いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

10個の偽物より、ひとつの本物を。

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東京から広島まで自転車で行く。静岡県三島市まで来た。三日目の今日は静岡駅を目指す。宿はない。熱海から函南に抜ける峠が地獄で、汗が冷えて全身が凍えた。手先が痺れて、タイピングが器用にできない。道中、隙あらば出会う方々におはなを届けたい。予算は三万円。食費をけちるためにナッツ類をカバンに詰めて、ちょいちょいつまみながら走る。自転車旅のようなものは未経験なので、いろいろと新鮮で勉強になる。素足で出発をしたことと、手袋をしないで出発をしたことは失敗だった(あとで軍手を買う)。

 

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銀座で生かされる。

初対面のひとと話すとき、わたしが重要視をしているのは「(過去の業績とか、そのひとの人脈や肩書きや知識なんかより)謙虚か、傲慢か」なのだと思う。先日、銀座で食事会に招かれた。食事会の席には、大概よくわからなひとがいる。なんだかそんな感じのひととなんだかそんな感じになり、わたしはなにも話せなくなった。そのひとが「普段はなにをしているのですか?」とわたしに問う。その声は、腹から出ているものではなく、頭から出ているものだなと思った。わたしは「(このひとに説明をすることは多分無理だから)なにもしていません」と答える。途端に会話が詰まり、場の空気感は最悪になる。

 

稀に、高級な食事をご馳走していただくことがある。が、正直に言えば美味しいと思ったことはあまりない。この金があれば一輪挿しが50本買えるとか、そういうことを考えてしまうわたしは貧乏性だ。もう、今世はこういう場所に足を運んではいけないのだと思う。食事会の空気が耐えられなくて、わたしは(これでもくらえ!的な感覚で)一万円札を置いて店を出ようとした。すると、主催者の方が「坂爪さんはゲストなのでお金はいりません」と言う。わたしは「いえいえ、いろいろと食べたので」と答える。主催者の方は「大丈夫ですよ」と言う。わたしは「そうですか…それではお言葉に甘えます!」と答えて店を出る。

 

一万円札を格好つけて出したものの、所持金三万円で広島まで行こうとしている人間にとっての一万円はでかい。正直、出さずに済んだことがうれしかった。そして「おれはこの程度の人間なんだな」と思った。気の合わないひとともうまくやりとりすることがおとななら、自分は死ぬまでこどもなのだと思う。傲慢なひとを見るとひねり潰したくなる。その後、いつもお世話になっている方が「自転車で広島まで行くんですね!これ、緊急時に使ってください!」と、はるばる銀座まで救援物資を届けてくれた。最高に嬉しかった。そして、ひねり潰したいとか思ってしまっていたおのれの醜さを恥じた。

 

引き寄せよりも『押し寄せ』

引き寄せの法則というものがあるけれど、いばや界隈では「押し寄せの法則」を採用している。引き寄せるとか言う前に自らを積極的に押し寄せ、そこで起こる事象を楽しむ。別に頼まれてもいないのに広島まで低予算で自転車で向かうのは、多分、なにかをすればなにかが起こるという予測不可能性をくらいたいからなのだと思う。これから数日間、宿もなにもきまっていない。雨の日はどうすればいいのかという知恵もない。ただ、やったことのないことをやることを通じて「自分の限界の幅」をわずかでも拡張できたらいいなと思う。

 

こんなことを言うと「おまえはゲンキンなやつだな」と思われちゃうかもしれないけれど、わたしは『ものをくれるひと』が好きだ。ごちゃまぜの家をやっていてもそうだけど、差し入れを持って来てくれるひとの存在は爆裂的にありがたい。ものをもらえることも嬉しいけれど、そこに込められた気持ちがうれしいのだ。どうしたって、こういう生き方(?)をしていると「坂爪さん!なにか答えを教えてください!」みたいな感じで、くれくれモードのひとと出会う機会は多い。そんななか、なにかを与えようとしてくれるひとにある『自分から先になにかを与えようとする姿勢』が好きなのだと思う。

 

そして、安直かもしれないけれど「なにかをもらうと、こっちからもなにかをあげたくなっちゃう」的な気持ちになる。ものを贈ると言うことは、多分、人間関係のはじまりである。なにかを一方的に受けているばかりでは、そのサークルの中に加わることはできない。自分にできることを差し出すこと。その「贈り物」を通じて、自分が生きたいと思う世の中のサークルに加わること。私の場合、それが『おはな』であり『言葉』であり『自分自身』だったりするのだと思う。自分にできることを差し出すこと。そして、相手から差し出されたものをしっかりと受け取ること。それが『生きる』ということなのかもしれない(というのは言い過ぎかもしれない。もしかしたら全然違うかもしれない)。

 

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わたり文庫『カラフル』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、森絵都著作『カラフル』です。こちらの本は、内容の素晴らしさもさることながら、わたしの手元に届くまでの流れも素晴らしいものでした(いただいた手紙をご紹介させていただきます!!)。どうしてなのでしょうか、いま、この記事を読んでいるあなた(そう、あなた!)に猛烈に感謝をしたくなりました。諸々の流れの中で、無限の網の目の中で、さかつめけいごは本日も生かされています。これもひとえに、あなたの存在があってこそ【「わたしはあなたの代わりに生きていて、あなたはわたしの代わりに生きている」的なこと】なのだと思います。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

 

坂爪さんへ

 

こんにちは、◯◯と申します。

 

いつも坂爪さんのブログを読んで、坂爪さんが紡ぐ言葉に癒されたり、気づかされたり勇気をもらったりしています。

 

今回は本を一冊同封させていただきました。11月1日の記事で「死ぬまでに何度も読み直したいと思う本」の話をされていて、私だったら何の本だろうと考えた時に、すぐに森絵都さんの「カラフル」が思いうかびました。この本を読んで心が少しかるくなったのと同時に、前向きになれて、まわりの人達に感謝したい気持ちになりました。

 

大人が読んでも楽しめますが、主人公と同年代の中高生に読んでほしい本です。黄色い表紙もとても好きです。誰かに読んでもらいたいと思い同封しました。それから、趣味で作っているしおりとブローチも同封させていただきました。もし、使ってくださる方がいましたら、その方にお譲りします。よろしくお願いいたします。体調不良が続いているそうでとても心配です。はやく治りますように。

 

これからも坂爪さんのブログや活動を楽しみにしています。

 

少しですが切手も同封させていただきました。使っていただけるとうれしいです。それでは失礼いたします。

 

2017・11・6 ◯◯より。

 

10個の偽物より、ひとつの本物を。

10個の偽物より、ひとつの本物を持ちたいと思う。どうでもいい10人の知り合いよりも、ひとりの友達を大事にしたいと思う。わたしがブログを書く理由、わたしがおはなを配る理由、わたしが予測不可能性に賭ける理由、多分、それは「そこから発生するコミュニケーションを楽しみたいから」なのだと思う。10個の偽物より、ひとつの本物を持ちたいと思う。高級料理についてあれこれウダウダ言ったのも、わたしにとって重要なのは人間のこころであり、話題のメインが料理のことばかりになってしまって「こころの部分」から離れて行くことが嫌なだけなのかもしれない。

 

前回の記事で「何もしないで死ぬことも偉業」ということを書いた。生きていることが自然であれば、死ぬこともまた同時に自然である、だから死ぬことを否定的に考える必要はないのではないだろうかということを書いた。あらゆる恐れがなくなったとき、ひとは愛することしかしなくなるという言葉を聞いた。最大の恐れは『死』だと思う。逆に言えば、死ぬことに対する恐怖が消えた時、生きることは結構気軽な旅路になる。生きろ【生きなければいけない】と言われると人生に対する緊張感が生まれる。生きてもいいし、死んでもいい【生きても死んでも大丈夫】と言われると、ふんわりと安らぐ。それなりに安らぐと「せっかく生まれて来たのだから(そして勝手に死ぬのだから)、生きている時間は、生きている時間を楽しもう」みたいな気持ちになる。

 

この記事を読んでくれた方からメールが届いた(最後に引用させていただきます)。私は、多分、一対一の関わりを大事にしたいのだと思う。誰かといる時のあなたではなく、誰ともいないときのあなた、常識とか世間体とか社会的な役割を全部取っ払った後に残る「あなた自身」に興味があり、その部分にこそコミュニケートをしたいのだと思う。裸の付き合いを望むなら、まずは、自分から裸になることだ。わたしは、このブログを通じて「わたしはこういう人間です」ということを綴る。そして、自分が自分であることを面白がってくれるひととの間に発生するコミュニケーションを糧に、やれ「峠の坂道が厳しい」だの「汗が冷えて凍える」だの「宿がなくて死んじゃう」だの「そろそろナッツ類がなくなりそう」だの時折グハグハ悶えながら、生きていく【押し寄せていく】のだろうなと思う。

 

 

圭吾さん
 
こんばんは!
濃いめの緑茶などすすりながら過ごすにはうってつけの夜ですね。
のんびりと養生楽しんでいらっしゃるようで何よりです。
 
改めまして…
先日は曇天の体調のなかお時間をつくっていただいて本当にありがとうございました。
同じ空間で同じ釜の飯を食べられたこともしみじみ嬉しかったです。
 
今日のブログも。
わたしにぴったりなタイミングで届きました。
なんでだろう?すごくほっとしてしまって。
そして圭吾さんにメールしたくなってこうして徒然と綴っております。
 
圭吾さんがブログに書いてくれたこと(くれたというのも変な表現ですが…)
いつもわたしの胸の真ん中にあることです。
 
息子の出産。
2011年の震災を挟むように両親の他界。
いのちというものにこれまでにないくらい真剣に向き合った日々を経て、
死というものは忌むものではないどころか祝福のようなものでさえあると。
ごくごく自然な営みである、とすんなりと受け入れている自分がいます。
 
死なないで、と相手に願うことはあくまでも自分の都合であるのだな、と。
死んでしまいたいくらいキツくて重いものを抱えているひとに
それでも死なずにがんばれとは言えない自分がいます。
あ、わたしも自殺斡旋とか尊厳死の是非とかを主張したいわけではなく、
人生の終わり方についても本人が主役であって欲しいと思うだけなのです。
 
産後まもなくの両親の他界や離婚。
ひとから見れば決して幸せそうとは言えないわたしの人生だけど、
涙することはあっても不思議と不運だと嘆くことはなかった気がします。
うん。思うように生きてきた。
 
幼い頃から漠然と、
 
″何ものも妨げず、何ものにも妨げられず。
すべてのものがのびやかであれ″
 
という想いを抱いていて、それがわたしの世界観なのだと思うのですが、
あきとさんの言葉の意味、わたしなりにわかる気がします。
 
″何ものにも妨げられない″ こと
多分これが多くの人が持つ自由のイメージかな?と感じているのですが、
それだけじゃ足りない。
 
″何ものも妨げない″
相手への敬意と尊重がなければ自由は成り立たないのだと。そう思ってます。
 
あきとさんにそう伝えたら「違う」って言われてしまうかもですが…笑
 
本題のわたり文庫の件、
「借りの哲学」ぜひぜひ読んでみたいです。
わたしもこの世界に本当の意味で自分のものってひとつもない気がしているんです。
手元にこの本がやってきてくれたら大切に読みます。ご縁があるといいな。
 
風が冷たい夜です。
あたたかくしてゆっくりとお過ごしてください。
それでは、素敵な時間を♪ 
 
◯◯◯◯

 

https://www.instagram.com/p/BbSk_jEjwtf/

あたひ。。(熱海の朝日)

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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