歩き出す前が、一番疲れている。
チェンマイを経由して、ラオスのルアンパパーンに来た。金欠を理由に、チェンマイ旧市街からチェンマイ空港まで徒歩一時間程度を歩き、約一時間のフライトを経て、ルアンパパーン空港から市街地まで徒歩一時間程度を歩いた。飛行機には飛行機の、車には車の、徒歩には徒歩の風景がある。メコン川に沈む夕日が綺麗だった。
最近では、様々な場所を徒歩で移動するようになっている。行動範囲に限りはあるものの、現地の人達の暮らしや、戯れる子供たちや、犬や、猫や、眼前に開けた空を眺めているだけでも、エネルギーが漲って来る。文字通り、自分の足で歩くということ。たったこれだけのことが、自分自身をその土地に馴染ませるばかりか、忘れていた何かを取り戻すことができる。
ルアンパパーンの托鉢僧。
ルアンパパーンの市街地に到着し、予約をしていたホテルに荷物を降ろしたのが夜の19時頃。値段とは裏腹に豪華な室内に気分を良くした私は、ホテルの中をうろついていた。無料の洗濯機や無料のドリンクコーナーもあり、屋上のテラス席からは綺麗な三日月を眺めることができる。ラオスの夜は、日本の初夏の夜のように過ごしやすい気候で、今夜はここで静かに読書でもしていようかなとも思ったものの、ふと、思い立って夜の市場に足を向けた。
レストランや土産物屋や幾つもの屋台がひしめく中に、露天の雑貨屋に並んでいた、托鉢僧のデザインの小物に目が止まった。オレンジ色の袈裟を来て、ごく少数で、限りなく少ない荷物と共に、前に、前に、足を進める托鉢僧の後ろ姿に、勝手なシンパシーを覚えてしまった。
移動の多い生活をしているために、長距離を徒歩で移動する機会は頻繁にある。正直に言えば辛さを覚える中でも、これもある種のトレーニングだと自分の背中を押してみたり、無心になることを試みたり、ゴールではなく踏み出す一歩だけに集中したり、好きな歌を歌ったり、好きなひとを思い出したり、うつむきがちになる視線を「これではいけない!」と前に向け、空を仰ぎ、自分で自分を励ますことで乗り越えてきた。
歩き出す前が、一番疲れている。
昔、何かで「歩き出す前が、一番疲れている」という言葉を読んだ。もしも、私がホテルを離れずにナイトマーケットにも行くことがなければ、この、ルアンパパーンの僧侶と出会うこともできなかった。歩き出す前は億劫に感じることでも、歩き出せば、実際に行動を起こしてしまえば、吹き抜ける風や、自分を鼓舞してくれる様々な何かと出会うことができる。この「何か」は、頭で考えては勝手に磨耗していただけの自分の疲労を爽やかに、軽やかに、吹き飛ばしてくれる。
いま、私は、移動を続ける日々の中にいる。しかし、私は、自分を旅人だとは思えない。ひとに会い、ひとと話し、喜捨を受け、お布施を受け、別れを告げ、出逢いを元に、先に進む。先に進むが、何処にも行かない。私は、常に、途上にいる。明日の身もわからない。ただ、流れている。ただ、遍歴をしている。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。ー 鴨長明「方丈記」
6月25日(土)に日本【福岡】に戻ることが決まったので、この日から、一週間程度「喜捨JAPAN@福岡遍歴」をやることになりました。基本的には、会いたいと言ってくれるひとと会い、話したいと言ってくれるひとと話す(何もなければひたすら歩く)数日間になります。坂爪圭吾との面会(?)をご希望される方がいらっしゃいましたら、ブログ末尾の連絡先よりご連絡ください。詳しい日程などは、下記リンク先より随時更新いたします。
【内容詳細】喜捨japan@九州遍歴
絞り出すではなく、溢れ出す。
数日前にタイのチェンマイで開催されたイベントには、バンコクやムンバイやマレーシアや日本からも遊びに来てくれた人達がいた。マレーシアから来てくれた女性は、行くかどうかを物凄い悩んだ挙句、やりたいことをやってこその人生だろうと発奮し、前日(!)に航空券を予約して主人に内緒で子供と一緒にやって来た道中、なんと、クアラルンプールの空港で神様からのギフト【1000リンギッド札を20枚(約5万円)】を拾ったのだと話してくれた。その話し方が、その時の身振り手振りが素晴らしく印象的で、イベント終了後にはLINEでメッセージをいただいた。
坂爪さん、遅い時間に失礼致します。今日、いばやトークに参加させていただいた○○○○です。興奮冷めやらず、こんな時間にラインしてしまっています、お許しください。今日はお会いできて、本当に楽しかったです。今まで坂爪さんの言葉に沢山の勇気をいただいてきましたが、今日直接お会いして、同じ場所で同じ空気を感じることの凄さ、素晴らしさを改めて感じました。やっぱり、リアルにかなうものなし!です。言葉ではなく、感覚でたくさんのことを教えていただいた気がします。いいとか悪いではなく、ただそこに坂爪さんとして『在る』『在ろうとしている』んだなあと思いました。私も私の全てを今のまま、受け入れていきたいです。このような機会を与えてくださった全てに感謝しています。そして、このような行動を起こせた自分にも、拍手したいです。おやすみなさい。またどこかでお会いできることを楽しみにしています。
千葉県からはるばる来てくれたムエタイ選手の男性は、イベント開始直前に到着する飛行機に乗って、急ぎ足で会場まで駆けつけてくれた。ムエタイをやっているということをひけらかすような態度は微塵もなく、ただ、いま、ここに来れたということを喜んでくれた男性の姿に、見ているこちらまでこみ上げてくる嬉しさに包まれた。二人とも、ほんとうに美しい瞳と、素晴らしい表情と、清々しい空気を身に纏っていた。イベント終了後に御礼のメールをしたところ、その日の内に返信が届いた。
まさかのご連絡とても嬉しいですこちらこそチェンマイまで来るナイスなきっかけになりました実際に payacaさんに出向いた事でけいごさんを はじめ普段じゃまず出会えない様々な環境、考えの方達との交流、、サイコーでしたタイに来て数時間にて旅の醍醐味はほぼ満たされました笑少し勇気を出しメールを送りチェンマイへ行ってみてよかったですけいごさんありがとうございました皆さんにもありがとうと言いたいですではเราจะได้เห็นคุณอีกครั้ง
ひととひとの出会いの中には、言葉にすることのできない、大きな、大きな、喜びがある。無理をしてまで自分を絞りあげるのではなく、内側から込み上げてくる抑えきれない何かが溢れてくる、いてもたってもいられなくなる、泉のような思いに包まれた時、生きていることの豊かさと、純粋な幸福感、確かな生命の躍動感を覚える。ひとがひとを思う気持ち、ひとが何かをやりたいと思う気持ち、ひとがひとつの命を生きていきたいと思う気持ちは『絞り出すものではなく、溢れ出すもの』なのだと思う。そして、自分の内側にある溢れ出すスイッチを押すために、私は、また、遍歴をしているのかもしれない。
無理をするということは、まるで自分を雑巾のように扱うことで、最後の一滴が出なくなるまで、絞り出して、絞り出して、最後には絞りカスになってしまうまで自分を苦しく締め付けてしまう。きっと、純粋な幸福感や動機は『絞り出すものではなく、溢れ出すもの』なんじゃないのかな、と思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月9日
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://goo.gl/s6F9wE