いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

「どうすれば食べていけるか」ではなく「どうすれば張り裂けるほどの歓びを味わえるか」を軸にして生きる。

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私はibaya《いばや》という名前の合同会社をやっている。いやばとは《とにかくやばいことだけをやる》会社であり、「やばい」を逆にしただけの「いばや」を社名に採用した。通常であれば、事業内容が決まってから会社を設立するのが一般的な起業の流れだと思う。しかし、設立当初のいばやには事業内容など皆無だった。確定していたのは「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプトのみで、そういう箱(とにかくやばいことだけをやる場所)があれば、あとは自然発生的に勝手に面白くなると睨んでいた。もちろん、周囲の人間からは散々なことを言われたけれども完全に無視して設立した。

いばやには3つの仮説がある。

1・自分たちがやばいと思うことをやっていれば、それを面白がってくれるやばい人たちが現れて、化学反応が起きて、結果とんでもないわっしょい状態になる(であろう)

2・いばやのやることが未来に必要なものであれば、それを見た人たちが「こいつらを死なせてはいけない」と思って必ず救いの手を差し伸べてくれるはずだ。しかし、いばやのやることが未来にとって必要なものでなければ、私たちは誰の目にも止まらず静かに滅び去る(であろう)

3・宇宙の摂理として、新しいことをやっている人は死なない(と思う)

厳しい人が見たら怒りそうな3つの仮説と共にいばやは誕生した。これが2013年8月で、2014年12月現在もいばやはご健在であり、現在も死なずに生きている。いばやをはじめてから痛感したことは幾つもあって、これらのすべてを言葉にまとめることは難しい。重要なのは「いばやも坂爪圭吾も、今も死なずに生きていること」であり、設立当初のコンセプトはあながち間違っていなかったということだ。

私は、いばやをはじめる前は各種イベントを企画・運営しながら自身の生計を立てていた。自分で料理教室を主宰したり愚かなイベントを主催しては参加者の皆様に喜んでもらえるように企画や準備に邁進していたが、こうした活動を続けながらどうしても拭い去ることができない違和感が、自分の中で日に日に増幅していくのを感じていた。そして、私が抱える違和感が見事に爆発し、いばやが誕生した。

私の中での違和感は以下の3つ。

1・「生活のために生きるのは虚しい」ということ。
2・「お客様満足なんてクソだ!」ということ。
3・「自分が楽しませたいのは自分だ」ということ。

私はイベントを開催している限り、金銭的には安定した生活を送ることができた。これが諸悪の根源だった。生活のために生きるのは虚しい。経済的な安定はあっても、そこには精神的な安定がなかった。私は「参加者の皆様に楽しんでもらいたい」と思っていたが、これがいけなかった。私が抱える違和感の正体はここにあり、私が誰よりも楽しませたいと思っていたのは(他の誰でもない)自分自身なのだと痛感した。そして、今までの自分の生き方の先に「自分が思うハッピーはない!」と確信してしまって、今までの活動を一旦すべて辞めることを決意して、 代わりにいばやを開始させた。

今までは「参加者が100楽しんでくれたら、自分もようやく80楽しめる」ような生き方をしていた。しかし、これからは「まずは自分自身を100楽しませること。そうすれば、意外とそれを見ている人も80位は楽しんでくれるはずだ」という仮説に自分自身を賭けることにした。周りがどう思うかはさておき、少なくとも自分自身が100楽しむことが出来れば、そこには清々しさが発生する。まずは自分自身を最大限に楽しませること。そして、その楽しさを周囲の人間にも伝染させていくこと。本当の意味で自分が満足できる人生を送りたいと願うなら、このような生き方にシフトしなければ無理だと痛感した。

言い換えるならば、私は「どうすれば食べていけるか」ではなく「どうすれば張り裂けるほどの歓びを味わえるか」を軸にして生きることに決めた。この生き方が無理でこの先野垂れ死んでしまうことになったとしても、それは、それまでの人生だったということであり、それまでの人間だったということだ。私はいばやの仮説を信じることに決めた。これで死んでしまうならば仕方がないと腹を括った。そして、今も無事に生きている。


私は「生活のために生きるのは虚しい」と思っている。どうすれば食べていけるかを考えているだけでは、自分の心が震える感動のシーンに直面することは難しい。時には、損得感情を超えて「生きていることを実感する瞬間」がなければ、本当の意味でこの瞬間瞬間を生きているとは思えない。


いばやを設立した当初は、まさか今の私が「家のない生活」を送っていたり「ブログのアクセスが1日2万件を超える」ことや「不倫肯定論を書いて批判やバッシングの嵐に悶えている」ことも「多くの著名人と出会う」ことも「1日50件の賛否両論メールが届くようになる」ことも「全国各地からイベント出演依頼(?)が来ている」状態も、何ひとつ予想することは出来なかった。予測不可能性こそ人生の醍醐味であり、私はいまも生きている。


自分の心が「これはすごい!」「これはやばい!」「これは楽しい!」と思うことをやっていれば、それを面白がってくれるやばい人たちが現れて、化学反応が起きて、結果とんでもないわっしょい状態になる。この仮説はあながち間違っていなかった。そして、いばやが未来にとって必要なことをやっていればいばやは死なず、いばやが未来にとって必要でもなんでもないことをはじめてしまえば、いばやは軽やかに死に絶えるのであろう。


今でも変わらず私の胸の中にあるのは「自分が楽しませたいのは、他の誰でもない自分自身なんだ」ということであり、この思いだけには常に忠実でありたいと思っている。あとは野となれ山となれであり、(できることなら死にたくはないが)それで死んでしまうのならばそれまでの人生だったということなのだろう。「どうすれば食べていけるか」ではなく「どうすれば張り裂けるほどの歓びを味わえるか」を軸にして生きる。そして、最期はみんな笑えたらベストだ。



冬がはじまる。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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