いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

躁鬱病を越えて。 - 完治まで3年かかると言われた病気が半年で治った時の体験記 -

私は5年ほど前に統合失調症躁鬱病椎間板ヘルニアを併発して、半年間の寝たきり生活を送っていた。精神科にも通っていたが、医師が言うには「あなたは重症だから完治するまで3年はかかる。ゆっくり様子を見ていきましょう」ということだった。結論から言うと、私はその指示を無視して半年間で通院を止め、その後、何の問題もなく完治した。医師の言う事を鵜呑みにしていたら一体どうなっていたのだろうかと思うと、今でも不思議な気持ちになる。

私は「完治するまで3年かかる」と言われた。しかし、半年間で通院を止めた。通院を止めて1,2ヶ月は不調が続いたが、その後は無事に完治した。今でも薬は飲んでいない。通院中は、とにかく医師に「あなたは重症だ」と言われた。処方される薬も毎月増え、最初は1錠、その次の月は2錠、その次は3錠、そして最終的には当初の四倍の薬を処方されていた。私は「私は重症なのだ」と見事に思い込まされていた。薬漬けの日常を送っていた。

もちろん個人差があると思うが、私は当時の私の判断(通院を止めるという決断)に拍手喝采を贈りたいと思っている。通院を止めた理由は単純だった。「精神科は金がかかる」からだ。親に負担をかけたくなかった。当時の私に生活力は皆無だったから、そのすべてを親に頼って生きていた。親に迷惑をかけているという罪悪感は辛かった。薬を飲んでも飲まなくてもどうせ辛さは続くのだから、私は「薬を飲まないつらさ」を選んだ。これで親への負担は減る。すると、結果として病気も治った。一石二鳥である。そして私は不思議に思った。医師が私に言った「完治するまで3年はかかる」というアドバイスは、果たして何だったのだろうか。

誤解しないで欲しいが、私は私の担当医や現在の医療制度を否定したいわけじゃない。私が伝えたいのは、完治に3年かかると言われた病気でも、半年間程度で治ってしまう場合もあるということだ。私は医師に重症だと言われた。事実、私もそのように思っていた。毎日死ぬことばかりを考えていたし、知り合いに会ってもまるで楽しいとは思えず、夜道を泣きながら歩いたりもしたし、過食で一ヶ月で20キロも太ったり、大好きだった音楽を聞いても心は何も反応しなくなっていて、部屋の窓から道を歩く高齢者を眺めては「よくもその年まで自殺しないで生きてこれたな」と思っていた。それくらいには病んでいた。生きていることが罰ゲームだと思っていたし、自分は無能で無力で無価値だと信じ切っていた。すべての人の記憶の中から私を消してしまえたらどんなに楽になれるだろうかと考えたりもした。

だがしかし、そんな私でも無事に完治することができたし、3年かかるといわれた病気も通院を止めて普通に完治した。この現象は一体何なのだろうか。私が特別な存在なのだろうか。それとも、これは誰にでも当てはまる出来事なのだろうか。私は私の身体を通じて体験したことしか分からない。ただ、当時の私の「通院を止める」という判断には拍手喝采を贈りたいと思っている。「当時の自分まじでグッジョブ!」と思っている。これは一体何なのだろうか。

私が精神病で苦しんでいた時期、面白い体験をした。

私と同時期に、同じように鬱病的なもので社会生活をドロップアウトしていた友人が2人いた。どちらも女性だった。普通の人なら仕事をしている時間でも、彼女らとならいつでも電話が出来た。私は頻繁にこの二人と電話をした。誰と話しても楽しいと思えなかった当時の私でも、この人たちと会話をしている時には爆笑していた。理由は単純で、自分たちの病気をネタにして会話が出来たからだ。同じ温度感で、自分たちの「やばさ」や「社会不適合っぷり」を語り合っては笑っていた。「私たちは無価値だよね」「親への申し訳なさがやばい」「社会復帰できる予感が皆無だよね」などとどちらかが言えば、「わかるー!」という感じになって盛り上がった。「俺たちはこれからどうなっていくんだろうね」ということを、同じ温度感で話すことができた。

絶望の底にいたような時期でも、夜道を泣きながら徘徊していた時期でも、毎日死ぬことばかり考えていたような時期でも、確実に誰かと笑いあっていた瞬間があった。これは一体何なのだろうか。医師には完治に3年かかるといわれた。私もそう思っていた。親に負担をかけたくないという思いで通院を止めたら、結果として病気も治ってしまった。もしも通院を続けていたら私の今の人生は確実に違ったものになっていただろう。これは一体何なのだろうか。

この体験から学べる教訓があるとすれば以下の3つだ。

①必ずしも専門家の意見が絶対という訳ではない。あっている場合もあれば、あっていない場合もある。当時の私は「私の人生は終わった」と思っていた。だがしかし、今も私はこうして元気に続いている。私の思い込みは外れていた。絶対ということは少ない。ただの思い込みである場合が多い。

②死ぬほど苦しい現実の最中でも、自分の状態を同じ温度感で話せる人がいる限りそれは「ネタ化」できる。最大の苦しみは「自分をネタ化出来ない」ことであり、自分を笑い飛ばせる環境があればどんな状態でも笑う事が出来るのかもしれない。自分を笑い飛ばす「余裕」ではなく、自分を笑い飛ばす「環境」が用意されることで、人は勝手に元気になる。

③生きている限り、何度でもやり直せる。

病床に伏していたとき、私を支えてくれたひとつの言葉がある。陳腐な言葉で、通常であればそれほど響くことはなかったワードだけれど、当時の私には強く響いた。今でもその言葉を思い出す。それはとてもシンプルなものだった。「悲しみも苦しみも、いつか必ず舞台で活かせる時が来る」という言葉だ。

今の私には自分が体験したことを自分の言葉で語ることしかできない。繋げていきたいと思う。自分のこれからの人生の中でどれだけ活かしていくことができるだろうか。自分が体験した悲しみや苦しみが多ければ多いほど、他人に対して寛容になれるというのは真実だ。繋げていきたいと思う。結論。人生は何が起こるか分からない。自分の思い込みなど外れている場合がほとんどだ。人生はコントロールできない。生きよう。生きている限り、何度でもやり直せる。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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