは「そんなことを言っていないで働けよ!」的なリアクションを受けている。しかし、ほっしーは尋常ならざるタフネスさを兼ね添えているために、引き続き「稼がない日々」を過ごしている。

ほっしーに届いた依頼「アルバイトをやってくれない?」

ある日、ほっしーの元にひとつのお願いが届いた。ほっしーは無職だが、基本的なスペックが非常に高くてあらゆることを器用にこなし、それでいて人柄もズバ抜けて爽やかで人当たりも良いものだから、様々なひとから「ほっしー、ちょっと手伝ってよ」的な依頼が舞い込む。

今回、ほっしーの元に届いた依頼は(説明を省略するために若干の変更を加えてまとめると)「わたしは飲食店(歴史のある老舗!)をやっているんだけど、ちょっとランチの時間帯の人出が足りないから、ほっしー無職で時間があるならアルバイトをやってくれない?」的なものだった。

しかし、ほっしーには「稼ぎたくない(できることなら貰いたい)」という美学がある。そのために、ほっしーは自分の事情をしっかりと相手に伝えた。しかし、その伝え方(というか提案)が常軌を逸していた。

ほっしーの謎過ぎる提案「無給で働かせてください」

「ありがとうございます。このようなお話をいただけることは非常にうれしいです。しかし、ぼくには『稼ぎたくない』という非常に面倒臭い美学があるので、ここはひとつ、週に二回程度の昼間だけのアルバイトという形ではなく、この一週間の間、朝から晩まで毎日働く『完全無給の労働者』ということでやらせていただく、というのはいかがでしょうか」と。

驚いたことに、ほっしーは「お金は稼ぎたくない」という美学に従うために、無給で、しかも、要求された以上の仕事を勝手にやることにした。店長さんの許可もおり、そこからほっしーの「無給で一週間の間、朝から晩まで働く」日々がスタートしたのだけれど、これが面白い展開を迎えた。

なぜ、ほっしーがこのようなことをやろうと思ったのか。ほっしーに尋ねてみたところ「自分でもよくわからないのですが、ただでさえお金がない(今月末には車検も控えている)状態で、一週間という期間を無給で働いたら、自分がどんな気持ちになるのかに興味があったんです」とのこと。

ほっしーが獲得した「セフティネットの数々」

ほっしーの無給の日々ははじまった。そして、各種SNSから「今日から数日間、こちらの飲食店で無料で働かせていただくので、もしよかったら食べに来てください!☆彡」的な投稿をした。すると、それを見た多くの人達が「なんでそんなことをするの!?」とか「ほんとうにそんなことをするの!?」とか「バカなの!?」的な感覚で、実際に足を運んでくれるひとが大量に発生した。

皆、ほっしーが金を持っていないことを知っている。そのために、野菜などの食料を手土産に持って来てくれるひとがいたり、ほっしーの安否を確かめるために県外から足を運んでくれるひとたちや、他にも「困ったら我が家の部屋があいているから使ってね」的な声をかけてくれるひとまであらわれた。

ほっしー曰く「まるで自分のセフティネットが増えるような感覚を覚えました」とのこと。結果的に、一週間の間で100名近くのひとたちが、ほっしーの謎のアクションを実際に目撃するためにはるばるお店にまで足を運んでくれたという。おそらく、このようなことは『普通にアルバイトをしていただけ』では絶対に発生しなかった現象になる。皆、ほっしーという男の謎を確認(応援)したくなったのだ。

ほっしーの美学「できることなら貰いたい」

乱暴にまとめると、ほっしーが無給で一週間働いたことで、様々なメリット(?)が発生した。多勢の人々が足を運ぶことでお店の売上にも貢献し、ほっしー自身も「県外から足を運んでくれたひと」との再会を喜ぶ機会にも恵まれ、多様なセフティネットも獲得し、一緒に働いていたスタッフからも「また遊びに来てくださいね」と言われ、世間に対しても「ただでさえ常連が多い老舗なのに、若者のチャレンジを受け入れる素晴らしい器がある」という前向きな印象を与えた。

そして、最後の勤務を終えたほっしーは「ありがとうございました」とお店を去ろうとした。すると、飲食店を経営している社長が「数日間、ありがとう。これは給料じゃなくて、俺の気持ちだから」ということで、気持ちとしてのお金をくれた。

思い出して欲しいのだけれど、ほっしーは「お金を稼ぎたくない」のであって「お金が欲しくない」訳ではない。社長は言う。これは給料ではない。これは俺の気持ちなのだと。気持ちを貰ってほしいのだと。ほっしーの美学は「できることなら貰いたい」である。この瞬間、両者の思いは一致した。

ほっしーの魅力「何かをせずにはいられなくなる」

結果的に、ほっしーは「お金を稼ぐ」ことなく「お金を貰う」ことに成功した。成功した、みたいな書き方をすると「なんて計算高い奴だ!」と思われてしまうかもしれないけれど、ほっしーは決して「最終的に自分が得をすることを狙って無給で働く」ような男ではない。そんな狭量な男ではない。

純粋な気持ちで「こんなことをやったらどうなっちゃうのかな」という思いだけで真摯に働くほっしーを見て、心を打たれた店長が何かをせずにはいられなくなったのだと思う。もちろん、これは私の勝手な勘違いかもしれない。しかし、ほっしーには『何かをせずにはいられなくなる』人間的な魅力がある。

もしも、ほっしーから「最終的に得をしてやろう」的な態度が滲み出ていたら、きっと、多くの人達が店に駆けつけてくれるようなことも、野菜などの手土産を持参してくれることも、店長もこのようなアクションをすることはなかったと思う。

ほっしーの実感「自分は生かされている」

そして、このようなお金の貰い方をすることは、普通に働いて普通に給料をもらうときとは、まったく次元の異なる感覚を覚える。心の底から「ありがとうございます!」と言えるし、お金をもらえることが嬉しいし、何かこう『自分は生かされている』という手応えを生身で実感することができる。

ほっしーのチャレンジには、何か未来のヒントが詰まっているような気がした。自分の態度を率直に表現すること。そこに一切の濁りがないこと。自分から進んで損をすること。お金を稼ごうとしないこと。できることなら貰いたいと思うこと。そして、それを次のひとにまわしていくということ。

人間は合理性や損得勘定だけではない、謎の原理に従って動き出す瞬間がある。どうしてそうなるのかはわからないけれど、そうなってしまうということがたくさんある。「ああしなければ」とか「こうしなければ」という閉鎖的な思い込みの枠を超えて、自分がやってみたいと思った感情に反射神経だけで従った時に、自分の想像の遥か斜め上の出来事に触れることができる、そんな瞬間が確実にある。


まとめ・「奇跡は余白に舞い込む」

素晴らしい経験を耳にすることができた。きっと、奇跡は余白に舞い込むのだろう。何かをやめると、そこに出来たスペースに思いもかけなかった奇跡が転がり込んできたりする。何かをやめたり捨てる瞬間はこわいけれど、勇気を出して捨てること(そして、きっとうまくいくと信じること)が大事なんだろうなと思いました。


人生は続く。


坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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