いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き方の是非を問うことよりも。

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福岡県を経由して大分市内にはいったものの、宿泊を予定していた場所との相性が合わず「誠に申し訳ありませんが、私は、ここにいられるほど強くはないみたいです」という断絶魔をあげ、真っ暗闇の大分市内を3時間程度ぶらついた後にカプセルホテルに漂着した。

画像は、愛媛県在住の方から送っていただいたものになる。自分の目の前に広がる風景の写真をやり取りできる相手がいることはうれしい。現在の大分市内は土砂降りの大荒れで、これから、熊本在住の方々がはるばる大分市内まで車で迎えに来てくれることになっている。熊本に足を運んだ後は大阪に向かい、大阪の予定を終えた後は熱海の自宅に戻る予定でいる。

答えよりも「応え」

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先日、警固神社で開催されたイベントには50名近くものひとたちが集まってくれた。頻繁に受ける質問に「何が転機になったのですか?」とか「どうすれば勇気を持てますか?」とか「不安になることはないのですか?」というものがある。私は、転機とか勇気とか不安という言葉を、あまり意識して行動を起こしたことがない。正直に言えば、そんなことはどうでもいいんじゃないだろうかと思う。

大人は、転機とか勇気とか不安とか成長とかいう言葉が大好きで、転機があるからできた、勇気があるからできた、不安を乗り越えることができたから成長した、みたいな物語を好む。だけど、こどもたちはそんな言葉を飛び越えて、懲りることのない体当たりを続けながら、泣きながら、笑いながら、平気で逞しくなっていく。転機とか勇気とか不安とか成長とか、そういう類の言葉は「振り向いた時、気がつけば勝手に身についていたもの」に過ぎず、目的にするようなものではないと思う。


大切なことは、答えではなく「応え」だと思う。日々に答えを求めるのではなく、日々の問いに真摯に応えようとすることの中に、その姿に、そのひと自身の光は宿るのだと思う。答えがあるからやれたのではなく、答えはないけどやる、やりたいと思ったからやる、自分の内側から湧き出してくる静かな衝動に「応える」姿に、結果として宿る(周囲から見ると宿っているように映る)ものが、勇気や成長や自信と呼ばれるものになるのだと思う。

いまを生きることしかできない弱さ。

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私は、過去に大学を辞めている。最大の理由は「ここにいたら自分がダメになる気がしたから」という非常に後ろ向きなものであり、大学を辞めてでもやりたいと思う何かがあった訳ではない。大学を辞めると告げた時、周囲のひとからは「もったいない」とか「親に迷惑をかける」とか「逃げているだけだ」とか「これからどうするつもりなんだ」とか、他にも、様々なことを言われた記憶がある。


大分の家を飛び出した時、私は、大学を辞めた当時のことを思い出していた。連続する移動を続ける私は、どこか行きたい場所があるから積極的に移動をする訳ではなく、ここにいることができないから、ここにいたら自分はダメになってしまうから、移動を続けているだけなのではないだろうかという疑問が脳裏をよぎり、この疑問は、自分の腑に落ちていった。


いまを生きることができるのは強さではなく、いまを生きることしかできない弱さに、私は支えられているのだと思う。弱さは「このままでは自分がダメになる」という危険信号を頻繁に発して、私に、移動することを促す。ここにいたら、ここにいた時間の分だけ、ここにいるひとたちのことを嫌いになってしまう。自分と自分が苦手とする空間は混ざり合い、自分で自分を護ることができなくなってしまう。できるだけ早く、自分を殺してしまうことよりも早く、いまいる場所を移動することを促す。

良寛の生きかた』

今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、松本市著作『ヘタな人生論より良寛の生きかた【河出文庫】』です。タイトルは微妙ですが、自らを大愚と名乗り、生涯無一物で生きた良寛和尚の入門書としては非常に読み易い一冊になります。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

形見とて何残すらむ春は花
夏ほととぎす秋は紅葉ば(『良寛全歌集』一〇五九)

訳)わたしが亡くなった後の思い出の品として、残せるものは何もない。しかし、春は梅や桜の花が咲き、夏はホトトギスの鳴き声がある。秋はもみじの葉がひらひらと散る。わたしの死後も自然はなお美しい。これがただ、わたしがこの世に残す形見になってくれるだろう。


生き方の是非を問うことよりも。

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俺はいったい何をやっているのだろうと思うことがある。自分で好き好んで「誰にでも会います」などとオープンにしておきながら、行き着いた先でボロボロになったり勝手に孤独を感じたり夜道を3時間歩きながら和田アキ子あの鐘を鳴らすのはあなた(「あなたには希望の匂いがする」の歌詞が秀逸!)」を道路のど真ん中で歌いながら、自分を励ましたりしている。


ただ、このような生き方をする人間にでさえ、自然は分け隔てなく(時に絶妙なタイミングで)様々な恩恵を与えてくれる。夜道を歩いていた時、東京から一通のメールが届いた。自分には何もないと感じている時、自分はダメだなあと感じている時、自然の素晴らしさ、音楽の美しさ、ひとの優しさは身に染みる。緊張していた何かが緩み、ああ、自分はこういうものに支えられてきたのだということを取り戻す。


自分で「どうにかしなきゃ!」と肩肘を張ってしまうこともあるけれど、人生の大半は「【自分の力を超えた所で】どうにかなってしまう」ものなのだと思う。生き方に答えはないのだから、きっと、生き方に間違いもないのだ。それならば、自分の生き方の是非を問うことよりも、自分の生き方の眼前に広がる風光明媚な瞬間を、しっかりと捉えていきたいと思う。



初めまして。
Facebookでフォローさせていただいてます。
○○と申します。
いつもブログを拝見していて、感じたことをお伝えしたくなるのですが、ふと、思い立ってメールさせていただいてます。

坂爪さんのブログを読むと、いつも、「生きてる」って思います。
坂爪さんも、私も。
坂爪さんの言葉は、坂爪さんのものだけれど、私のものの時もあります。
そういう時、私は
「こういう風に感じ、考えるのは私だけじゃなかった」
と嬉しく思うし
「その感じ、考えをこう表現できるのはすごい」
とも思います。
そして、そう感じながら坂爪さんのブログを読んでいる人は、きっと他にもいて、それを思うと、なんだかにやりと不思議な気持ちになったりもします。

今日の東京は少し冷たい雨が降っています。
坂爪さんがいらっしゃるところは、どんなお天気なのでしょうか。

これからもブログ、楽しみにしています。
坂爪さんの生き様、楽しみにしています。
私も、今日も明日も生きていきます。


○○○○○


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人生は続く。

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