讃められるために生きている訳じゃない。
1・「自分みたいになれ」とは思わない。
自分らしくという言葉が、昔から苦手だった。社会的に歓迎される部分だけが許容される、明るさの牢獄に閉じ込められるような感覚を覚えていた。多分、自分らしさを大切にするほど、自分自身からは遠く離れていく。自分らしさを大切にするほど、自分らしさを大切にするたくさんのひとたちと同じになる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月19日
2・私は「触媒」でありたい。
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。何かをしなければいけないという罪悪感に駆られている時間は辛いけれど、その時期を超えた先には、前よりも透明で、前よりも強い、そして、前よりも揺るぎのなくなっている自分がいるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月22日
3・自分の宝を互いに掘り合う。
真実の響きはきっと、そのひとが言葉にしたことではなく、そのひとが言葉にすることのできなかった部分に宿るものだと思う。言っている(書いている)ことだけではなく「そのひとが言い切れなかった(書き切れなかった)部分」にまで寄り添おうとすることを、思いやりと呼ぶのかもしれない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月17日
4・自分の中にある「尊い部分」の声を聞くこと。
ひとつの事がうまくいかなかったからといって、すべてがダメになる訳じゃない。ひとりに嫌われたからといって、すべてのひとに嫌われた訳じゃない。ひとと同じであることが、自分を磨り減らすことだけが人生じゃない。レールを外れても、大地は残る。 pic.twitter.com/cNAF0yymM7
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月15日
5・鏡は、濁りの少ない方がいい。
生きる気力を失った時、
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月16日
・ものをつくる
・身体を動かす
・自然に触れる
これに、強く支えられました。
本気で死にたいと思ってから、始めて生きられるようになるのかもしれない - 人生リセット読本〜Life Reset Text〜 https://t.co/R5NDLZuBv2
6・私は、まだ自分の生き方に名前を与えていない。
無理をするということは、まるで自分を雑巾のように扱うことで、最後の一滴が出なくなるまで、絞り出して、絞り出して、最後には絞りカスになってしまうまで自分を苦しく締め付けてしまう。きっと、純粋な幸福感や動機は『絞り出すものではなく、溢れ出すもの』なんじゃないのかな、と思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月9日
7・自分以上も、以下もない。
素晴らしいことを言っているはずなのに、何も胸に響いてこない言葉がある。多分、言葉はその人の生き様と密接に繋がっていて、言葉に生き方が追いついていない時、聞くひとの心には何も届かない。自分を大きく見せるでもなく、自分を小さく見せるでもなく、ただ、等身大の言葉で話すことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月7日
8・「無」に賭ける。
自分を好きになれない代わりに、誰かを好きになろうとするひとがいる。自分のことを考えられない代わりに、職場の同僚、恋人、家族や友達のことを常に気にするひとがいる。でも、まずは、自分なのだと思う。自分の足で立たなければ、多分、真の人間関係をはじめることはできないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月23日
9・自分みたいになるな。
皆が、意味に進む中で無意味に進み、価値に進む中で無価値に進み、利益に進む中で無利益に進み、所有に進む中で無所有に進み、自己に進む中で無自己に進み、強さに進む中で弱さに進み、賢者に群がる中で愚者を貫き、有益に生きる中で無駄に死ぬ。無駄に賭ける。無駄に生きて、無駄に消える。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月25日
『村に火をつけ、白痴になれ』
私のすべては唯屈従です。人は私をおとなしいとほめてくれます。やさしいとほめてくれます。私がどんなに苦しんでいるかも知らないでね。私はそれを聞くといやな気持ちです。ですけど不思議にも私はますますおとなしくならざるを得ません。やさしくならずにはいられません。
私には1日だって、今日こそ自分の日だと思って、幸福を感じた日は一日もありません。私は私のかぶっている殻をいやだいやだと思いながらそれにかじりついて、それにいじめられながら死ぬのです。私にはいつまでもその殻がつきまといます。それに身動きがとれないのです。
あなたは何にも拘束されない強者として活きてください。それだけがお願いです。屈従ということは、本当に自覚ある者のやることじゃありません。私はあなたの熱情と勇気とに信頼してこのことをお願いします。忘れないでください。他人に讃められるということは何にもならないのです。自分の血を絞り肉をそいでさえいれば人は皆よろこびます。ほめます。ほめられることが生きがいのあることでないということを忘れないでください。何人でも執着を持ってはいけません。ただ自身に対してだけは全ての執着を集めてからみつけてお置きなさい。私のいうことはそれだけです。私は、もう何にも考えません。 ー 村に火をつけ、白痴になれ【岩波書店】
10・讃められるために生きている訳じゃない。
いま、この瞬間に、喜びをもってやれることを実際にやってしまうこと。自分の胸を高鳴らせるものに出逢った時は、時期を選ばず、場所を選ばず、結果に対する執着を振り払って、そのままの姿で突き進むこと。閉塞感や停滞感を突破するものは「俺はやった」時に感じる清々しさ、潔さだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月25日