いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

人生とは、純度の勝負である。

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初対面の女性から「キスをしてください!」と言われたことははじめてだった。トークイベントなどに出演をした後、参加者の方から「握手をしてください!」とか「ハグをしてください!」などと言っていただけることは頻繁にある。こういう瞬間はうれしい。握手でもハグでも、こんな自分でもよろしければいくらでもいたします!という気持ちになる。だがしかし、先日、ある女性の方とお会いをした時の帰り際に「キスをしてもいいですか?」とまっすぐに問われた。わたしは、え、こんなことって現実にあるの???と、なんだか非常にドキマギしてしまってうっはーーーーみたいなことになってしまった。一言で言うと照れた。「これは問われている!」と思った。こういう時に、女性のまっすぐさには完敗をする(そして乾杯をする。嫌な気持ちにはなることはない)。

 

わたしは自分自身をフリー素材として開放している。基本的にはあらゆる要望に応えていきたいスタンスで生きているのだけれど、先日、ある女性の方から「1日彼氏になってください」という連絡が届いた。わたしは「よし、やりましょう!何かご希望の内容などはありますか??」と軽い気持ちで尋ねましたところ、なんと、その女性からは「一緒にデートをして欲しいとか、話を聞いて欲しいとか、そういうことではなくて(こんなことを言うのはとっても恥ずかしいことなのですが)一緒にいちゃいちゃしたいです。そして、そのままエッチをしたいです」という返信が届いた。わたしは強い衝撃を受けた後に「これは問われている…!!!」と思った。はい、この出来事がどのような結末を迎えたのかはまたの機会のお楽しじみ・・・(ブログ記事には書けない内容はイベント出演時などに【個人が特定されることのない範囲内で】お話します!)。

 

見え透いた明日が一番くだらない。 

わたしは家を開放している。鍵もかけていないし、玄関の一番目立つところには「みんなの財布」などと言って財布をデカデカと掲げている。家に遊びに来てくれた一般の方や郵便局員さんや配達員さんなど、家の玄関を開けるたびにざわざわしているんじゃないのかなと思う。これはわたしなりの問いで、もしも、この世の中に「誰でも自由に出し入れをしてもいいですよ」的な財布が登場した時に、果たしてどのような現象が起こるのかを実際に試して見たいという思いから生まれた。そんなことをしたら盗まれちゃうんじゃないですかなどと心配をしていただけることもあるけれど、みんなの財布を置いてから一年余りの月日が流れたいま、この財布からお金が一円もなくなったことは一回もない(なんならちょっと増えている)。 

 

昨日、東京の国立市で開催されたイベントに参加をしてくれた方が「さかつめさんはいろいろと開放をしているけれど、どうしてそんなにひとを信頼できるのですか」と尋ねてくれた。わたしは「非常に良い問いをありがとうございます!」と答えた。多分、わたしはひとを信頼しているというよりも「これをやったらどうなっちゃうのだろう??」という謎の好奇心がまず先にあって、あとは野となれ山となれの精神でとりあえずなんでもやっちゃう教の信者なのだと思う。盗まれたのなら盗まれたで「盗まれちゃった!」とネタになる。こういうことを話すと「このひとは馬鹿なのかな」という目で見られることが多いけれど、多分、馬鹿なのだと思う。

 

家を開放していると危ない目に遭うことはないのですかと問われる。わたしは「いまのところありません」と答える。そして、あ、そういえば朝起きた時に知らないひと(女性)が隣にいたことはありますと答えた。そんなことを言うと「え!それって怖くないですか!その女性はそこでなにをしていたのですか??」と尋ねられたので、わたしは「ボクのことを見ていました」と答えた。CHEMISTRYの「PIECES OF A  DREAM」という曲の中に月がボクたちを見ているという歌詞があるけれど、わたしの場合は「知らない女のひとがボクを見ている」ということになる(全然どうでもいい話だけれど、わたしはこの曲の歌詞にある「見え透いた明日が一番くだらない」という部分が好きです)。このような出来事が続くと、それなりに腹が据わる。生きているといろいろなことがあるよねという気持ちになり、ちょっとやそっとじゃ動揺をしない精神になる(しかしながら色恋沙汰にはまだまだ弱いです!)。

 

じっとしていられるか選手権。 

今日は恵比寿で開催されるイベントに登壇をして、明日は静岡県掛川市で開催されるイベントに登壇をした後に、浜松市在住の方から「ごはんを食べに来てください!」という連絡をいただいたので浜松市に行く。20日から25日までの予定は皆無で、浜松界隈でも浜松界隈以外でも声がかかる限り何処にでも行きたいと思っている。わたしは多動症なので、 熱海の自宅でじっとしていることができない。本当は、最近「オフグリッド」と呼ばれるものに興味があって熱海の家にも取り入れたいと思っているのだけれど、自分ひとりで取り組む気力がわたしにはない。あと、クォンタムタッチという「ひとのカラダに触るだけでひとを癒す」という手法を最近覚えた(覚えたというのはまっ赤な嘘で、それにまつわる本を読んだ時に「これは俺でもいけそうな気がする!」と思った)ので、誰かに試したい【誰かに試してもらいたい】と思っているけれど被験者がいない。

 

ここら辺から余談になるのですが、調子が良いときのわたしには「(会話を交わすことや同じ空間を共有することで)ひとのこころをセンターに戻す」才能があると思う。ややや、わかります、わかります、こんなことを言うと調子に乗るなと怒られてしまいそうだけれど、多分、そんな能力が自分にはあるんじゃないのかななんて思っている(ただし調子が良いときに限る)。昨日も「さかつめさんは温泉みたいですね」とか「声を聞いているだけで気持ちよかったです」とか「小動物を眺めているみたいで、いつまでも見ていたいと思いました」などと言ってもらえた。わたしは三人兄弟の末っ子として生まれたので、こんな風に言ってもらえると簡単に調子に乗る。わたしがサンシャイン池崎さんだったら「イエエエエエエエエエエエエイ!!!」などと叫び出すのだと思う。

 

【スケジュール】坂爪圭吾

 

こちらがわたしのスケジュールになります。「FREE!」と書かれている箇所や空欄は何も予定がありませんので、何かありましたらいつでもお気軽にお声かけください。先日、神奈川県横浜市でオフグリッド生活をされているサトウチカさんにお会いしたのですが、チカさんがあまりにも魅力的過ぎたので「俺もオフグリッドを生活に取り入れることでチカさんにお近づきになりたい!」と思ったことが、オフグリッドに強い関心を抱いた最大の経緯になります。26日(日)には熱海の自宅でわたり食堂【0円食堂】を開催するので、料理が好きな方や、食べることが好きな方や、ちょっと人前でなにかを試してみたいことがある方や、オフグリッド技術をお持ちの方(実は小さな家【折り畳んで運ぶこともできる三畳以下の小さな家】を予算五万円でつくりたいと思っているのですが、その能力がないので助っ人を探しています)など、どなたでもお気軽に遊びにいらしてください。

 

【イベント詳細】わたり食堂【0円食堂】

 

『日々のことば』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、マザーテレサ著作『日々のことば』です。最近のブログ記事においてマザーテレサの言葉の引用が多かったのは、何を隠そう、この本を読みまくっていたからです。365日、その日その日の言葉が書かれているので、普段は本を読まない方にも読みやすい一冊になります。ちなみに、わたしの誕生日でもあります4月7日(もうすぐですね!)には、以下のような言葉が書かれていました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

4月7日

 

どんな国であれ、信仰のあるところでは、

わたしたちが働くのに困ったことは、まったくありません。

わたしたちは、すべての人を神の子どもと考えています。

みんな、わたしたちの兄弟、姉妹です。

わたしたちは深い尊敬をもって接します。

わたしたちの仕事は、

クリスチャンも、ノンクリスチャンも同じに、

彼らをいっそう勇気づけます。

心からあふれる愛の働きはどんなものであっても、

人々を神に近づけるものなのです。

 

マザーテレサ『日々のことば』【女子パウロ会】

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫 

 

人生とは、純度の勝負である。

わたしの誕生日にこのような言葉が書かれていたことはうれしい。わたしも、わたしの両親も特定の信仰を持っていた訳ではないけれど、多分、わたしはある種の信仰を持っているのだと思う。それは、先述をしたように「あとは野となれ山となれの精神でとりあえずなんでもやっちゃう教」の信者ということであり、付け加えて言うなれば「自分の純度を高めていれば、多分、そのひとは絶対に死なないであろう教」の信者でもある。純度という言葉はあまりにも抽象的だけれど、しかし、人間には「純度」としか呼ぶことのできない部分が確実にあると思う【純度とは「濁りのない」ことであり、濁りとは「嘘とか見栄とか驕り」から生まれるものだと思う】。

 

うまく言葉にすることができないのだけれど、わたしみたいな人間が生きていることができているのは、わたしの存在を発見してくれたひとが「お前の生き方は面白いから、もっと生きろ」的な意味合いを込めて後ろからサポートをしてくれることによって成り立っているように感じる。逆に言えば、わたしは自分ひとりの力だけではとてもじゃないけれど生きることはできない。みなさまの支えがあってこその自分であり、生きているのではなく「生かされている」のだと感じている。この感覚は、自分は自分の力だけで生きているのだと思い上がっていた20代前半には感じることのできなかった「うれしさ」や「安心感」や「ある種のつながり【ブラザー感】」を与えてくれる。

 

どうすれば自分の純度を高めることができるのか。わたしにはまだその答えはわからない。ただ、好きなひとには好きだということ、ハグをしたくなった時は「ハグをしたいです!」と言うこと(時にはキスも!)。自分の真っ直ぐな気持ちを恐れずに出すという、ただ、それだけのことが自分の純度を高めることにつながるのだと思う。時には嫌われてしまうこともあるかもしれない。でも、嫌われてしまったら、嫌われてしまったで仕方がないのだ。嫌われることがあったとしても、自分はこういう人間ですということをまっすぐに表明するひとの姿には、ある種の清々しさが宿る。逆に、嫌われないためにやっていること(愛想笑いとか一般的な社交辞令とか)の方が、周囲の顰蹙や不快感を引き出すものだ。勇気を出すということは、自分を出すということだ。生きているのはこの瞬間だけ、明日にはもう、今日の自分を取り戻すことはできないのだから、わたしは「今日の自分を出し尽くしていきたい」と思う。

 

 

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人生は続く。

 

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