いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

これがわたしの内臓です。

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ミラノを経由してヴェネツィアにいる。ミユさんと合流する。安心感が半端ないのか、毎日すやすや眠れる。昨日は18時間寝た。ミユさんと初対面を果たしたのは今年の1月。まだ二ヶ月も経っていない。一番最初、ミユさんは、わたしに「圭吾さんには欠乏感を感じる。そこに、すごい男を感じる」と言ってくれた。普通、そこまでの欠乏感を感じたまま、生きることはできない。ごまかしたり、見て見ないふりをするのが普通だと思うけど、圭吾さんはそのまま生きているからすごい、と。

 

 

おおまかなスケジュール


3月20日 移動(ヴェネツィア〜ロンドン)
3月21日~25日 FREE!@ロンドン
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン

3月27日~4月2日 FREE!@ロンドン
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪【詳細決まり次第更新】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

欠落。

音楽をつくっていると、昔の記憶が蘇る。そういえば、俺は、昔から「俺はここにいちゃいけない」「俺は生きていちゃいけない」という感覚があったな。そう思った。できることならば、俺は、ここにいたい。しかし、それが許されることはない。時折、ここにいてもいいよと言ってくれる人物や、そう言ってくれる空間と出会えた時に、特別に「ここにいてもいい」という許可がおりる。わたしの存在は、常に「他者の許可が必要なもの」であり、許可があればそこにいることが許されるが、許可がない限り「自分はここにいちゃいけない」「自分は生きていちゃいけない」という感覚に支配をされて、その場所を離れる。結果、常に、ひとりになる。

 

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ミユさんとはじめてあった時、俺たちは一緒に生きた方がいいと思った。一緒に生きれば、お互いの良い部分を引き出し会える最高の関係になれる、と、そう思った。しかし、思っただけでなにも行動に移さなかった。「行動に移す」という発想がなかったのだ。それくらい、無意識のうちに「俺はひとりで生きる」ということが前提条件になっていた。その時、一緒にいた保科さんが「それならまたすぐに会いに行きましょう!来週とか!」と、提案をした。わたしは、驚愕した。大げさに聞こえるかもしれないが、会いたいなら、また、会いに行ってもいいのだ。「生きていればまた会えるさ」などと遠い日の再会を夢みるのではなく、もし、本当に相手が真に重要な存在ならば、自分から「会いたい」と伝えて、そして、実際に会いに行ってしまってもいいのだ。と、そんな、当たり前のことに今更気づいたのだ。

 

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今まで、誰かに「会いたい」なんて言ったことはなかった。会いたい気持ちは常にあった。しかし、そう言うことを自分に禁じていた。常に受け身だった。誰かから「会いたい」と言われて、はじめて動き出すのが自分だった。我々三人はヴェネツィアで再会を果たし、そして、ミユさんの提案で『バンドを結成する』ことになった。音楽をやるということさえも、私は、ミユさんの存在に助けられた。自分が一番やりたいことは、いつの間にか奥の方に引っ込めていた自分を見た。が、ミユさんが「音楽をやりましょう!」と提案をしてくれたことで、はじめて、自分に音楽をやる権利が与えられた。そして、いま、わたしは1日1曲音楽を作る日々を過ごしている。からっぽだった人間に、生きる意味が与えられた充実感を覚えている。

 

「snows」「ワンダーランド」「Before Ash」

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これがわたしの内臓です。

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音楽を通じて、差し出したいものは「真珠」なのか「内臓」なのか。普通、きらきらひかる真珠の方が、多くの人々に愛されるだろうし、万人ウケをするのだろう。しかし、わたしは、音楽を通じて「これがわたしの内臓です」と言いたい気持ちがある。生命の塊をボン!とその場において、あとは、好きに判断してください、というような感覚。決して綺麗なだけじゃない、決して居心地のよいだけじゃない、が、その生々しさを通じて「頭の中から離れなくなる」「生きることの根源を問う」「しばらく立ち上がれなくなる」ような、そういう音楽をつくりたいと思う。

 

内臓を差し出す瞬間は恐怖だ。真珠の方がいいに決まっている。しかし、真珠なんか差し出してたまるか、そんなものは偽物だ、などと思う自分がいる。見た目は完全に真珠風でも、どこかに「内臓」の香りがするものを作りたい。真珠なだけなら、自分がやる意味はない。なぜ、こう感じるのだろう。なぜ、内臓を差し出したいなどと思うのだろう。いま、この瞬間も、体内の臓器は「生きていることを訴えている」ように活動を続けている。心臓の鼓動は肉体を叩き、おい、おい、おい、おい、と、生命を主張する。生々しいものをつくりたいと思う、一番の動機。それは、自分自身が『生々しいものである』からだ。人間は、真珠より、内臓に近い。

 

我々は、人間であり、自然である。火山がある。火山は時折噴火をする。自然の一番怖いところは、人間の理屈を超えるところだ。東日本大震災を思い出せばわかる。自然災害は無慈悲にあらゆるものを奪い去る。しかし、それでも、人間は自然を愛することをやめない。あれだけ噴火の危機が叫ばれている富士山の山麓でも、暮らしを続ける人々はたくさんいる。たとえ、近日中に富士山が噴火する危険性を伝えられても、彼らは「そこで死ぬ」ことを選ぶだろう。そして、自分が死ぬまでの間、(ともすると自分の命を奪うものになるかもしれない)富士山を愛し、慈しみながら、富士山と共に生きるのだろう。わたしは、ここに、自然の大きさを見る。我々ひとりひとりが自然ならば、自分の中に火山もあるし、自分の中に津波も起きる。自分が自分であることを、まるごとひっくるめて許していきたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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