いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

涙が出そうになるくらい生きろ。

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菊名駅前のコロラドにいる。三日徹夜。夜型になった。生活力は皆無。食事もジャンキーなものを取りたい。昨夜はあきとが焼きそばを作ってくれた。作詞に集中。たった一言を生み出すために13時間くらいかかって「これじゃ確実に破滅する」と思った。寝食を忘れて頬がこけた。ごちゃまぜの家にいてよかった。誰かが作った食事を分け与えてもらうことで、あ、そういえば何も食べていなかったことを思い出して正気を取り戻す。自分に深く潜る作業は、自分ひとりでやると確実に死ぬ。 

 

 

おおまかなスケジュール


3月6日 凪のつけ麺を食べたい@渋谷
3月7日~15日 FREE!【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日以降 FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

音楽は物質を通過する。

下品なおばさんの話し声が店内に蠢いている。慌ててイヤホンを耳に差し込む。下品な声の人間が苦手だ。声を聞くだけで内臓がねじれる苦痛を覚える。声と音楽は似ている。似ていると言うか同じだ。東京を歩くときは強めの音楽を好む。ロックとか。だが、熱海の家にいるときにわたしはロックをまったく聴かない。多分、聞く必要がないのだと思う。音楽は防御だ。満員電車でイヤホンをさしこむのは、自分を守る抵抗だと思う。人間は楽器だ。音楽は物質を通過する。祭りや舞踊で太鼓を打ち鳴らすのは、音を通じて「なにかを振り落とす」効果があるからだ。不協和音は内臓をゆがめ、シンプルで美しく芯のあるものは心身のバランスを整える。

 

note.mu

 

東京でジビエ料理をご馳走してくれたK様と様々な話をした。印象的だったのは「時間は流れない。流れているのは自分たちの方だ」というもの。音楽は時間に乗っている。絵や本は、読み手のペースで読み進めることができる。絵の場合、一枚の作品を二秒で通過する人もいれば、一時間以上も立ち止まって眺める人もいる。しかし、音楽の場合は「(それが三分間の作品ならば)誰にも等しく三分間」だ。音楽は時間に乗っている。が、実は時間という概念は幻想で流れているものは自分たちなら、音楽は『人間に乗っている』ものになる。時間は『ここ』にしかない。K様は言う。これをひとに話すのは初めてだが、私は、特定の建築物に行くと音楽を感じる。空間が溶けると音楽になる。音楽は、時間や空間の制約を受けない。

 

note.mu


仮に、少女が描かれた絵があるとする。絵の中で『少女は永遠に少女』だ。劣化するものは紙や額だけであり、少女が年老いることはない。肉体は劣化する。しかし、時間が劣化することはない。劣化するのは紙だけ。時間は流れない。こういう類の話をわたしはとても面白いと感じる。K様は言った。私は美しいものや面白いものを見たり触れたりすることが好きだ。坂爪さんには『ひとつ手前の世界』を感じる。私は、それが表現されていないものに感動や興奮を覚えることができない。

 

わたり文庫『窓際のトットちゃん』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、黒柳徹子著作『窓際のトットちゃん』です。黒柳徹子さんは言いました。老人とは、気分が動かなくなった人のことを言う。次々と何かをしたいという気持ちでいられる人は、いくつになっても、たとえ体が動かなくても「老人」と呼ばなくていいですよね。と。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

リトミックの種類は、まだたくさんあったけど、とにかく、校長先生は、子供たちの、生まれつきもっている素質を、どう、周りの大人達が、損なわないで、大きくしてやれるか、ということを、いつも考えていた。

「文字と教育に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?

古池や 蛙とびこむ 水の音…池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、芭蕉のみでは、なかったろうに、湯気たぎる鉄瓶を見た者、林檎の落ちるのを見た者は、古今東西に於て、ワット一人、ニュートン一人というわけでは、あるまいに。

世に恐るべきは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず…の類である」

などと嘆いていた校長先生が、きっと、いい結果を生むに違いないと授業に入れたものだった。そして、トットちゃんは、イサドラ・ダンカン風に、はだしで走りまわり、とびまわって、それが、授業だなんて、すごくうれしいと思っていた。

黒柳徹子『窓際のトットちゃん』【講談社文庫】

 

涙が出そうになるくらい生きろ。

音楽が生まれる。わたしはそこに言葉を与える。音楽は言葉を求めている。そして、言葉は音楽を求めている。私の仕事は、音楽が求めている言葉を(音楽の素質を損なうことなく)的確に忠実に与えることだ。その逆もある。この作業はおそろしくしんどい。が、しんどいという小さな円の外側に『よろこび』というどでかい大きな円がある。しんどささえも、よろこびであると感じる。周辺にいる人間をとっつかまえて、わたしは(わたしから生まれた)音楽を聴かせる。半ば強制的に。そして「この音楽からあなたが感じた印象を教えて欲しい」と尋ねる。聴かされた人間はその印象を答える。場合によっては、歌詞を考えさせられることもある。

 

昨夜、よしえさんと作詞活動をした。音楽を聴かせ、浮かんでくるイメージを聞き取り、過去の記憶を遡りながら音楽に言葉を与えていた。その途中、よしえさんは涙を流した。音楽のイメージは「いちばん大事なものがなんだかわかって、これからすべてが変わること、そのよろこびと、もう戻れないさみしさ」という感じだった。偶然出会ったものが、自分をまったく別の人間に変えてしまうこと。昔の自分には戻れないこと。なくてもいいと思っていたけれど、あったらこんなにもうれしいものがあるということ。人類共通の記憶がある。そこにリーチをしたいと思う。

 

涙はどこから来るのだろうか。涙の源泉はどこにあるのだろうか。わからない。鳥の声を美しいと感じるその理由はわからないが、わからないまま「鳥の声を美しいと思う」ことはできる。それは、テレビのリモコンがどのような構造で働いているのかはわからないまま、リモコンを「使いこなすことができる」わたしたちの日常と同じだ。なにかを見たとき、なにかに触れたとき、たまらない気持ちになって涙が流れそうになることがある。涙はどこから来るのだろうか。わからない。なにもわからないわたしは、今日も、わからないものと戯れている。その時間が、たまらなく面白いこと、たまらなく愛しいこと、たまらなく物悲しいことだけはわかる。 

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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