いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

死ぬ覚悟を決めれば、人間は美しく生きることができる。ー 成功した思い出よりも失敗した思い出の方が人間を磨く。

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「三年後に起業しようと思っている」と話す男性に最近やたら出会う。私には、どうしてそれが「今」ではなくて「三年後」なのかが分からない。三年後にどうなっていたいのかよりも「そのために、今、何をしているのか」の方が圧倒的に大事だと思うのだが、その人から『俺は必ずやる』という気概を感じることは少なく、この瞬間の責任を三年後に先延ばししているだけに見える。

やった人の話は面白いけれど、やりたいと思っている人の話はつまらない。どうして自分が『体験』したことではなく、自分が『想像』しているだけの話をするのだろうか。実体験から学んだ教訓にはその人だけの熱量が宿り、必ず何か聴く人の心を動かす魔力が宿る。言葉だけで信用を勝ち取れると思ったら甘い。信じられるのは行動だけで、私は「あてにならない未来」の話に興味はない。誤解されると困るが、私は決して「夢や理想を語るのは無価値」と言いたい訳ではない。夢や目標を持つことは素晴らしいことで、人間を突き動かす原動力になる。問題は「原動力の使い方」であり、実感が伴っていない理想から発生する熱量は極めて少ない。乱暴な表現をすれば「この人は褒めてもらいたいだけなのかな?立派ですねと言ってもらいたいだけなのかな?」と感じる。

「死ぬ覚悟を決めれば、人間は自由に生きることができる」とガンジーが言っていた。この言葉を目にした時、私は、私が自由でいられる理由がわかった。「とにかくやばいことだけをやる」合同会社いばやを一年前に始め、現在は家のない生活を行いながら全国を流転し、自分が感じたことを出来るだけ正直にブログやSNSやリアルの場を通じて発信している。今は死なずに生きていることが出来ているが、これから先に人生の保証は何もない。しかし、私が自由でいられるのは「保証があるから」などではなく、「この生き方が無理なら死んでしまっても構わない」と腹を括っているからなのだと思った。「自分がやりたいように生きる。周囲に合わせるのではなく、自分を出して全存在を打ち出していく。それで駄目ならその程度の人生だったのだろう。自分には、自分を殺して生きることが出来ない。自分を殺して他人に好かれる位なら、死んでしまっても構わない」と思っている。そして、死にたくないから今を(全存在を賭けて)思い切り生き抜こうとしている


やった人の話は面白いけれど、やりたいと思っている人の話はつまらない。その理由はここにある。この瞬間の責任を先延ばしにしている人間からは、響いてくるものが何もない。安全地帯からどれだけ何かを言われても、私は何を受け取ったら良いのかがわからない。そして、「死ぬ覚悟」を決めている人間の言葉には圧倒的な説得力が宿る。ある種の動物的な生命力が全体に漲り、自分の身体を張って獲得してきた教訓には、その人の血肉が通っていく。言葉に生命力が宿っていく。

死ぬ覚悟を決めれば、人間は美しく生きることが出来る。

誰にでも失敗を恐れる感情がある。傷つくことを恐れる気持ちは、新しい何かに挑戦する気持ちを鈍らせる。しかし、無傷で大成した人はこの世に皆無で、傷つきまくった人から人間的な輝きを増して飛躍するようにこの世の中は出来ている。無傷は無挑戦の証明であり、すべての痛みは成長痛であり、成長痛は成長中であり、何も痛みを感じないならそれは死んでいるのと同じである。

最高な人生とは、最高だと思える瞬間の積み重ねに過ぎない。言葉も未来もあてにはならない。成功することもあれば失敗することもある。失敗する方が、成功することよりもずっと多いかもしれない。そして、失敗することや傷つくことを恐れる気持ちは、新しい何かに挑戦する気持ちを鈍らせる。しかし、何よりも忘れてはいけないのは「生きているのは今だけで、いつか私たちは傷つくことさえも出来なくなる日が必ず訪れる」ということだ。人は必ず死ぬ。誰もがタイムリミットを抱えて生きていて、いつか終わりの瞬間が必ず訪れる。無傷で大成した人間はこの世に皆無で、成功した思い出よりも失敗した思い出の方が人間を磨く自分の選択に責任を持とう。死ぬ覚悟を決めれば、人間は美しく生きることが出来る。自由とは「この瞬間の責任」である。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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