ヨガマットで眠ると身体が如実に快活になると言い張る女性と出会い、男女三人で熱海の自宅でヨガマットを敷いて眠りに落ちた所、意外と寝れた。という訳で、何があってもいいように携帯用のヨガマットを携えつつ、いま、台湾にいる。今回の遠征に同行している女性は、宿にベッドがあるにも関わらず「これ、いらない!」とマットレスをわざわざ外して、木の板の上に直接ヨガマットを敷いて眠っている。一見すると、ただの苦行に見えるけれど、本人はすこぶる楽しそうだ。おそらく、すべての物事は苦行だと思えば苦行になるし、娯楽だと思えば娯楽になる。要は、つまりはよく言うあれで、本人の捉え方次第になるのだろう。
日本を逃げる。
最近の自分は、雪国出身の人間独特の「(冬は雪で閉ざされてしまう故に)自分と向き合いすぎちゃう系」の時間を過ごしてしまったために、何かが閉じて行くのを感じていた。環境を言い訳にするのは恥ずかしいことだけれど、今回ばかりは「すべてを他人のせいにしてやろう!日本という環境のせいにしてやろう!」ということで、こころを落ち着かせるために(台湾までの往復航空券が一万円程度だったので)日本を逃げた。
日本在住の比較的フットワークの軽い友人の皆様に「台湾で一緒に仕事をしましょう!(俺はなにもやることはないけど)」と声をかけた所、男女3名が仲間になり、4人で台湾の高雄や屏東や琉球郷界隈をうろうろしている。こういう時に、一緒に行動を共にしてくれる友人の存在は大きい。夜市を巡り、適当な料理を選んで、酒を飲みたいひとは酒を飲みながら、暑い国で、熱い飯を食うだけで元気になる。
人混みは嫌いなはずなのに、そこに生命力のようなものを感じるからなのだろうか、アジアの喧騒に触れると元気になる。台湾南部の人柄は非常に柔和で、温暖な気候独特のテキトー具合も調度よく、何もかもを環境のせいばかりにもしていられないけれど「それでもやっぱり環境の影響ってあるよね!」という気持ちになる。
客を無視してこどもをあやすおばさま。
胡椒餅40元(約150円)
「今夜はぼくが奢りますよ!」と、巨大な海老や牡蠣などの豪華な海鮮料理を威勢良く注文していた友人のオーダーがうまく通らず、テーブルの上には結果的に人数分の3倍相当の料理が並んで、彼は破産をした。
当たり前のことだけれど、日本の常識は日本での常識でしかないのだということを、日本を離れることで実感する。自分が悩んでいることや、自分が直面している問題のことなど、まるで悩みもしなければ問題にさえならない国の人達が、この星の上にはたくさんいる。いまいる場所が世界のすべてではないのだということを、身体を通じて実感することができる。
イベント情報
【5月24日@TOKYO】坂爪圭吾さんお話会
【5月28日@ENOSHIMA】わたり喫茶@江の島海岸!
【6月8日@CHIANGMAI】海外いばやトーク inタイ,チェンマイpayaka
【7月9日@OSAKA】ルキノオフィシャルブログ
呼ばれる限り、あらゆるイベントに出演するようにしている。私がイベントに出演する理由は、多分、主張したいことがあるからではなく、有益な何かを広めたいからでもなく、「友達が欲しいから」なのだと思う。尊敬するとか尊敬されるとかではない、ただ、そこに行かなければ出会うことのなかったたったひとりの『誰か』と出会えた時に、自分のこころはうれしさを覚える。友達とは、常に行動を共にする仲間のことではなく「離れていても、そのひとのことを思うだけで元気になる」ひとのことだ。だからなのだろうか、自分が話をすることよりも、来てくれたひとの話を聞きたいと思う。興味のある方は、是非、足を運んでみてください。
『インド人の頭ん中』
今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、冬野花著作『インド人の頭ん中』です。来月、インドに足を運ぶにあたって「これを読むといいですよ!」と贈呈していただいた、いろいろなことがどうでもよくなるインドの内実(?)を伺い知ることが出来る一冊になります。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には24時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、香川県にわたりました ※※※
インド人の入浴は朝なので、朝シャワーをした後にプージャ(神様に捧げる儀式)をすることが多い。また、プージャのときにホラ貝を吹く人も多く、住宅地では、どこからともなく、ホラ貝の音が聞こえてくるのが、朝の情景だ。毎日、ホラ貝を吹くのは、肺にもいいそうである。忙しい現代人の中には、通勤の車の中でマントラなどをCDやテープで聞く人も非常に多い。タクシーでも、朝一番に乗ると、そういったテープをかけている場合が多いのだが、テープにとどまらず、車の中でお香までたいてしまうところが、さすがインド。灰が車内に落ちても、へーちゃらなので、客はすごい煙に巻かれ、マントラを聞きながら、朝もやの中を移動することになる。しかし、いざ日本に帰ると、懐かしく思い出すのは、インドのそんな朝の情景なのである。冬野花「インド人の頭ん中(中経の文庫)」
【参考HP】わたり食堂・わたり文庫
もっと遊べ。もっと狂え。
自分の中に神様がいるとしたら、いま、神様は何を言っているのだろうかと考えることがある。私の中には弱い部分もあれば強い部分もあり、繊細な部分もあれば大胆な部分もある。最近の自分は、繊細な部分にばかり目がいってしまっていて、一方の極に偏り過ぎているように感じていた。そして、マイゴッドは「もっと遊べ。もっと狂え」と言っているのではないだろうかと、そんなことを考えていた。
こんなことをしてしまったら自分はダメになってしまうんじゃないだろうかと思うことの先に、多分、新しい自分はいる。自分の純度を高める為には、蛇が脱皮を繰り返すように、古い自分を脱ぎ捨てる必要がある。大切なことは、繊細さと、大胆さだ。大袈裟に言えば「もっと狂え」ということだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月21日
透明になりたいと思う。そして、自分の純度を高めるためには、蛇が脱皮を繰り返すように、古い自分を捨て去る必要があるのだと思う。繊細さに偏ることなく、大胆さに偏ることなく、ここから先を行ってしまうと自分の頭がおかしくなってしまうと感じるギリギリの際を、私は、歩いていたいのだ。良いことも、悪いことも、様々な出来事のシャワーを浴びながら、いちいちダメージをくらっては血を流しつつ、その血を見ては「ああ、自分は生きているのだなあ」と感じたがっているみたいだ。
自分を殺して人に好かれるよりも、自分を出して人に嫌われる方がずっといい。不器用でも、無様でも、一生懸命に生きた記憶が思い出になる。自信や能力があるからやるのではなく、自信も能力もなくてもやる、やりたいと思ったからやる、きっと、それだけで人間は清々しく生きることができる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月3日
繊細な部分が前面に出ている時は、罵倒の声に傷つくだけではなく、賞賛の声にも傷ついてしまうこともある。誉められる程に、さみしくなる。また、わかってはもらえなかったなあとひとりになる。自分は誉められたくて生きている訳ではないのだと、ただ、友達が欲しかっただけなのだと、そういうことを思ってしまう。しかし、真の男になるためには、他人に期待をする前に、徹底的に自分に期待をすることだ。何が起きても、誰に何を言われても、自分だけは自分を絶対に見離さないこと、いまの自分に守れる宝は、多分、そのくらいだ。
自由でありたいと思うならば、自分を批判してくるひとの「批判する自由」も認めないといけない。批判に屈するでもなく、認めた上で、話は聞くけど言うことは聞かない。ごめん、やっぱり俺はこうだわという感じで(悲壮感を漂わせることなく明朗に)自分の道を歩けばいいのだと思いました。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月19日
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://goo.gl/s6F9wE